幽霊と卒業
(壁打ち。秩序ない文書がだらだら続く)
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ほんとうは。何も嬉しくなんてなかった。
先輩が卒業して、1週間が経った。長く続いた雨の影響で、桜は散っている。
わたしは1週間前と同じように、演劇公演のスタッフとして今日も劇場にいた。
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たった1週間なのに、環境もわたしもまるで何もかもが変わってしまっていて
(変わってしまうという表現が正しいのかはわからない。というか、絶対違うけど許してほしい)
どうにも苦しい。せめて変わったのは、上演する演目とカンパニーメンバー、あとわたしのネイルだけであって欲しかった。
ほんとうは、自分のネイル、桜が描かれたピンクのデザインにするつもりだった。だけど、やっぱりいつも通り青にした。
髪に入れていたインナーカラーも落としてしまった。慣れないことやいつもと違うことは、しないほうがいい。
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春はきっと素敵だ。桜が散るのも悪くないし、わたしは花が咲いた桜も、光を通すような緑の若葉が身を寄せ合って揺れている桜も、桃色と緑のコントラストが美しい葉桜も好きだ。
新しい出会いだってある。
そんな素敵な春を、こんな鬱々とした顔で過ごしているなんて少し勿体無いかもしれない。
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「けいさん顔やばいっすよ」
後輩に言われた。
毎晩泣き腫らしたあと、せっかくカフェインを身体に入れて無理矢理外用に作った顔を、ひどいと言われてしまった。
今もなお、先輩の卒業を引きずりながら後輩と一緒に作品をつくっているわたし自身の方が、ずっとひどいと思った。
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だから、泣きたくなんてなかった。
後輩のことはすきだし、先輩の卒業もとてもめでたいことだから。後輩の公演は素晴らしいものであるから。
ほんとうは、こんなつもりじゃなかった。
先輩を笑顔で見送って、がんばりますという言葉通り、わたしは後輩を支える「先輩」としてきちんと現場に立つつもりだった。
例えばそれが難しくても、少しくらいなら我慢して、黙ったままでわたしはこの1週間をやり過ごすつもりだった。
1週間前に、先輩方が卒業公演を行なった劇場で、今度はわたしの後輩が、公演をしている。
そういう現実に、身体が追いついていないだなんて、日中はずっと後輩と過ごして、でも時々先輩のことを思い出して、夜は泣いてしまって、そのまままた朝を迎えて後輩に会っているだなんて、わたしは何があっても口に出しちゃいけなかった。
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卒業公演から1週間が経って、整理もできずに、今日がきた。後輩の公演は本番を迎えようとしていた。
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ここまできたら、整理なんてする必要もないのかもしれないとすら思った。
失礼な話だ。
この季節だから、「終演しました」という言葉や、過去の公演の投稿をSNSでよく見かける。
そういう投稿をみて、ひっそり泣いているのはさておき、わたしはそういう類のきちんとした「終演」報告をあんまりしない方だった。
すごく気持ち悪いことを言うけれど、わたしはこれまで自分が関わった公演の中で、整理がついて自分の中で終わらせることができた公演など何一つとしてないからだ。
もうたぶんわたしのこころは爆発している。散らかって、足の踏み場もない。
ゴミ屋敷ではなくて、どちらかと言うと宝箱みたいなものだと思う。
いくら宝箱だからってまた泣いてしまうから開けたくはないけれど。
事実、この文書の散らかり具合がすごい。とても今から本番を迎えられる状況ではない。
いつかまた読み返した時に、散らかってるなあと笑えたらどれだけいいことだろう。
写真フォルダの中にある写真も、基本的にはすぐ見られないところに保存して(例えばGoogleフォトのような。)、端末自体の写真フォルダからは消すようにしている。
わたしはみないふりをしている。向き合っていないだけかもしれないけれど、正直、向き合うつもりもない。
宝箱をみつける冒険とかそういうのは、何年もかかるし。
(というかそもそも、そんな写真フォルダの写真を見るのが辛いからとすぐどこかへ押しやってしまう人間が、写真を撮る映像スチールという部署に所属していていいのかという問題もあるけどそれはさておき。)
でもそういうのは、ふとした時に勝手に開いてしまう。知らない間にわたしの思考の隅に入り込んで、わたしをどうしようもなくさせる。
確かに過去のことだけど、まだ生きているきがする。
先輩のことを思い出すし、1週間前の写真を見返したくなってしまう。
わたしが、「何かが終わること」について、仕方がないと諦められることができる日まで、多分、わたしは自分の中の思い出を生かし続けてしまう。
これを世の中では亡霊と呼ぶのかもしれない。
何とでも呼べばいい。後輩いわく、顔がやばいので幽霊でも許されると思う。
そういえば、幽霊は現世に未練があって出るものだと聞いたことがある。
もしかしたらわたしの顔が元々悪いのは、幽霊の原理と似たようなもので、そういう思い出の蓄積なのかもしれない。
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ところで、後輩の舞台はすごい。
すごいという簡単な言葉でまとめるのは失礼だけど、本当にすごいという言葉でしか言えなくて、先輩のことを書くのが憚られる程には素敵で、具体的に言うなら、上演時間が1時間あるうち、わたしは55分以上、しっかり泣いた。(つまりほぼ泣いてた)
テーマもテーマで、今の自分にあまりにも刺さって(刺さるというか鈍器で殴られるというか、心臓を握られている感じがした)、本当に素敵だった。ゲネプロをみて泣きながら、こうやって新しいものに順応していくんだなとか思った。
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得体のわからないものは怖いな。
わたしは気に入ったものをずっと食べ続けるし、好きなものはずっと好きだから、そりゃ、先頭を歩けるわけなんてないのだ。
だから、後ろから 後輩のことをにこにこ見守る係でじゅうぶんだとおもった。
(とか偉そうなことを言っているけど、後輩が、もはやここまできたら友達でしょと言ってくれて嬉しかった。)
泣くのは我慢していたいので、泣かないと後輩に宣言したら、「は?」と言われた。「すぐ泣くのってけいさん筆頭じゃないですか」「今までけいさんがなかなかった公演ありますか?」
初めから隠すのも我慢するのも無理だったのかもしれない。いっそのこと、きちんと向き合いながら、かたまりを抱いて引きずって、みんなの後ろを歩くのも悪くないかもしれない。
時々振り返って笑ってくれる後輩や先輩、同期がいるので。
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後輩へ、こんな素敵な後輩と一緒に最高の作品を作れて、わたしはたぶん世界一幸せです。
先輩へ。素敵な春、未来ある門出に、おめでとうございますを泣きながら言うなんて、こんな失礼なこと許されるはずがないと思います。またいつか、笑ってお祝いさせてください。
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泣くのは悪いことではないとも思う。
いろんなものを抱えて、重い宝箱を引きずって、感情を重ね塗りしたミルフィーユみたいな地層みたいな、なんだかよくわからないこのわたしを許してほしい。
わたしは誰も傷つけたくないし、忘れたくない。ずっとあなたを抱きしめ続けることを、どうか許してほしい。幽霊みたいだなって笑ってほしい。
2023.04.01
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