改札前

まだまだ記憶に新しい思い出だ。恋愛至上最大のトラウマだけど、あの経験をして変わった部分はあるし、「一人の人と向き合うこと」の大切さを学んだ。

ドラムに興味を持った話」の彼と進展もせず、約束も取り付けられずに、なんとなくうまくいかないなあと思っていた頃だった。別の相手を探そう、と、またマッチングアプリでやり取りを始めた。

はじめて会ったのは、お互い仕事終わりだっただろうか。音楽の趣味と、お酒が好きという共通点があった。また、惹かれていた彼とは違って、恋愛やその先の結婚への本気度が見えるような相手だった。少し落ち着いた和食系の居酒屋で食事をした。カウンター横並びの席で、少し緊張した。正直に言うと、顔は自分の好みとは違う濃いめのソース顔だったし、その日着ていた薄紫のYシャツが、袖を折り曲げると柄が出てくるデザインで、あまりいい第一印象ではなかった。話をしていても、真面目すぎて本気で楽しめなかった。仕事に対しても、熱量がなく淡々とこなしている印象で、共感が出来なかった。と、ここまで書いていて、最初から好きになれる要素がなかったんだなあと実感するが、その時は相手を好きになれるよう、良いところを探していた。1軒目を後にして、まだ少し時間も早かったので、彼の提案でカフェでコーヒーを飲んだ。お酒を飲んだ後の、チェーンのカフェ。照明も白光色で明るく、大して広くもないテーブル席で膝をつきあわせてコーヒーを飲むのは、私にとってはなんだか居心地が悪かった。お酒が入って少しふわりとした状態のまま、恋愛の話をするならまだしも、コーヒーでなんとなく酔いを醒まされて「さあ、ここからが本番ですよ」と言わんばかりに、対面で恋愛観を聞かれるのはあまり心地よくなかった。とはいっても、共感できる内容も多く、また近いうちにご飯に行こうと約束をして、駅で別れた。

1週間後くらいに2回目のデートをした。入口が分かりづらい、隠れ家的な焼鳥屋に行った。3時間ほど話をし、いい時間になったので店を出ようとしていると、「付き合ってほしい」と言われた。うれしかった。こんなにしっかり、面と向かって告白されたのはいつぶりだろうか。いや、初めてなんじゃないか、くらいに思った。ただ、私はまだ即答はできずに、「もっとお互いを知ってから、返事をさせてほしい」と伝えた。この時、わたしの仕事が忙しかったことを気遣って、帰り際にドライフルーツをプレゼントしてくれたのも、とてもうれしかった。「付き合って、結婚するなら、こういう誠実な人が一番幸せなんだろうなあ」と思って、ほくほくした気持ちで家路についた。

また1週間後くらいに、3回目のデートをした。私の好きなバンドの話をした際に、彼も気になっていたと言っていたので、その日はCDを貸す約束をしていた。ただ、なぜだろうか、待ち合わせの前から、まったく気乗りしない自分がいた。私が行ってみたかったタイ料理屋をチョイスし、一緒にご飯を食べたのだが、やっぱりあまり楽しめなかった。というよりも、向かい合って美味しいご飯を一緒に食べているにもかかわらず、この人が好きだなあ、と思えなかった。早く帰りたいな、とすら思ってしまった。帰り際にCDと、前回のドライフルーツのお礼に買ってきたお菓子を渡して、駅で別れた。

彼からは、次回のお誘いの連絡が来ていたが、私は仕事が忙しくなってきた、と言い訳をして断っていた。こちらから誘える状態になったら連絡すると言って、日々の連絡もしなくなっていた。

私から連絡をしないまま1か月ほどが経ち、痺れを切らした彼から「借りているCDを返したい、会うのが嫌なら着払いで送る」とそっけない連絡が来た。さすがに「じゃあそれで」とも言えず、仕事帰りにわたしの会社の最寄り駅で待ち合わせをすることにした。

当然、ご飯の場所などの話はしないまま、当日を迎えた。仕事が終わって駅に向かう私は、会った時にどんな顔で、どんな言葉をかけようか、そして「軽くご飯でも行く?」と言うべきか、そうなったらどこに行くべきか、と考えを巡らせていた。彼からの連絡の文面には、はっきりと「怒り」の感情が表れていた。絵文字も余計な話もない。さて、どうしようか。

彼は、改札前の柱に寄りかかって、音楽を聴きながらスマホを片手に立っていた。わたしは、手を合わせて「ごめん」と言いながら近づいていったが、彼が顔を上げてその表情を見た途端、足がすくむ思いだった。「無表情」ってこういうことなんだな、と思った。そこからは一瞬だった。彼は着けていたイヤホンを外し、私に向かって黙ってCDの入った紙袋を差し出し、「じゃ」と言って振り向きもしないまま改札に入っていった。3秒。彼と会った最後の時間は、たったそれだけ。

彼なりに、私の気持ちを悟っていたに違いない。一度告白までしてくれたのに、返事もろくにしないまま、急に「仕事が忙しいから」とフェードアウトされたのだから、怒って当然だ。ただ、あそこまでに、人からの「拒絶」のオーラを感じたことがこれまでの人生でなかった私は、しばらく放心状態になってしまった。

おなかもすいていたので、近くの飲食店に入り夕飯を食べながら、じんわりとお腹を満たし、心を落ち着かせていた。このままこの人とこれっきりになったら、相手も自分もお互いに嫌な気持ちで終わるな、と思った。自分を正当化したかっただけかもしれない、悪者になりたくなかっただけかもしれない。だけど、2人で過ごした時間は確かにあったし、彼の誠実な思いを踏みにじってしまったことを、ひとこと謝りたかった。一文一文考えながら、彼に連絡を送った。嫌な思いをさせてしまったことの謝罪と、結局好きにはなれなかったこと、そしてお互いに幸せになれるように、と。そうすると、彼からも返事をもらった。絵文字が入った返事は、なんだかひさしぶりに感じた。

本当に勝手なのだが、彼からの返事をもらった後、ふう、とすっきりとした気持ちになった。面と向かってではなかったけど、最後にちゃんと向き合えてよかった。逃げ続けずに、「ありがとう」と「ごめんね」と、「幸せに」を言えてよかった。

マッチングアプリを続けていると、やっぱり急に連絡が絶たれたり、自分自身も急に連絡を絶ってしまったり、ということはざらにある。でも、向こう側には一人の人間がいるのだから、しっかりその人に向き合わなければならないと思った。自分が接する人間に、二度とあんなこわい顔させちゃいけないとも。

いつもなら簡単に逃げていた。彼の改札前での表顔は、一生忘れられないトラウマだけれど、私に大事なことを教えてくれたと思っている。

1年ほど経ってからふと表示されたLINEのタイムラインに、彼が彼女と写っている写真があがっていた。幸せそうな笑顔に、心から「おめでとう」と思った。




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