ドラムに興味をもった話

わたしは学生時代から、邦ロックが好きだった。

かといって、別に音楽の知識はないから、なんとなく、雰囲気で好きなものを聞いていた。ボーカルの声、曲調、歌詞、メンバー間の関係性。

ここのギターがかっこいい、とか、ベースの低音がしみるぜ・・・とかはあるけれど、ドラムに注目したことはあまりなかった。

「バンドを組んでみたい」なんて憧れを持ったりもしたが、やりたいポジションは、ボーカルかギター。現実的にはギターよりもベースの方が習得しやすいかな、なんて甘ったれたことを考えていた。

ドラム。考えたこともなかった。


彼とは、マッチングアプリで出会った。年は1つ下。アパレル関係の仕事をしていた。「いいね」を押したのは多分わたしで、彼が入っていたコミュニティがとにかくすべてセンスが良く、たまに「布団から足を出すのがこわい」なんてかわいいコミュニティが出てくるのにぐっと来た。写真で見ても、妻夫木聡系のかわいい子犬系男子。ぱっちり目のイケメンはそこまでタイプではないけれど、いいなと思っていた。

でも彼は、マッチングアプリではあるまじき、「超連絡遅いマン」であった。

その当時、精力的に恋活に励んでいた私は、毎日数回アプリにログインをしては、仕事のタスクをこなすようにバシバシとメッセージをさばいていた。

この彼は、1週間に1度、いや、もっと遅かったかもしれない。メッセージを送ったことをすっかり忘れた頃に返ってくる。1日に何往復するなんて化石級にめずらしいことだった。

どんなタイミングだったかはもう覚えていないけれど、1月にラインを交換して、初めて会うことになったのは3月末。ここまで根気強くやり取りしていた私もすごい。ほかの人ともやり取りしていたから、なんとか続けられたのだと思うけれど。

彼が仕事後の平日20時過ぎに、とある駅ビルの下で待ち合わせをした。直前のラインで、某チェーンの焼鳥屋の話をしていたので、てっきりそこに行くことになるかと思って、近くの店舗の場所はググっておいた。

初対面の第一印象は、「アプリの写真まんまじゃん!」だった。たいていはなんとなく印象が違ったり、ガッカリすることも多い。彼は、アプリの写真で見る子犬系イケメンのままだった。高まる。

そしてとても気さくだった。お互い敬語でしゃべっていたが、終始敬語が崩れず、それでいてフレンドリーなのはとても好印象だった。

カジュアルに焼鳥屋デートをしようと思っていたが、彼が知り合いに雰囲気の良い居酒屋を聞いたからそこに行ってみようと提案してくれた。

しばらく歩いてついたのは、ビルの中の中層階のちょっと暗めの照明のダイニングバーだった。当時の私からすると、3流居酒屋だと倦厭してしまうようなお店。店内もガラガラだった。

通されたのはカップルシート的なL字の二人掛けの席だった。すでにマッチングアプリを駆使していたわたしは、こういう時に奥に座らせてくれる男性に慣れていたが、彼は颯爽と自ら奥に座った。「ふーん、慣れてないのかな」と思った。嫌な判断基準を持ってしまったものだ。

その日私は風邪の治りかけのような状態だったので、お酒は量や度数を控えて飲んでいた。それでもとてもリラックスして話せたし、とても楽しかった。

彼はファッションがとても好きで、革靴の違いやカッコよさについて、詳しく説明してくれた。スマホの画面を見ながら話をしていると、気づけば顔はとても近いし、彼の片手は私の太ももに乗っているし、ドキドキした。

その日はスタートも遅かったし、3時間しないくらいで帰ることにした。ビルのエレベーターの中では手が触れるか触れないかの状態でまたもドキドキした。駅に向かう途中、道に広がりながら騒ぐ若い学生の集団がいて、その集団を追い抜かす瞬間に彼に手を引っ張られ、そのまま手をつないで駅まで歩いた。

たった3時間の居酒屋デート。帰り道に手をつなぐだけの健全な初回デートにかなりグッと来てしまった。

その後はトントン拍子でデートを重ねた。相変わらずラインの頻度は少なく、2,3日に1回返事が来て、会う直前だけは1日に何往復かの連絡を取った。2回目は昼間からドライブデートをしたし、3回目は彼の住んでいる街で飲んで、一晩を一緒に過ごした。彼はバイクが好きで、私の住むところにもバイクで来てくれた。でも、一度も「好きだ」「付き合おう」というような、決定的な言葉はなかった。

彼は、学生時代に軽音サークルに所属していた。ドラムをしていたという。ドラムに興味を持ったことがなかった私だが、彼の家で彼の好きな音楽を聴きながら、一緒に基本の8ビートのたたき方を教えてもらった。彼に自分の手を取られながら、音楽に合わせて太ももを叩いた。基本からアレンジを加える彼がとてもカッコよく見えた。

ある日は、早い時間から一緒に飲んで、お店を出たのが21時くらい。まだ帰るには早いかな、というくらいの時間に、その近くに彼的ホットスポットがあると言われて、再開発で出来た新しめの公園を散歩した。そのあとは、「じゃあ今度は、〇〇(彼の住んでいる街)のホットスポット知ってる?」と言われ、彼の家に行った。最高の誘い文句ではないか。

その日は、「カホン」という楽器を見せてくれた。図工室の椅子みたいな楽器。その上に座って、側面や座面をたたいて音を出す楽器だ。アコースティック編成でよく使われるらしい。私はローソファに座りながら、彼がカホンの演奏するのを、下から見上げていた。とてもカッコよかった。そのあとはもちろんセックスをした。

彼とは最初にデートをしてから2か月くらいは、1週間に1回~1か月3回程度のペースで会っていたが、夏場は少し連絡が滞るようになった。その後も数か月に一度会っては、また連絡がなくなり、というのを繰り返した。彼には、私の好きなバンドのCDを貸したままだ。私に今の彼氏ができてから、「返してほしい」という連絡をした。家に来てくれると言われたが、私はかたくなに、ご飯に行った先でもらうから家には来なくていいと断った。それから、連絡は取らなくなった。CDは返ってきていない。

正直大好きだった。顔も服装も髪型も身体も声もしゃべり方もとても好きだった。サバサバとした性格や、やさしさ、ユーモアあふれる会話に、博学なところ、自分の可愛さをよく知っているあざとさ、女の子を喜ばせる手慣れた仕草。こんなに、「ああこの人のこと本当に好きだな」と思える人に出会うのは初めてだったと思う。

これまでもたくさんの男性に会ってきた。会うたびに、人を好きになるたびに、更新されていく「理想像」。高い高いくだらない理想を持った私が、「嫌いなところは、わたしを好きだと言ってくれないところだけ」と思った。完ぺきだった。

だらだらとする前に告白して、彼と付き合えていたら、と考えることもある。でも多分そうなっても幸せにはなれなかったと思う。

一度だけ、彼のスマホを一緒に見ていたら、女からのラインの通知が表示された。彼は私に見えないように、指でその部分をとっさに隠した。


彼と出会ってから、ドラムに興味を持ち始めた。

今は、バンドを組むとしたら、「ドラムをやりたい」と言うと思う。いや、でもやっぱり、ボーカルも捨てがたいよな。


すいか






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