見出し画像

#34.切実になにかを求めるからこその飢餓感/Florence + The Machine - Hunger

おはようございます。今日は2月14日、チョコレートが各地で飛び交う日です。今は友人同士や自分で味わうためのものの方が多いかもしれないね。わたしも甘いものは大好きです。思わず食べすぎないように。ほどほどに楽しみましょう。

さて、今朝は旧作。2023年2月15日にX(旧Twitter)に流した文章の大幅加筆修正版です。


空腹というのはなかなかきつい感覚です。空腹といっても、「小腹が空いたなあ」といったものから、「今すぐなにか食べないと、お腹と背中がくっつくぞ!」というものまで段階というかグラデーションがあるわけですが。

それでもなにかを食べれば、空腹は満たされてめでたしめでたしとなるわけです。一般的には。その空腹を満たすための食事や飲食というのは一種の快感ではありますね。

この空腹感、もっと言えば飢餓感が日常につきまとい、どれだけ食べても満たされないとなると、いわゆる摂食障害ということになります。もちろん、摂食障害の症状はそれだけじゃないので、正確な情報はちゃんとした専門家や専門機関に頼ってください。

とにかく、幸いにもわたしは摂食障害ではないし、周囲にもいないので(公言していないだけかもしれないけど)、その実際はわからない。けど、その人の精神や身体までをも支配するとなると、それは本当に深刻だろうなあと思います。

Florence + the Machineの"Hunger"は、ヴォーカルのフローレンス・ウェルチ自身の抱えた摂食障害を歌ったもの。17歳の時から空腹、飢えを感じ始めていて、愛は空虚と同じだと考えていたという回想から始まります。

Florence + The Machine - Hunger

そして自らが抱えている飢えというのは、自分だけのものではなく「私たち」みなもまた飢えを抱えていることを知ったとも歌います。

もちろん、この場合の「飢え」というのは空腹という直接的なものだけではなく、根源的精神的な飢餓感みたいなものも含んでいるのでしょう。その意味で、わたしのように明確に摂食障害だと診断されていない人でも、誰もがみな「飢え」を抱えている。

そういうふうに考えると、摂食障害に起因する飢えは、ある種の普遍的な飢餓感の象徴みたいなものだととらえることもできるのかもしれない。飢餓感は切実になにかを求めていて、それが満たされないからこそ抱えるもの。理想だったり願望だったり。

そう考えれば、われわれ人間はみんな大なり小なり満たされない思いを抱えている。だからこそ、ある種の人は創作や表現をするのかもしれませんね。

ところで、摂食障害ほど深刻な話ではないけれど、空腹って時と場合によっては困りますね。授業中にお腹が鳴ったとか、会議中にお腹が空いて困ったとか、そういう経験は多くの人にあると思います。

なぜ空腹を感じるとお腹が鳴るのだろう。空腹なのは自分で感じられるから、わざわざお腹が鳴らなくても分かりそうなものだけどね。小さい子どもの空腹に気づくために必要なのかな?

あるいは空腹に限らず、体のどこかが空っぽな状態のときに、警告のためにその部分が鳴る機能が他にもあったらおもしろそうだけどね。わたしの場合は、頭が空っぽだといつも頭から変な音が鳴っている、みたいなことになりそうですが。


※ひつじのはなし|Good Morning! Musicは、水月羊(the Maverick Black Sheep)が大胆不敵にも音楽(主に洋楽)エッセイを書こうという目論見と試みです。洋楽の曲を聞いての感想や解釈のエッセイ、コラムとなります。気になった曲の歌詞の意味はそれぞれ訳してみてください。また違った見方ができるかもしれません。


□お問い合わせなどは、以下のgoogleフォームまでお願いします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?