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21/1/5 「1979年のキネマ旬報」

 今、58歳のボクは3人の子供の親だ。
 高校生の長男、中学生の長女、小学生の次男。

 長男は現実的な進路を考え始める時期、
  多感な思春期を父親として干渉しないで、
 そっと何も言わず、眺めている。
 
「ボクがビートたけしの弟子になりたい」
 と決めたのは19歳だった。
 そして、それを叶えたのは23歳だった。
 決心出来ないまま優柔不断な
「モラトリアム」の期間が長かった。

 田舎で将来の野心を両親に告げたことは
 一度もなかった。
 大学進学は上京するための只の口実だった。

 大学は4日しか通わず取得単位0だ。
 自分の生き方に切羽詰まった。
 もう田舎へ帰らなければと追い詰められて……。

 そして、最後に暗闇にジャンプした。

「人生に期待するな!」

 の言葉でボクを直撃した、
 救世主・ビートたけしが現れる前、
 16歳の頃のボクは未来におびえていた。

 いや青春が苦しくて、ひとりぼっちで、
 のたうち回っていた。
 映画館しか逃げ場がなかった。

 映画を見て映画ノートに感想を書く繰り返し。
 何処にも出口がなかった。

 田舎の高校生が雑誌に投稿するなんて冒険そのものだった。
 ボクの文章が『キネマ旬報』に掲載されるなんて夢だった。

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 1979年の11月下旬号。
 「007レインカー」の表紙を捲り

     読者ページにたどり着き、 

    その時、自分の投稿した記事が掲載されるのを読んだ時の  

     胸の鼓動が早まる感じは今も覚えている。

 映画館のなかで「絶望」を書いた文章なのに……。
 自分自身、明日への希望が灯った。

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 嗚呼、俺も将来「本を書いてみたい!」
「雑誌を作ってみたい!」とその時に思った。

 50歳を迎えたた時「一身にして二生を経る」だと思い、
芸人以外になりたかった職業である「編集者になる」夢を叶えた。


 自分の雑誌(メルマガ)を作り編集長に就任した。
 一ヶ月500円で活字を無限のように読める。

 活字中毒者には、夢みたいな大容量の雑誌をイメージした。

 自分の好きな文章を只でも書いている仲間を集い
 「大人のコロコロコミック・子供の文藝春秋」
 とコンセプトを決めた。

『メルマ旬報』と題したのは、
16歳のあの「ときめき」への感謝だ。

58歳、自分の本が出版され、
自分が物語の主人公として007を名乗っているとは
思いもよらぬことなのだ。

藝人春秋2と3カバーラフ

今はしょぼくれ爺さんだけど
16歳の自分と3人の子供には言いたい。

いや、ホントは今、ひとりで佇む、
全ての16歳に言ってあげたい。

人生に期待しても良い!!!


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