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【はかせ日記】22/2/28(後編)『毎週キングコングin武道館』の衝撃。武道館から靖国参拝。四谷まで夜散歩。

博士の悪童日記 2022年2月28日(月曜)

武道館へ入場。
西野 亮廣くんの献花嫌いを反映しているのか、
武道館興行には珍しいほど、
入り口には献花がない。

差し入れお断りも知っているのだが、
荷物にならない熨斗袋を係員に託す。

アリーナ席へ。
3000円のオフ席を希望していたので、
あまりにも良い席なのでビビる。

ボクの差し入れが申し訳なくなる。

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開演まで客席で1時間待ち。

西野くんの好きなフォークロアソングが流れる。

徐々に武道館が埋っていく。

その間に、3面スクリーンに、
今年1月に上演された、
新作歌舞伎『プペル~天明の護美人間~』
が映し出されるが、
(行こうとはしたのだが、最終的に行けなかった)

スクリーンの大きさと、画面の輝度に驚いた。

西野 亮廣は、
3ヶ月前にも武道館にひとりで立っていた。
ボクはそのことも事後知って驚いた。

そのときは講演会のスタイルで、
ネタも完全に仕上げて臨んだとのこと。

しかし、
今回はあえてノープランで出るとのことを
朝にVoicyを聞いていたので、
純粋に共演者もなく、
サプライズゲストもなく、
ふたりだけのフリートークだけで
武道館公演を行う……。

果たして、そんなことが出来るのだろうか?

(この後の武道館内の写真は公式です。
 ■■■photo by @cazrowAoki)

19時 開演。
ファンファーレと壮大なビジュアル画面、
1999年キングコング結成の字幕。

と共に巨大な時計の針が回り始め、
時の時のキングコングの写真が交叉していく。

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そして、せりからジャンプアップでキングコングが登場。

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そして、梶原くんは号泣。
しばらく泣き続ける。
それを見て、
観客とともに温かく笑い続ける西野。

客前での涙腺が調整効かなくなって長い、
ボクは完全に梶原派なので、
客席でもやはり感極まる。

漫才師が二人共に
「ドセンチメンタル」体質だと出来ないだろう。

観客がとにかく出来上がっている。
ファンとの関係性が「密着」しているのがわかる。

その後は、完全にフリートーク。
梶原くんは話したいことは、
筋を決めてきたようにみえたが、
西野くんは本当に空っぽで受けている。

梶原くんの日常に現れた、
つきまといファンの話がバカウケ。

梶原くんの一目惚れで始まったコンビだが、
NSC在学中から
吉本史上空前絶後の最速の売れっ子になるが……。

その後、コンビ仲が急速に悪くなっていく。

それはネタ作りを受け持つ西野が、
クリエーターとして注目されるなか、
先輩との社交に徹していた梶原くんが、
毎回、西野の悪口ばかりを言わされ、
そして、それが飲み会でもライブでも、
大受けするために、
互いの不信感が溜まっていくくだり。
不仲が推奨され、
それぞれの友達や先輩後輩も
派閥分けされていく。

どの漫才コンビも経験することだ。

一昨日、このBlogで、
ボクは映画『ウエストサイドストーリー』
の感想を綴っていたわけだが、
偶然にも吉本のアイドルユニット、
『ウエストサイド』の話になる。
まさにリアル『ウエストサイドストーリー』だ。

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90分ジャストでフリートーク終了。
一度、幕間にはける。

そして迎で手で、再び登場。
漫才師の衣装で。
なんと2年ぶりの漫才を披露。

西野くんが吉本を退所した今、
彼らはもう吉本の劇場には立てていないのだ。

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そのネタが『ディズニーランド』!!!!

昨日、今日でボクが話していた話題。
シンクロニシティ。

ディズニーランドに行ったことがない梶原くんが、
ディズニーランド通の西野に聞いていく。

ボケとツッコミが次々と入れ替わり、
どこまでがネタなのかわからなくなる。

(後から聞いたら、昨日作ったネタ卸しらしい)

30分近い大ネタ。

キングコングの生舞台は
短いネタの羅列しか見たことがない。
М―1に挑戦した頃だ。

テレビでも短いものばかりで、
これほどのワンテーマの長尺を見たことがない。

昔、Abemaの村本くんの番組で、
西野くんに
「キングコングの漫才は音が割れていて、
奏でてないから美しくない」
と先輩風を吹かせて言ったことがあるが、
完全に撤回する。

言葉の出し入れが緩急自在で
西野くんの大ボリューの声に
梶原くんの音が呼応している。

「影が形に従い、響きが音に応じる」──。

山城新伍が語った芸の境地そのものだ。

『週刊キングコング』に3年ほど前、
浪速の商人のボンに扮したアドリブトークが
見事な掛け合いになっていて、
驚いて何度も聞き直したのを思い出す。

西野くんは、フリートークで一切噛まない。
(噛みそうになっても口のなかで処理できる)
それなのに漫才では何回も噛むのが不思議だった。

後から考えたら、
ネタおろしだったのだから当然なのだか、
台詞というのは覚えてしまうと、
噛むのだなー。
技術論、芸論として考察してみたい。

途中、テンションを上げた西野くんの顔が、
シャイニングのジャック・ニコルソンに見える。

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最後の花吹雪も、
ジャニーズドキュメンタリーの
『ライド・オン・タイム』で
裏方さんの苦労を見たばかりなので、
エモーショナルだ。

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終了後、隣の席が
『2700』の人だったのでご挨拶。

しかし、全てが『最高!!』なのだが
……演者としては落ち込むほどだ。

花月のダウンタウンの舞台を見て、
そのまま解散した紳助さんの気持ちすら彷彿する。

武道館のお笑い公演を振り返る──。

wikipediaによれば。

演芸・お笑い関連
ミュージシャンと比べると
会場規模の小さいお笑い芸人・落語家にとっては
武道館で舞台を踏むことは
最難関であり芸人の到達点、最高峰とも言える。
また、行われた中でも多くは
番組イベントの会場としての
使用が主となっている。

1980年4月23日、
小学館の雑誌『写楽』創刊イベント『写楽祭』
でスネークマンショーが登場。

1981年7月21日、ザ・ぼんちが武道館を満員にした初の漫才師になる。

1981年10月15日、『爆笑!漫才大全集 in 武道館』を開催。
横山やすし・西川きよし、鳳啓助・京唄子、ツービート、島田紳助・松本竜介、B&B等が漫才を披露した。

1988年12月21日、人気深夜ラジオ番組『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』のイベント「コサキン無理矢理in武道館」を開催。
コサキンによるコントや替え歌ライブ、ラジオ番組の公開収録が行われた。

1992年5月25日、当時の人気深夜テレビ番組「鶴瓶上岡パペポTV」が、武道館初となるお笑い・トークライブを開催した。

1995年に、松本人志が、
客が値段を決める料金後払い制ライブ『松風’95』を、
2003年12月に『高須ちゃん生誕40周年祭り』と称した
ラジオ番組『放送室』の公開録音を行った。

1997年10月に、春風亭小朝が落語の独演会を行った。

2007年に、テレビ番組のイベントとして、KILLERSの解散コンサートと笑福亭鶴瓶・松嶋尚美(オセロ)のトークライブの2部構成による『きらきらアフロ in 武道館』を行った。

2013年12月30日、清水ミチコが「国民の叔母・清水ミチコの『ババとロック』in 武道館」を開催。以後、年末年始に毎年開催している。

2019年2月25日、
『らくごカフェ10周年記念 平成最後の武道館落語公演』を開催。
第1部で同カフェに出演する若手落語家による挨拶、
第2部では立川志の輔、立川談春の落語およびさだまさしによるライブが行われた。

2019年3月2日、ラジオ番組のイベント『オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー in日本武道館』を開催。
ライブビューイングを含め22000人を集めた。

2022年2月28日、キングコングが2人きりでのトークライブを開催した。


もしかしたら、
ノーゲストでやったのは
史上初のコンビではないだろうか。

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原田専門家と恒例の靖国参拝。

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高揚感抜けず、
たまたま通知のあった
Clubhouse にはいるが、
……そこは違和感しかなかった。

酔っ払っているのだろうが、
最初はファンだと言っていて、
美しい言葉遣いの人が、
何時の間にか、友達以上の立場になって、
嗜めるようになるのか?

高揚感も冷めきり、
四ツ谷駅まで歩いて車中の人へ。

電車の中では必ず本を読んでいる原田専門家。
「みんなスマホ読むから、
わざとやることに決めているんです」と。

「行きがけに本を読むOLが目の前に居たのを見てた?」
とボクが言ったら、
「あれ、カバーしてるから何ですか?
 って聞きたくなるんです」

仰っしゃるとおり──。
同じく──。

原田くんは本当に面白いなって感心する。

帰宅後、ツイキャス。

12時ごろには就寝。

明日は、テレテレビジョンだ。
改めて原田専門家の面白さを掘り下げてみたい。

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