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33 速読魔人・荒俣宏

 ボクが密かに「妖怪もの知りボクロ」とか「ホクロとフォークロアの融合」と呼んでいる出版界の怪人・荒俣宏──。

 テレビで誰もが博覧強記の知の巨人であることは承知だろうが、同時に驚異の速読魔神なのだ。
 ボクが荒俣ウォッチャーとなって久しいが、どこに興味を惹かれるのかと問われれば、まず、その人生が奇々怪々であり古書蒐集家として実に香ばしいエピソードに溢れている点だ。

 向井敏『残る本 残る人』(新潮社)によれば、若き日、本郷の医学専門古書店で1817年に刊行されたフランスの博物学者キュヴィエの『動物界』を見つけて仰天。店主に値を尋ねると「かさばるだけでいっこうに売れず、弱っていたところだ。二冊合せて六千円でどうか」と言われ「嘘のような安値」で入手したそうだ。

 ちなみに現在、この『動物界』をオランダの老舗自然科学古書店のサイトで検索すると4巻で約25万円! 全20巻のコンプリートなら約135万円という値が付いている。

  荒俣は慶応大学卒業後、水産会社の日魯漁業(現マルハニチロ)でサラリーマンをしながら、敬愛する紀田順一郎(評論家・小説家・書籍収集家…そのマルチな肩書は元祖・荒俣宏だ)と1976年から10年に渡り叢書された『世界幻想文学大系』(国書刊行会)の監修に携わった。

 脱サラしてフリーになると、1987年から小説『帝都物語』シリーズの大ヒットで多額の印税を荒稼ぎするようになるが、ここに至るまでの荒俣は最初のライフワークである『世界大博物図鑑』全5巻(平凡社)を完成させるため、書籍蒐集で億単位の借金を背負っていた。

 それでも本に惜しみなく知の投資を注ぎ込み続けた姿はビブロフィリア(愛書家)の鑑である。
 最近も2014年1月5日放送の『たけしの新・世界七不思議大百科』(テレビ東京)を見ていて驚いた。
 ゲストの荒俣はナポレオンがエジプト遠征に伴わせた学者たちの研究をまとめた初版200セットの稀覯書『エジプト誌』(全23巻)を所有していたと告白したのだ。
 全巻セットでなんと2千万円!?

 まだそこまで価格が高騰していない頃に購入したそうだが、最大の巻は判型が107×70㎝もあり炬燵の板の大きさをゆうに超え、重さも破格なため家に入り切らず泣く泣く手放したと漏らした……。

 さて『本の雑誌』2017年8月号の特集「知の巨人に挑む!」にはボクがが思春期から敬愛する編集者/書籍蒐集家の松岡正剛のインタビューが掲載されていた。
 それを読みながら、氏の博覧強記ぶりに唸りつつ松岡率いる工作舎に入りたかった十代の頃の自分に思いを馳せた。

 また別頁では、元平凡社社長の下中弘による「博物学と百科事典 荒俣宏の龍脈」と題された寄稿があり「一つの著作が、巨大なアラマタワールドの一端として幻想世界と現実世界を写している」と結ばれていた。
 そう、つまりアラマタワールドの真骨頂とは自然科学と人文科学が融合していることだ。

 前掲の向井敏は荒俣図鑑の特徴を「フェニックスにもスフィンクスにもちゃんと居場所が与えられ(中略)天狗や河童が大手を振って飛んだりはねたりしている」とし、学術科学と神話民話を両立せしめた手腕を評価していた。

 ボクは久々に、そんな荒俣宏との共演の機会に恵まれた。
 2017年1月22日──。
 NHK『総合診療医ドクターG』の収録。本番前、この日のゲストである荒俣の控室を訪いボクの2冊の近刊『キッドのもと』と『はかせのはなし』を献本した。
 その後、軽いMC打ち合わせのため10分ほど別室で過ごし本番直前にスタジオの席につくと、隣に座る荒俣が声をかけてきた。

「いやー、ありがと! 本、2冊とも読ませてもらったよ!」
「え、マジですか!? この短時間で?」
 ボクは目を丸くして驚いた。
 これまでも人生のなかで速読の人には数々出会ってきた。

 たとえば『週刊文春』の連載陣のひとり、評論家の宮崎哲弥は2007年4月から3年間一緒にトーク番組の司会を務めたが、とにかく読書量、スピード共に凄まじかった!
 あの頃、宮崎は文春の連載「ミヤザキ学習帳」のために週10冊のノルマで月間40冊を読み、同時に月刊誌『諸君!』(文藝春秋社)に連載する「今月の『新書』完全読破」では、毎月出版される各社の新書もすべて読破。こちらが最低月50冊、平均で計100冊! しかも、それらはあくまで連載用の基礎資料読みであり、その他の評論活動のために、さらに多岐なジャンルの本を漁り、加えて自分の趣味本もマンガ雑誌も読み「月間200冊は最低でも読んでいるだろう」とのこと。
 「飽きませんか?」と聞くと「飽きたら音読するし、眠くなったら歩きながら読む!」との答えに呆れて笑った。

 荒俣もまた速読家なのだろうが、果たして本当に内容を把握しているのか? そう思った矢先、荒俣はメガネの下で目を細め、拙著に書かれたエピソードについて語り始めた。
「あの『キッドのもと』に出てくる、Vシネマの収録の話。あれ、山手通り沿いの松濤にあった松岡正剛の工作舎で撮影されたんだね~」と聞いてくる。
「ボクは田舎で、その工作舎の『遊』という雑誌を読みながら本棚だらけの、あの工房に憧れていましたが、まさか後々、あそこで、みうらじゅん原作のVシネマ『やりにげ』の主演男優として前張りしてポルノを撮影することになるとは思いもしませんでした」などと当時の想い出話をしながら、その後もボクの2冊の本について、やりとりは淀みなく続いた。

 それは「一度読んだ本の内容を絶対に忘れない。しかも『何という本の何ページ』まで即座に言える」という、荒俣伝説を目の当たりにした瞬間だった。

 さて『ドクターG』は現役の医師が実際に経験した症例に遭遇、全国から集まった若き研修医が挑む病名推理番組だ。

 この日は25歳の女性が突然、叫び声を上げ意味不明の言動を発し痙攣を起こして倒れた症例だった。
 搬送先でも依然、意識朦朧、母親のことも認識できない。どころか、いないはずの子どもと会話したり、その子の着物を探したり……。
 再現ビデオは怪談・ホラー調、超常現象風、昭和の心霊特集なら完全に憑依現象として煽っただろう。

 しかし研修医たちは頭部MRIや腹部CTを経て、この症例を卵巣奇形腫による「傍腫瘍性辺縁系脳炎」と鑑別した。
 これは2007年に初めて報告された新しい病名だという。
 昔なら「狐憑き」などと言われ、医学界でさえ「統合失調症」で片付けられがちだった症状に病名がつき新たな疾患として認識された。
 つまりは、これまでは神がかりや超常現象、オカルトとして語られてきたことが病気として説明がつくようになったということだ。民俗学や古典文学の解釈、世界観すら変わるかもしれない衝撃の展開である。

「これは僕でも知らなかった……」とスタジオに返った荒俣先生。
「博覧強記の荒俣さんでも知らないことがあるのか!」とアリャマタコリャマタ驚いた。
「でもこの現象に病名がついたら、幻想や幻視がテーマの荒俣作品は大ピンチじゃないですか?」とボクは意地悪な質問をしてみた。
「そうだねぇ、小説の突飛なキャラクターが、この病名で全部、説明できちゃうなぁ~」
「この症例は伝奇小説のピンチですね」
「そうだよ。商売あがったりだよ!もう、読むだけになっちゃうよ!」
 と言うと荒俣の大きなホクロが笑った。

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