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未来の自分に期待すること

 noteには下書きの機能がある。前回の投稿は下書きのストックから記事を執筆したが、この機能を使って記事の続きを書けたことはほとんどない。なんだか、過去の自分からテーマを与えられているようで嫌なのだ。本当に宿題が嫌いなんだと思う。自分が用意したテーマですら、後になったら興味がなくなっているわけで…。

 以前も書いたけど、そのときの自分はどういう心境で、何を思っていたのか、まず思い出せない。それを思い出しながら文章を書こうとすると、非常に大変。だから下書きは置いておいて、まっさらな状態から文章を書くほうが楽だ。

 むかしよく書かされていた「感想文」「日記」といった類のものもそう。何を食べた、どこに行ったということですらすぐには思い出せないのに、過去の自分の心の動きを後になってから描写するのは困難を極める。

 そして、記憶が新しいうちに言語化しないと、ざっくりとした感想を書くことはできるけど、枝葉の部分、細部の表現がありきたりなものになってしまう。

 たとえば、夏休みに家族で回らないお寿司の店に行ったとする。ウニはまだ自分には分からない複雑な味がしたのか、いくらの食感がプチプチで良かったのか、サーモンはいつもの回転寿司のほうが自分の好みだったのか。こういったことをその場で感じたら早めに日記を書かないと、夏休み最終日には「お寿司をみんなで食べて、美味しかった」としか表現できないかもしれない。

 だからこそ、未来の自分に宿題を課すことは、良くないのかもしれない。全てのことを「現在の自分」が処理する必要はないのだけど、「未来の自分」が必ずしもそれをできる状況にあるかどうかは分からない。いまできることはいまやったほうがいいし、思い出は記憶が鮮明なうちに閉じ込めたほうがいい。

 些細なことだが、出かける前に洗い物や洗濯、掃除を済ませておくことは未来の自分を助けてくれる。家に帰ってきたとき「過去の自分、ありがとう!」という気持ちでいっぱいになる。逆も然り。

 もし、いまできないことがあるなら、できない理由は何なのかを考える。お金が足りないのか、絶対的に時間が足りないのか、1人ではできないことなのか…。本当はできるのであれば、それは単なる先延ばしをしていることになるだろう。

 では、先延ばしをする理由は何なのか?やらなきゃいけないことではあるものの、そもそも自分に興味のないことだってありそうだ。自分がすべきと思っていることも、実はやる必要のないことだってあるかもしれない。

 しかしながら、やることが山積みの状態でそういうことを考え始めると全く手が動かず、タスクは消化されないままだろう。「人生において為すべきこと」みたいな壮大なテーマは時間をとって考えるとして、面倒なことやすぐできることをさっさとやっていくのが未来の自分を失望させないためにできることだと思う。文章を書きたい欲、何か表現したい欲を休日の昼下がりに発散できた自分、グッジョブ!

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