地べたを這う

地面を這う生き物といえば、ヤモリやムカデのような常に地面に接して生活するものを示す。

地面を這う生き物についてはWikipediaの『匍匐』のページを読むととても詳細に書かれており(誰が何のために書いたんだ)、地面を這うと呼べるに至る定義としては「膝や腹を引きずっているか否か」あたりが妥当であるように思える。

地面を這うという行為、人類にとってはかなり屈辱感のあるものであることがわかる。どうしてそこまで地面を這うことを惨めに思うのか。

日本において土下座が最も強力な謝罪のポーズであるように、人体を接地するという行為は想像以上に意味を持っているように思える。もっと言えば、地面に手をつくこともネガティブな行為であり、膝をつくことすらよろしくはない。

人間は我々が思っている以上に、『直立二足歩行』に誇りを感じているようで、胸を張ることが“よろしい行為”であり、地に足をつけることについては是とされている。

つまりは、2本の足を地面につけ、それ以外は垂直に並んでいる、直立の状態を“人間のニュートラル”と定義し、それよりも身体の各パーツが下に下がる(y座標のパラメータが減少すること)ことを屈辱、惨めに感じるように出来ているということになる。

人類の誇りとは、人間が人間たらしめる数々の要因において、手の形や脳の容積、染色体の数などではなく、直立二足歩行であることがわかった。


それでは、人間が元来から飛行することができる生物であった場合はどうなるのだろうか。恐らく、「地を這う」くらいのニュアンスがもう少し曖昧な定義になると思う。

「地を這う」判定がもう少し甘くなる。例えば、もともとは腹や脚を擦(す)って生きる生物から、4足歩行の生物全般くらい範囲が広くなる。何故なら空を飛ぶことが出来る我々にとって、体表の多くの部分を地面に向けている彼らの区別はつかないからだ。虫の腹が地面についているか、脚によって持ち上げられているかなど誤差に過ぎない。

そして、飛ぶことが出来ない生物全般を見下すようになるだろう。空を飛ぶ生き物は、その物理的な制限から、ある程度の小ささに止まる。この世の生き物は、基本的に大きいものが強く、小さいものが弱い。しかし、空を飛ぶ生き物と陸の生き物は相容れず、明確な境界線が引かれている。空を飛ぶ生き物は陸の生き物に攻撃することが出来るが、陸の生き物は空を飛ぶ生き物を攻撃できない。飛んでいる限りは。この不可逆な関係性により、空を飛ぶことの優位性を確固たるものにしている。

空と陸に明確な差を見出せるように、人間は直立とそれ以外に差を見出している。

地べたを這いずり回る生き物がどう思っているかはわからない。

わからなくていい。

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