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ささやかな日常の営みが人生を作っている

しかたないとは言え、なし崩しに始まったテレワークで、夫の在宅が続いてる。

在宅中はこうするとか、ルールもなく、長くても二ヶ月くらいだろうと思われていたのがもはや日常化してしまい、リビングは日中仕事場で、家にいる身としては正直しんどい。

私には私の日常のルーティーンがあって、子供にもそれがあったのに、もはやリビングが憩いの場ではなくなってしまい、大迷惑なのだけど、会社はこのままテレワークを継続してオフィスを減らすと言っているし、出社も抑えてる。

感染症対策のためとはいえ、こういうところで家族の生活を犠牲にしても、というのは、高度経済成長期となにも変わっていないのだなぁと思い知らされる。

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オフィスを減らすことで会社は固定費が浮くのだから、その分の費用を、個人でブース型のオフィスを借りるとか、そうした分に回してもらいたいのだけど、そういうことは会社で検討しないのだろうか。

なしくずしに、「家でも仕事できるじゃない」ってなってるのかもしれないけれど、その影には家族の我慢があるし、一人暮らしでも、プライベートと仕事場を分けたい人もいるはず。

録画しておいた朝ドラを観ながらお昼を食べるのが楽しみだったのだけど、夫の昼休み時間と私の昼休みの時間が合わないし、なにより、ひとりで、という気楽な時間だったのができなくて、けっこうなストレス。

シェアオフィスを借りようかと思うこともあるけれど、もう20年自宅で仕事している自分が費用を掛けて出ていくのはおかしいと思うし、たぶん落ち着かないと思う。

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ひとつひとつは小さいことで、そんなこと、というようなものだろう。
でも、リビングがオフィス化することで、そんなささやかな時間が奪われたと感じてしまう。

さらに言えば、やはり食べていくための仕事は大切で、それは理解できるものの、話し合いの余地もない不均衡さがストレスになっている。

ずれているお昼休み(こちらが合わせればいい、というのもおかしな話なのだ)に、テレビをつけるのを、いちいち断らなくてはいけない。
帰宅後にAmazonPrimeで映画を観るのを楽しみにしていた娘からは、あれが楽しみだったのに、と愚痴がこぼれる。

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夫の会社がオフィスを半減するというのが、ニュースで入ってきて、会社は全然分かってないのかな、と思う。
自分も系列の会社にいたことがある。

シェアオフィスでもなんでもいいし、週に半分でもいいから、外で仕事をしてほしいと思ってしまう。
それは仕事に行って、ということではなく、失われたささやかな日常の時間と、くつろぎの場であったリビングを返してほしい、という意味で。

東京の感染者数が増えていて、またテレワークを強化する会社が出てくるだろう。
テレワークにすれば先を行っている、感染症対策に積極的な会社であると考えているとしたら、それはたくさんの家庭にいる人の犠牲のうえに成り立っているのだと知ってほしい。

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ほんの15分、ひとりで簡単な昼食を食べながらドラマを観る時間。
学校から帰って映画を流しながらレポートを書く時間。
誰にも邪魔されず、自分の思うように洗濯物を竿にかけるお天気の日。
仕事のあいまにキッチンで一人分淹れる紅茶。
行儀悪く寝転がって漫画を読みながら、スマホでやりとりする友達とのメッセージ。
休憩時間に、誰も気にすることなく練習するギター。

ひとつひとつは取るに足りない。
誰にもなにも言われることのない時間。

そんなささやかな営みが積み重なって、日常になってきたものが、大義のためになし崩しに奪われている。

そんな日常が人生を作っている。それを忘れずにいたい。

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