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元には戻れないけれど

 会社と復職の相談をした。元の職種に戻るつもりで居たら、他の部署を提案された。結局今までと同じところにしたけれど、時間も思っていたより短めからスタートできそうで、拍子抜けだった。わたしだけが焦っているようだった。

 3ヶ月休職したことで、少しずつ生活を取り戻すことができた。最初は横になるだけ、天井を眺めるところから、身体を起こして家事ができる、散らかし放題の部屋を片付ける、行きたかった場所に行ってみる。だいぶ進歩した。もう、元気なのだろうか。

 元気です!と言うことに、なんとなく抵抗がある。以前のわたしを本調子と呼ぶなら、あの状態にはきっと戻れない。現状の再生産になってしまうから。しかし、"愛想よく親切に"が、わたしの処世術で、これ以外の方法を知らずに生きてきた。辛いとか苦しいとか、口に出すのが上手くない。元気に見えるならいいかと考えるけれど、なんだか心が軋む。

 だからといって、腫れ物のように扱われるのも気が引けるが、会社側としては、以前任せていたことも、到底させられないのだと痛感する。どちらも痛いなんて我儘だ。自ら口をつぐんで、泣くなんて卑怯だ。

 いつだって、生活は難しい。全部を放り出して逃げたくなる。足掻いていることだけは本当なのに、何も言えずに居る。優しくされても、辛くても、ただ笑うことしかできない。心の中では、聞いてくれと叫んでいるのに。いつか素直に吐き出せたら、信じてと言える日が来れば。わたしは新しくなれるのかもしれない。

 職場の人が食事に誘ってくれた。明るく楽しく話をして、おかえりと言ってもらった。この優しさがあったから、わたしは働き続けていたし、少しくらい辛くたって平気だった。だから無理もしてしまったけれど、休んだって止まったって、暖かさは変わらなくてホッとした。有り難かった。

 仕事に、社会に、戻れるか不安だった。前のわたしじゃなくても居場所はあるのか、なんて。これだけ優しくしてもらって、信じないのも卑怯だろう。戻る場所を用意してもらった。前の自分と違っても、足りなくても、きっと失くならない。

 この先どうなるか、自分にも分からない。緊張するし、恐ろしいとも思う。向き合うのはいつも怖いから。けれどわたしは、わたしなりに進みたい。背負いすぎない、無理をしないと唱えながら、一歩ずつ。

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