【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】 きっとここにしかない喫茶店で(2)
第一話はこちらです。
第二話
待ちに待った予約の日、ミカは開店と同時にai's cafeに来ていた。いざ来てみて、自分が思っていたよりも緊張してしることに気が付いた。
ミカが席について十分ほど経った頃、一人の男が店に入って来た。男はマスターを見つけると、手を挙げて「よっ」と言って笑いかけた。そして和やかな雰囲気でマスターと話している。元々とても人当たりのよいマスターだが、今は普段にも増して当たりがよく楽しそうだ。そんな二人の様子はどこかいたずらめいていて、ちょっとした悪だくみをしているようにも見える。
そのまましばらく二人のやりとりは続いた。そして、ミカの予約の時間になる頃、男は店の奥の方に進んで行った。マスターはミカの方にやって来て「奥の部屋へどうぞ」と声をかけてきた。ミカは案内の通り、男の後に続いた。
この喫茶店の奥にはトイレやキッチン、従業員の準備室の他に小部屋が一つある。その部屋は普段はマスターが考え事をしたり、こっそり店の試作を味わったり、経理や事務作業などを行ったりするためにあるのだが、月に二回ほどは相談室として使用される。
部屋はこの店の共犯者を名乗る男が相談屋をするためにしっかりとカスタマイズされている。相談者と対等な位置で話せるように選ばれた机とソファ、華美でない調度品、そしてたくさんのお茶が詰まった古いタンス。どれも検討に検討を重ねて、マスターと男が購入したものだ。
ミカは小部屋の前に立ち、部屋のドアを開けた。すると、そこには不思議な空間が広がっていた。雰囲気は喫茶店と似通っている。トーンは近いし、柔らかさが漂っている。でもどこか違う。緑茶とほうじ茶のような、いやモモンガとフクロモモンガのような、はてさてカプチーノとカフェラテのような⋯⋯。同じなんだけど違う。違うんだけど同じ。そんな空間だった。
一番違うのは、どこかスパイシーでエスニックな趣がある香りと、ソファから立ってこちらに向かってくる男の存在だった。柔らかいのか刺激的なのかわからない。
「ご予約ありがとうございます。この店で相談屋をしている若苗凪と申します。こちらに来てお座りください。相談される方用のメニューがありますので飲み物か食べ物を何か一つお選びください。料金は相談料に入ってます」
ミカはそのことをマスターからあらかじめ聞いていた。そして、こっちのメニューにはいつもとは種類が異なる薬草茶が存在することも。
出されたメニューを見てみると、
・薬草茶(スペシャルブレンド):ai's cafeで出しているものと同じブレンドです。
・薬草茶(すっきり):飲み口すっきり。気持ちをすっきりさせたい方にオススメです。
・薬草茶(さっぱり):飲み口さっぱり。執着や嫌な気分を捨てたい方に。
・薬草茶(スパイシー):ジンジャー強め、クセも強いです。
と書いてあった。
悩むミカを見て、男は声をかけた。
「この店の薬草茶をよく頼まれると聞いてますよ。あれはマスターと僕が配合を試して一番出来が良かったものなんです。メニューには入れなかったけど良いブレンドだと感じたものがありますし、他にもここではないと頼めない珈琲やハーブティーがありますので、ぜひお試しください」
それを聞いてミカには疑問が浮かんだ。普段ならそのまま飲み込むのだが、今日はここに話し込みにきているのだと、軽い気持ちで聞いてみる。
「そうなんですか。でもよくできたものが他にもあるのに、なんでカフェでは一種類しか出さないんですか? こちらにあるんだったらメニューに加えればいいと思うのですけど」
男はミカの質問をしっかり受け止めるように頷いてから言った。
「そうですねぇ。あんまりメニューが多いと作るときにマスターが混乱してしまうのでカフェのメニューはシンプルにしてあるのですよ」
苦笑いを浮かべながら男は続けた。
「それに、通常メニューが多くなってくると在庫を抱えなくてはならないですからね。こちらの部屋にあるメニューは種類が多いですけど、たまにしか注文されないので少量ですみます。それならこまめに管理できるので」
「あー、なるほど」
ミカは得心した様子で頷き、注文を決めた。
「それじゃあ、せっかくなので薬草茶のさっぱりをお願いします」
「わかりました。それでは今日は僕も久しぶりに薬草茶を飲みますかね。僕はすっきりにします」
そう言いながら男は古めかしい棚の引き出しから二種類の缶を取り出して、部屋の外に出た。
「薬草茶のさっぱりとすっきりを一つお願い!」
通りが良く落ち着きをはらんだその声にミカは期待を膨らませた。
それから「今日天気はいいですね」なんて世間話をしているうちにマスターがやって来て、お茶とお菓子を運んでくれた。
いつもと違ってやや大きめのポットにカップにお茶菓子二種類が二種類ある。今日はミニどら焼きと抹茶クッキーのようだ。相談部屋で頼むとお菓子が二つもついてくるらしい。
ミカは「ありがとうございます」と言って受け取った。そして二人してカップにお茶を注いだ後、男は真剣なような微笑んでいるような、非侵襲な表情を浮かべて声を発した。
「さて、それでは始めましょうか。まず差し支えなければ、お名前と生年月日、あとは住所を紙に書いていただけないでしょうか。ここは相談所なんですけど、占い的もやっておりまして、そういう情報があると役立つのです。書いていただいた紙は相談が終わったらお渡ししますので、情報がこちらに残ることはありません。気にされないのでしたらこちらで処分することもできます」
男は紙とペンをミカに差し出した。ミカはためらう様子なく紙に名前と生年月日と住所を書いた。
「ありがとうございます。それでは、いま気になっていることをお話しください」
相談屋に予約をしてから二週間、ミカが待ち望んだ時間がやっと始まった。
それから三十分間、ミカは洗いざらいすべてのことを話した。それどころか最近は白菜が高いとか、会社にある自動販売機のラインナップが気に入らないとか、そんなことまで話してしまっていた。というのも、男の相槌があまりにもミカ好みに返ってくるものだから、口も滑らかになって、言う必要のないことまで話してしまったのだ。
そしてこの薬草茶(さっぱり)。味はもちろんだが、飲んでいるうちに胸の奥からさっぱりしたい気持ちがこみ上げてくる。いつもの薬草茶のほっとするような風味とは違って、さらさらと体の中に流れていく。始めの方に飲んだ分はもう血になってミカの体中を駆け巡っているかのようだった。
ミカの話がひと段落すると、男は相槌や話をまとめて確認するだけだったところから一転、質問を投げかけてきた。
「なるほど。お話はわかりました。そこで一つお尋ねしたいのですけれども、別れを告げられた彼やあなたを裏切ったご友人のことは、事が起きる前から本当に好きだったのですか?」
「えっ?」
ミカは調子外れの声を出して「そんなの当たり前」と言いかけた。だが声は出て来ず、頭は動きを止めてしまった。男は続ける。
「まずはご友人のことですが、出会った頃の様子はどうでしたか? はじめから自然に仲良くなれた感じでしょうか?」
ミカは反射的に「そうだったと思います」と言おうとしたけれど、突然あの友人と出会った頃の記憶が頭に浮かんで来た。確か、最初は合わなそうだと思っていたのにも関わらず、寂しさと孤独に紛れてくっついていたのだった。
静かに記憶を手繰り寄せるミカは、一瞬男の顔を見た。ミカの目に映る男の瞳はなんだか透き通っていて、優しさと悲しみをまとっているような色をしていた。
一拍おいてミカの混乱が落ち着いたころ、男はまた質問を始めた。
「彼のことなのですけれど、どうしてその方と付き合うことに決めたのでしょうか?」
「え、それは⋯⋯好きになったからです。こんな人と付き合えたらいいなーと感じたからです。誰でもそんなものじゃないですか?」
ミカは心臓のあたりに手を当てて目をゆっくりつむった。
「そうですよね⋯⋯。つまりミカさんの理想というか、イメージにあった方だったのですね」
「そうです」
「それでは、そのイメージはいつ、どこでできたものかわかりますか? そしてそのイメージのような人と付き合えたらいいと心に決めたのはいつですか?」
ミカはさっきまで怒涛の勢いで喋っていたことも忘れて、思考に没頭した。そして無言でじっくり考えたあとに答えた。
「イメージがどこでできたものかはわかりません。でも昔、母や祖母と無難な恋人について話したことがあったかもしれません。内容ははっきりと覚えていませんが、そのときに持っていたイメージと近い気がしますね。二人とも『結婚するなら無難な人がいいのよ』と言っていたし、私もそうした方が良いんじゃないかと思っています」
男は口元に手をつけながら考えている。
「なるほど、そうですか。では改めて聞きたいのですが、恋人さんはミカさんの理想の相手だったのでしょうか? 心の底から好きで、離れがたかった相手ですか? それともお母様やお祖母様の意見に合う人を無意識のうちに追っていたと思いますか?」
「⋯⋯もうよくわかりません。好きだったことは確かだと思いますけど、確かにリズムが合わないことはあったし、噛み合わないことも多かったです。でも、そんなものですよね? 百パーセント噛み合う相手と好き合えるわけでもないんだし」
そう言いながらもミカは胸にざわついた気持ちが発生したように思った。男は落ち着いた口調でミカに話をする。
「なんでも思い通りに行くわけではないというのはその通りだと思います。ですがそれは自分の理想を知ることとは別ではないでしょうか。相手にどれだけ求めるのかということの前に、ミカさん自身が恋人に何を求めているのか知っていくのは良いことだと思います」
男の眼差しが先ほどよりもあたたかい。ミカは目頭に熱いエネルギーを感じたがそれがこぼれないように意識を散らした。
「そうですよね。私もそう思います。でも話をしていくうちに私は段々自分のことがよくわからなくなって来ました⋯⋯」
男はミカの言葉を受け止めて、そして数秒ほど考えてから、変わらぬトーンで返事をした。
「そうですね。まずは自分の考えと体の動きをリンクさせるために、気持ちを体に聞いてみる練習をしてみましょうか。例えば先ほど、恋人さんがミカさんの理想の相手だったのか質問させてもらいましたが、その問いを自分自身にしてみたらどのような感じがしますか? 例えば最近、食が細くなっているようですから、胃や腸に話しかけているイメージで聞いてみたらどうでしょう?」
ミカは自然に目をつぶって、お腹に手を当てて心の中で聞いてみた。
「⋯⋯理想ではなかったという感じがします。不思議な感覚があって、ちょっと自分がおかしくなってしまったようにも思うけど、安心感もあります」
ミカの話を聞いた男は一瞬止まったが、すぐ笑顔を浮かべながら言った。
「確かに始めの方は奇妙な感覚がするかもしれません。例えば、自分が自分でないかのような気がしてしまうかもしれないですね。でもそれはこれまで体の感覚を軽視していたから起きることなのです。最近の不調にはその辺りが関係していると思いますので、この訓練をゆっくり続けてみてください。とはいえ、食事がなかなか入っていかないのは問題です。もしあと一週間経っても回復の兆しが見られない時は胃腸を医者に見てもらわなくてはなりませんし、気分の落ち込みもあと三週間続くようでしたら、専門の医者に相談しなくてはならないですね」
「はい」
ミカはこれまでにないはっきりとした口調で返事をした。
「さて、相談事に関してはそのような感じです。一度自分の価値観を洗い直してみて、そして頭で考えたものではなく、体で感じたことを信じるように意識して生活を送ってみてください」
「分かりました」
ミカはいつのまにか男のいうことを正しいこととして受け止め、自分がとても素直になっていることに気がついた。もしかしたら男にだまされているのかもしれないと思ってきたが、実害があるわけでもないので、この世界観に一度浸ってみることにした。
ミカの心の動きに共鳴したように相談屋の男は佇まいを直して、これまでよりもだいぶ胡散臭く、だがまっすぐな瞳をミカに向けた。
「そしてこれからは占いパートなのですが、まぁ僕のインスピレーションをお話するだけなので、だまされたと思って聞いてください」
ミカはもうすでにだまされる覚悟を作っていたので、ただ頷いて男の話を聞いた。
「僕の占いでは、ミカさんには『整理する』才能があります。具体的なものでも、アイデアや情報などの概念的なものでも、どちらでも大丈夫ですが、概念的なものの方が得意そうですね。情報を取りまとめて整理したり、部屋の模様替えをしたりするのが好きだったりしませんか?」
「⋯⋯その通りです」
「そうですか。自分の道がわからなくなったら、その気持ちを思い出して、何かを整理してみると良いと思います。ですが、意固地になって突き進んでしまうこともありそうなので気をつけてくださいね。ミカさんらしい行動であっても過剰になってきたら逆効果ですから⋯⋯。そういう時には内側から外側に広がっていく渦のマークを思い浮かべてください。きっと落ち着くと思います。逆に自分を見失ったときは三角形ですね。少し尖った形のものを身につけると自分らしさに触れられると思います」
そう言いながら男は紙に渦のマークとやや鋭角の二等辺三角形を書いた。男の言う通り、確かにそこには自分らしさと平穏さが宿っているような気がした。
「わかりました。意識してみます」
ミカは帰ったらお守り代わりにマークを書いた紙を持ち歩こうと思った。
「ミカさんは『整理する』のが得意なので、話を聞く限り転属してからの仕事の方が合っているような気がするのですがどうでしょうか?」
「え、あぁ、確かにそうかもしれません。最初はつらかったですが、だいぶ慣れてきましたし、仕事自体に不満はないですね」
「本当にお辛かったでしょうし、様々なことが重なってショックだったと思います。慣れない生活をするだけでもストレスになりますからね。ですが、これまでのお話を聞いて、そして僕の独断と偏見をまとめると——」
なんてまとめ方だと思ったが、もちろんミカは口を出さなかった。
「ミカさんを取り巻く環境はほぼ好転しているように思えます」
「はい?」
「腹の底から理想だと思うわけではない恋人と別れ、自分の体や心と向き合う覚悟を決めました。今回のことを契機に偽りの親友があぶり出されました。そして、自分の能力や才能を活かせる仕事を始められました。上司の厄介さは確かに問題ですが、もう一度自分の心と向き合って仕事に気持ちを開いてみてください。そうすれば事態はゆっくりと好転していくはずですよ」
男はそう言い切った。そして軽く一呼吸してから続けた。
「ミカさん、よく頑張ってきましたね。もう大丈夫なのです。めくるめく変化は終わったので、あとは少しずつ新しいやり方に慣れていくだけですよ」
その言葉を聞いてミカの目からひとしずくの涙が流れ落ちた。
ミカは苦しんでいる自分に随分ひどいことを言ってくれるなと頭では思っていた。言い返してやろうとも思った。だけど、その声も表情も空気感でさえも今までで一番優しくて、肩の力が抜けた。すると、表面にまとった怒りを突き破って安堵感が湧いてきた。
ミカは「もう怯えなくていいのかもしれない。もう身構えなくてもいいのかもしれない」と思った。ここまで、信じられないことが続きすぎて、また何か悲劇が起きるかもしれないと思っているうちに、すっかり張り詰めてしまったのかもしれない。
でも、変化は急だったけど、男の言うことは間違いじゃないんじゃないかとミカは思い始めていた。いや、少し前の自分だったら見当違いだと吐き捨てただろう。だけどさっきから胃が、腸が、ほんのり温かく緩んでいるのがわかる。頭で否定しても、体の方が肯定してるような気がする。
この感覚はなんなのだろうとミカは考える。もしかしたら「これが自分への愛なのかもしれないな」なんて普段は考えもしない言葉を頭に浮かべて、薬草茶を飲み干した。
「それでは時間になったので、相談の方は終わりです。ここに来られた方には僕の印象でお茶をいくつかお渡しすることにしているのですが、ミカさんには薬草茶のティーバックを何種類かお渡ししますね」
男は棚の方を向いてゴソゴソと動き出した。
「もし気に入ったものがあったら今度来たときにマスターにこっそりと注文してください。ミカさん一人の分でしたらカフェの方でもお出しできるので」
男は悪戯っぽい笑顔を浮かべて、小さい紙の袋に入ったティーバックをミカの前に差し出した。
「あと、今日の覚悟を意識しやすくするために魔除けのポプリもお渡ししますね。自分の家の中で一番淀んでいる気がするところにおいてください」
窓のそばにあるガラスの入れ物からポプリをひとつまみ、ふたつまみ、さんつまみ。袋に入れて閉じて渡してくれた。
「それではまたどこかでお会いしましょう」
男にそう言われてミカは反射的に立ち上がり、部屋を出た。
次話はこちらです。
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