<創論>都会のひとびとll

無事、私は準最難関大学に推薦入学が決まった。(こういういい方は好きじゃないけど、頑張ったから言わせてください)

思いをはせれば、私は約1年前にnoteをはじめ、
(それは、塾帰りにすれ違う都会の人々を思ってのことからはじまった。タイトルは、都会のひとびと みたいな感じだった。かっこつけるなよ..)
気づけば、はじめていた。
それはなんとなく、どこかにいる、世界のどこかに居たあなたに、
私という人間が感じたことを、共有できればいいなと思ったからだ。
あれから、1年たって、いろいろなことがあった。
正直言って、つらかった。
私のよくわからない病んでいる投稿を読めば、よくわかるとおもう。

幾たびも、
自分がわからなくなって
自分が嫌いになって
結果に浮かれ、そして泣いて。
そして、あるいは、たくさんの人と出会い、
裏切り、別れた。
さよならも言わずに消えた方が、あなたのためだろうと思い、
何も言わずに別れた人もいた。
こんなに辛いことって、あったんだろうか。

1年前はただ、目の前にあることに必死だった。
多分1日も勉強から目を離したことなんてない。
その成果が、今の私を導いてくれた。

でも私がnoteを書いて、少し未来のことも考えたと思う。
1年後、何をしているんだろうって。
ああ早く終わらないかなって。


 先日、受験が終わったら行きたかった美術館や映画館に、一人で足を運んだ。(やっぱり一人は最高だった。)
 都会は大勢の人でにぎわっていた。
 一人でいると、周りに目がいくから、人の表情がよく見える。
 スマホいじってるやつ、マスクはずしてるやつ、なんか交差点で叫んでるやつ。かっこいい服着てるやつ、露出激しいやつ。これがほんとの人種のサラダボウルか、と思いました。
 昼間にいったから、星は見えなかったし、やっぱり、都会じゃ星は見えなかった。明るすぎて、いろいろ激しくて。
 だから、1年前と同じ。相変わらず都会のひとびとは忙しくて、空を見上げるヒマなんてない。それに星なんて、みえっこない。
でもちょっとかっこつけると、見えない星ばかり探すんじゃなくて、自分の中にある星を見つけられたんじゃないかと思う。
 一年前には見つけられなかった星は、空じゃなくて、自分の中に刻まれていたんじゃないかなって。一瞬一瞬がすべての自分を作り上げている。
 哲学用語でいえば、知覚の束。
 すべてが愛おしい時間だった。

 来年大学に入学し、新しい環境、人間たちに出会うことになる。
一体どんなことが待っているのだろう。何が私を突き動かすだろう。
私はそんな胸の高鳴りを感じている。

 私の周りには今から大学受験に挑む人々がいる。
納得のいく大学に入れるよう、頑張ってほしい。



都会のひとびとはなにを思うか。こんにちの都会のひとびとの心臓は何に高鳴っているのか。そうしておのれの心臓の音を聞けているか。生きる探求心を、すみずみまで流れる血を、ひとびとはあたたかいと感じているか。

 ここで思い出した。わたしはぽつりぽつりと降る雨を気にしていた。そうして、ふと夜空を見た時一点だけ星を見つけたのだ。わたしは行き交う都会のひとびととすれ違い、その場でたちすくんだ。そうしてはっとして、しばらく歩いて、信号待ちをしているときに、もう一度星空を見てみた。

 そこに星は無かった。

 しかし、行き違うひとびとそれぞれに、人生があって、
それぞれの選択と答えがあって、悩みながら生きている。
今の都会は明るくて、星なんて見れたもんじゃない。
だから自分なりの星を、一瞬でも刻まれたその星を、
心に持っていれば。

大丈夫。
きっと、きっと生きていける。
18年間生きてきて、そう心から感じた。


受験を終えた、
肌寒い冬に記す。


2022.12.25.


p.s.
ハートをくださった方々へ
よくわからない投稿の数々に、貴重なお時間を使っていただき
ありがとうございました。
少しでも私は成長できたんでしょうか....ネ。
これからもよろしくお願いいたします。
では、多分、2023年にお会いしましょう。
よいお年を。

 



 



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