出エジプト伝承:海の奇跡とシナイ山伝承(どのようにして聖書は書かれたのか #13)

今回も、紀元前1300年頃から1200年頃までの話をします。

出エジプト伝承に含まれる2つの重要な要素、すなわち「奇跡物語」と「シナイ山伝承」の起源についてお話ししましょう。

『出エジプト記』によると、モーセは同胞イスラエル民族を奴隷労働から解放しようとするのですが、エジプトの王ファラオはこれを断固として許しません。すると、そんなファラオを脅すかのように神は様々な奇跡を起こします。たとえばナイル川を血で染めたり、太陽を隠したり、エジプトに疫病をもたらしたり、などなど。こうした奇跡物語の背景に何らかの歴史的事実、つまり赤潮とか日食とか伝染病の流行などが実際にあった可能性は否定できません。しかし、おそらくは、なんとかエジプトから脱出してきた逃亡奴隷たちによって、あるいは彼らの物語を語り継いだ者たちによって、後から創作されたフィクションでしょう。

イスラエル民族にとって、エジプトは軍事・経済・文化すべてにおいて圧倒的な存在でした。また、たびたびパレスチナを侵略しては他国との領地争いの舞台にして荒らしていきます。「驕りたかぶったファラオとエジプトも我らの神ヤハウェの前では無力だ」「イスラエル民族の神はエジプトの神々よりも強いのだ」という奇跡物語のストーリーは痛快なものであったことでしょう。

さて、奇跡物語のクライマックスといえば、有名な「海が割れた奇跡」です。すなわち、「エジプトから逃げる途中、逃亡奴隷たちは海岸に追い詰められてしまった。そこでモーセが神に祈ると、海が真っ二つに割れたので、みんなで乾いた海底を渡って向こう岸に渡った。しかし、追っ手のエジプト人たちがこの後を行こうとして海底に足を踏み入れたとたん、水はもとに戻ったので、彼らはみな溺れてしまった」という話です。これも単なる創作に過ぎないのでしょうか。

『出エジプト記』を見てみますと、「海が割れた奇跡」のすぐ後に「ミリアムの歌」という短い詩が引用されています。そこには「海が割れた」という表現はなく、ただ「(追っ手である)馬と乗り手を神は海に投げ込んだ」とあるのです。もし、この詩が伝承のかなり古い形を残しているものだとすれば、本来は「追っ手たちが海に落ちた」というだけの話であったのが、だんだんと尾ひれはひれがつけられて、現在知られている物語になったと考えることができます。

そこで、こんなふうに想像するのはどうでしょう。なんとか海辺までたどりついた逃亡奴隷たち。しかしもはや追っ手たちに追いつめられて絶体絶命。みんなで必死に神に祈った、その瞬間に、地すべりか土砂崩れか何かが起きて追っ手たちが海に転落した…。奴隷たちにとって、これは「偶然起きた幸運な出来事」などではなく、まさしく「神が起こした奇跡」だと感じられたことでしょう。というのも、前回お話ししました通り、当時のエジプト・パレスチナ間の国境地帯は厳重に警備されていましたので、奴隷たちが追跡を免れるのは簡単なことではありませんでしたから。この出来事を契機として、逃亡奴隷たちは、「神が自分たちを導いて、奴隷の身分から救い出してくれた」という信仰を持つにいたります。そして、やがてパレスチナで「原イスラエル」に合流したとき、自分たちが体験した「奇跡」について(やや誇張と創作を交えながらも)熱心に語ったのでしょう。

さて、次は「シナイ山伝承」についてです。これは「エジプトを脱出した民はシナイという山にたどりついた。神はこの山に現れて、民と契約を結び、守るべき律法(戒律)を与えた」というものです。出エジプトのクライマックスとして有名な物語ですが、本来は出エジプト伝承とは関係のない伝承だったようです。というのも旧約聖書では、出エジプトについて言及していながらシナイ山伝承を無視している記述がちらほら見受けられます。それゆえ、出エジプト伝承が成立した後、かなりたってから、シナイ山伝承がこれに付け足されたと考えられているのです。伝承の合体は紀元前1000年以降の王国時代でしょう。

本来のシナイ山伝承は、もっとシンプルに「どっかの聖なる山に神が現われた」というぐらいの伝説だったようです。では「神が民と契約を結んだ」とか「神が民に律法を与えた」という独特の発想はどこから来たのか。次回はこのあたりを含めて、出エジプト伝承に由来するさまざまな信仰について考えてみたいと思います。

なお、シナイ半島の南部に「ジェベル・ムーサ」(モーセの山)と呼ばれる山がありまして、ここが聖書に出て来るシナイ山だということになっています。しかし、そう言われるようになったのは紀元後も4世紀になって以降のことだそうです。実際にはどこにあった聖なる山だったか、まったくわかっていません。伝承の記述を読む限りは、火山っぽい印象がありますが。

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