聖書の舞台:パレスチナの周辺(どのようにして聖書は書かれたのか #02)

外国の小説なんかを読んでいると知らない地名がたくさん出てきますね。そういう時は大抵「ふーんそういう町があるのね」と適当に読み飛ばすものですが、しかしそれで本当にその作品を味わったことになるでしょうか。たとえば、外国の方が漱石の「坊ちゃん」を読むと考えてみましょう。もしその方が、愛媛の松山というのが東京からどれくらい離れたところにあるのか、その町はどんな島にあって、どんな海に面して、どんな気候であるのかについてまったく見当もつかないままに読むとしたらどうでしょう。それで作品の魅力が半減、とまではいかないでしょうが、かなり味気ない読書体験になってしまうと思いませんか。

ましてや、聖書の舞台は古代です。現代のわれわれよりも格段に自然とふれあいながら(というより、自然と闘いながら)生きていた人々の物語です。交通手段も徒歩かロバ、ラクダくらいしかありません。たとえば「エルサレムからダマスクスまで旅をした」と書いてあれば、それはだいたい東京から浜松あたりまで自分の足で歩いた、ということなのです。この距離感がわかってはじめて、聖書から生き生きとした情景が浮かんでくるのです。聖書に限らず、自分に馴染みのない文化から生まれた文章を読むときには、こうした地理感覚がとても重要だと思います。

さて、聖書というのは、イスラエルという民族が長い歴史の中で残して来た文書集だという話を前回しました。では、そのイスラエル民族というのはどんなところに住んでいたのか、さっそく地図を見てみましょう。

ヨーロッパとアフリカとの間を隔てる地中海。そのいちばん奥、南東の端っこの沿岸地帯が聖書の舞台であるパレスチナです。地中海とアラビアの砂漠(現在のヨルダンやサウジアラビア)とに挟まれた、南北に細長い地域です。ここにイスラエル民族は住んでいました。(といっても、はじめからここに住んでいたわけではありません。それにイスラエル民族という一つのまとまりが太古の昔から存在したわけではありません。縄文人やら弥生人やら渡来人やらが混ざりあって徐々に日本人という民族がまとまってきたのと同様です。このあたりのことは、また後でお話ししましょう。)

パレスチナの周辺を見てみましょう。南西の砂漠を越えていくとナイル河の河口、エジプトにたどりつきます。海岸沿いに北に行くとフェニキア(現在のレバノン)やシリア(現在のシリアの首都ダマスクスあたり)があります。さらにそこから東に行くと、ティグリス川・ユーフラテス川が流れており、この二つの川の間はいわゆるメソポタミア(現在のイラク)と呼ばれる地域です。上流部をアッシリア、下流部をバビロニアと呼ぶこともあります。さらに東に行けばペルシャ(現在のイラン)があります。

エジプト、フェニキア、シリア、メソポタミア、ペルシャ…。古代史に名を残すそうそうたる地域がパレスチナを取り囲んでいます。特に世界四大文明のうちの2つ、エジプトとメソポタミアとをつなぐ渡り廊下のような位置にあることは、この地域の歴史に大きな影響を与えました。パレスチナは、交易によって繁栄を享受することもありましたが、同時に、巨大な帝国たちの陣取り合戦に巻き込まれてしまうことも多くあったのです。パレスチナから地中海沿岸を北西に行きますと小アジア(現在のトルコ)、さらに行くとギリシャがあります。もっと行くとローマ帝国の本拠地イタリアがあります。これらの地域に生まれた大国も後にパレスチナでの陣取り合戦に参加することになります。

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