出エジプト伝承:逃亡奴隷たちの物語(どのようにして聖書は書かれたのか #12)

今回も、紀元前1300年頃から1200年頃までの話をします。

たった数人から数十人程度の逃亡奴隷たちが語る「(フィクションを大いに含んだ)体験談」であった出エジプト伝承。やがてこの伝承は部族連合「原イスラエル」を構成する人々に広く受け容れられ、ついには「イスラエル民族全体がかつて体験したこと」として、民族アイデンティティの根幹をなすまでになります。いったい何が人々をこの伝承に引きつけたのでしょう。

ひとつの要因として、出エジプト伝承は当時の人々にとって相当なリアリティをもった物語であった、ということがいえます。パレスチナはかなり乾燥した地域ですから、干ばつが続いて牧草が枯れてしまいますと、困窮した牧羊民たちがナイル川の豊かな水を求めてエジプトへ流れ込むということがしばしばあったようです。ですから「パレスチナから難民としてやって来た牧羊民たちがエジプトに住みつき、奴隷として働いていた」という物語の設定は現実に十分起こり得たことです。(ただし、その難民がヤコブの子孫たちだったという設定は、出エジプト伝承と族長伝承とが組み合わされる際に付け足された創作でしょうけれども。)

それに、以前お話しした通り、「原イスラエル」を構成していたのは紀元前1300年代の混乱したパレスチナで行き場を失った、農民や牧羊民、それから都市の下層民や奴隷たちでした。そんな彼らにとって、奴隷たちがその境遇から解放される出エジプト伝承の筋書きは、大きな共感をもって受け止められたことでしょう。

なお、出エジプト伝承によると、エジプトで奴隷となっていた人々は「ヘブライ人(原語イブリー)」と呼ばれていました。これは、エジプトで主に建築作業に従事していた非エジプト系の寄留者を指す名「アピル」に由来する名前ではないかと言われています。面白いことに、この「アピル」は、以前この連載の第5回に登場した「ハビル」と同じ語源に基づく名のようです。(ハビルとは紀元前1300年代にパレスチナに現れたアウトロー集団です。)「よそ者」かつ「正式の市民ではない=通常の社会秩序に含まれない」人々という意味でアピルとハビルは共通しています。

ここで少し考えてみたいのですが、そもそも「ハビル」は略奪やら傭兵稼業やらで、紀元前1300年代のパレスチナの混乱に拍車をかけた存在です。一方「原イスラエル」は、その混乱から逃れた人々の集合なのでしたね。しかし、「ハビル」の「ごく一部」が原イスラエルに合流していたとしたらどうでしょうか。もしそうだとすると、「ハビル」にルーツを持つ人々にとっては、エジプトでの「ヘブライ人=アピル=ハビル」の物語である出エジプト伝承は、まさしく「自分たちの物語」かのように思われたことでしょう。

このように見てきますと、出エジプト伝承は「原イスラエル」の人々にとって大変受け容れやすい物語であったことが分かります。だからこそ、この伝承は好んで語り継がれ、やがてはイスラエル民族のアイデンティティの一つへと発展し、「自分たちの祖先みんなが体験した事実」として扱われるようになったのでしょう。

さて、次回は出エジプト伝承の物語の中でも有名な「海が割れた奇跡」と「シナイ山伝承」について考えます。

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