ヤハウェ信仰の始まり:排他性・契約・人格神(どのようにして聖書は書かれたのか #15)

今回も、紀元前1300年頃から1200年頃までの話をします。

エジプトからの逃亡奴隷たちが荒野で生き抜いていくなかで、自分たちを守ってくれる神としてのヤハウェに対する信仰が生まれました。そして、エジプトでのアマルナ改革の失敗が、このヤハウェ信仰の成立に少しばかり影響を与えたかも、という話でしたね。今日は、このヤハウェ信仰が持ついくつかの特徴についてお話しします。

まず1つ目に相互的な「排他性」です。すなわち、ヤハウェは逃亡奴隷たちだけを自分の民として選んでおり、それ以外の者たちの神ではありません。そして、逃亡奴隷たちは他の神ではなくヤハウェだけを信仰します。神が民を選び、民が神を選ぶ、どちらの選びも排他的なのです。ヤハウェは「この民だけ」の繁栄を手助けし、民は「ヤハウェだけ」を信頼し、忠実になるのです。

「神によって選ばれた自分たち」「自分たちだけの神」というこの考え方は、ずいぶん手前勝手で傲慢な発想にも思えますが、しかし逃亡奴隷たちがおかれた状況を考えてみると、以下のように、その成り立ちを推測することができます。

①エジプトからの逃亡に奇跡的に成功したという事実は、「自分たちだけを救ってくれた神」への感謝へとつながります。
②これからあてもなく荒野をさまよわなければならないという絶望的な状況は「神は自分の民である我々を救ってくれる」という希望を必要とします。③ヤハウェへの信仰を柱とすることで、雑多な出自を持つ逃亡奴隷たちが「一つの選ばれた民」として一致団結して生き抜いていくことができます。④「荒野での苦しい生活なんかよりも、豊かさをある程度は享受できていたエジプトでの奴隷生活に戻りたいなあ」という誘惑を断ち切るためにもヤハウェ信仰は作用します。なぜなら、そのような誘惑に屈することは自分たちを選んで救い出してくれたヤハウェを裏切ることになるからです。

さてここで2つ目の特徴「契約」が現れます。神と民とは「神は民を救ってあげる」「民は神を信仰する」という相互契約を結んでいるのだ、という考え方です。(よくよく考えてみると、人間をはるかに超えた存在であるはずの神が、きわめて人間的な「契約」などというものに応じるというのは変な話です。じっさい、後のユダヤ教はこの矛盾を乗り越える方向へと向かいます。)

「シナイ山伝承」というものがありましたね。以前お話しした通り、本来は「シナイ山に神が顕れた」というシンプルな伝承であったらしいのですが、ここに後から「契約」やら「律法」の概念が加えられた結果、「シナイ山に神が現れた際に、神と民とは契約を結び、その契約を履行するために民には律法が課せられた」となります。(そしてこの契約のことを指して「旧「約」聖書」という言葉が生まれるのですが、これはまた後の話。)

最後、3つ目の特徴は「人格神」です。「原イスラエル」が信仰していたエルが抽象的な神であったのに対し、ヤハウェは具体的で、愛や怒りや妬みも示す感情的な神として描かれます。民がちゃんと契約を果たさないと、妬み、怒るわけです。

他にいくつか、豆知識的なこともお話ししておきましょう。

①「ヤハウェ」という神の名前ですが、時代が下るにつれて神への畏怖ゆえに人々はその名を口にしないようになり「アドナイ(主人という意味)」と読み替えるようになりました。その結果、元の読み方がわからなくなってしまい、後にはエホバなどと推測されることになります。現在は言語学的な研究の結果、「ヤハウェ」という名前であった可能性が高いとされています。

②後のキリスト教では「父なる神」という言葉がよく登場するようになりますが、これはかなり時代が下ってからのイメージです。少なくとも旧約聖書では、神の父性がことさらに強調されることはほとんどありません。旧約聖書を読んでいてヤハウェが出てくると、つい白髪・白ヒゲのお爺さんを思い浮かべてしまいますが、当時の人々はそんなイメージを抱いていなかったのかもしれないわけです。ただし「神」という単語は男性名詞として扱われます。これは男尊女卑的な発想に基づくものでしょう。

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