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私がキャリアを考え時始めたきっかけ


私のアスリートとしての歩み

私は平成元年に青森県に生を受け、親の転勤の影響で県内あちこち引越しを繰り返したり、入りたい高校に合格できず、高校浪人したりしながらも高校卒業まで青森県内で過ごし、中でも中学から始めた陸上競技には青春を費やし、高校でもその時間の多くは陸上、ハードルに捧げていました。
大学はインターハイ予選である東北大会の400mハードル決勝で転倒し、このままでは辞められないと、陸上競技の名門である筑波大学へと進学しました。
高校まではハードル専門の先生もおらず、自分達で本や合同合宿で得たものを練習に取り入れながら試行錯誤を繰り返しトレーニングをしていましたが、エビデンスや理論を持った先生に教わりながら、自身も学びながら陸上競技に打ち込みたいと筑波大学体育専門学群を選びました。
大学1年生は一番楽しく順調でした。自己ベストも更新し、関東での大学対校戦でも400mハードル2位に、リレーでも表彰台に登るなど1年目にしてはなかなかの滑り出しでした。
現実はそう甘くもなく、1年の冬には不整脈の手術をし練習が十分に積めない中、トレーニング中の手の骨折、翌冬には追い討ちをかけるように鎖骨の粉砕骨折と、この辺りは正直なかなかいい思い出がありません。そうこうしているうちにトレーニングからは目を逸らすようになっていきました。

就職観とキャリアの始まり

気づいたら就活がはじまり、憧れていたパイロットになるべく就活をしていました。パイロット職では内定をもらうことなく、他に何かしたいのかと考えている間もなく、就活は後半戦へと進み、なんとなく飛行機を飛ばす仕事がしたいと航空会社の総合職に内定をいただきました。
パイロットとは違えど、地上のパイロットという運航管理者(Flight Dispatcher)を目指すことになりました。人生で二番か三番というほど勉強をし、国家資格の取得を目指し2017年の7月に無事に国家資格を取得します。そしてその勢いのままに2018年から航空会社で運航管理者として従事しています。現在は国内線を1日7-8人で約800便の1便1便の運航可否判断、搭載燃料量や飛行経路、飛行高度の選定をしています。

キャリアの迷走

ある意味手に職をつけ、経験も積み、いよいよこれからのキャリアを考え出したときに2020年、コロナウイルスのパンデミックが起こりました。
会社は急いで足元の資金調達のため、大量の融資を受け、社内では月々の給与カット、生活給だと会社も明言していた分のミニマムの賞与もカットと、慌ただしく状況は変化をしていきました。
私もおちおちしていられないなと2020年の夏前には副業を始めるため貯金を叩いてWebのデザインスクールに通ったり、スポーツ好き故、ハードルの家庭教師をしたり会社以外での時間で活動量を増やしていきました。お金はいただけるけど、どこかにスッキリしない自分が見え隠れしており、この気持ちはなんなのかとモヤモヤしながらも目の前の毎日に必死でした。

師との出会い

そんな日々を過ごす中でTwitterでとある人物に出会うのです。
その人が成瀬拓也という人物。ご存知の方もいるかもしれません。
最初はこんな人もいるのかすごいなと尊敬をするだけでしたが、次第にその想いに惹かれていきました。後から知るのですが、大学のしかも陸上部の先輩であるとまあ人生は狭いなと思いながらもこれも何かの運命かと思い、弟子入りを志願。
それからというもの、成瀬拓也の想いや考え、描く理念に触れながら自分と向き合う時間をいただくことができました。
これまで航空会社で達成したいこと、目指してきたものは叶えてきたといった思いがありました。10代も20代も自分の成したいことに時間を費やし、そこにひたすら向かっていた人生だったなと。次は自分のためではなく、人の人生に直接的に役立つこと、貢献できることがしたいんだと自分と向き合う中で気づいてきました。

私の志

ではどうやって誰に向き合うのか?スポーツに向き合い続けた10数年、スポーツの魅力も、アスリートがスポーツに向き合うことの素晴らしさも知っていたし、引退後もアスリートからもらう夢や希望、熱くなる気持ちの素晴らしさを感じていました。私の想いと相まってアスリートに何か貢献したいと考えるようになります。
どう貢献するのか?世の中を見渡しても現役中のアスリートには注目や光が集まることは知っていました。では引退後のアスリートはどんな生活をしているのか、ネット記事やニュース、知り合いをつたって声を集め、引退後のキャリアに苦しんでいる層が一定数いることをまざまざと感じたのです。みなさんもアスリートの引退後の生活やどのように今を生きているのか知っている人は少ないのではないでしょうか?テレビで見かけたり、事業に成功しているのはごく一部ですし、それ以外のアスリートの存在は忘れ去られていくことがほとんどです。でも、彼らも注目を浴びたり、脚光を浴びずとも今を生きているのです。その生活にキャリアがもたらす悲しみや苦しみがなければいいなと思うわけです。もちろん新しいことを始める苦労はあって当然ですが、そこを乗り越えた後も報われない、いいように社会に使われるだけだとしたらこんな悲しいことはないと思っています。一人でも多くのアスリートが引退後も安心して挑戦できる、そんな社会にしたいなと思っています。
私が自身のキャリアを見つめ、他人のキャリアをも見つめた上で、引退後のアスリートにもそのエネルギーを絶やさず人生を歩んでいただくための「アスリートのキャリア支援」これが私のやりたいこと、実現したいことになっています。

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