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なぜぼくはいつも怒っているのだろう

下記Facebookに書いたものをここにも残しておきます。

僕は僕のつくるものに何が足りないか、それを知ることを積極的に求めてきたし、真摯な批評には真摯に、雑な批評には雑に受け止め、あるいはそれは不特定多数の人間に僕の才能を矮小化する印象を与えたとしてもそれで一向に構わなく、いずれ大太刀でやり返すのみと思いながら言葉を待っていた。けれどももう、正直なことを言うと、業界が僕に呆れるよりも(呆れてるの?や、しらんげと)ずっとまえから僕はもうこの業界のていたらくに呆れている。[がんばってるひともいる]知ったことか僕の方ががんばってる。と言ったところで知ったことかだろうそれとおなじだ。多田淳之介氏が[若者よ画面は舞台上ではない]と焚きつけるそのアジテーションが僕の活動へのエアリプだったとしても、鵜呑みにしうっとりするほど浅はかな覚悟で僕はやっていない。あくまで画面を舞台上に見立てることが可能だと言い張る。あるいは彼が僕など眼中になくそうした言葉を駆使したのだろうとしても次の決意がぶれることは決してない。[演劇はもっとも自由で広大無辺である。空間が存在する限り演劇は可能]
三話の初日は100人以上が観てくれた。千秋楽までに1000人以上、もっといけば2000人以上の動員があれば小劇場演劇の興行は御の字といわれている。一話はもう少しがんばれば2000人いきそう。二話はまだまだ。音楽家がPVをYouTubeにアップする、よりも遥かに演劇家はYouTubeをまだまだ有効利用できていない。むろん僕も含めである。
惑わされるな、いや惑うつもりもない。2020年9月30日午後4時21分がくるまで僕はつくることをやめない。



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