見出し画像

深夜の中央線、乗り過ごし客

 
 コロナ渦で緊急事態宣言になってよろこんでいる人は少ないが、もしかしたら、通勤電車の終点に勤務する駅員さんたちはその例外かもしれない。乗り過ごした酔っ払いたちを捌く、という仕事が減ったからだ。
 
 中央線の高尾駅は、乗り過ごした酔い客が多いことで有名な駅だった。リヤカーが常設してあって、どうしても起きない客を乗せて改札まで運ぶ、という話を聞いたことがあった。
 
 中央線の小説を出版することが決まったとき、ぼくは現地調査に行ってみた。やはり中央線が好きで小説を書いたのだから、中央線に関するいろんなことを見聞きしてみたかった。乗り過ごし客たちの動向など、特に興味があった。
 
 とはいえ、自分まで乗り過ごしの一員になったら困ってしまう。それで、高尾駅にあらかじめ車を置いておくことにした。それで最終電車に乗って、高尾で現場調査をして車で引き上げようという算段である。
 
 曜日としては、金曜がいいだろうと思った。週末の夜で、ワッと開放的になる曜日だ。ひと時代前には「花金(はなきん)」なんていう言葉もあった。そして、寒い日を選んだ。やっぱり乗り過ごしという行為には、ちょっと悲壮感が欲しい。「あぁやっちまった」となったとき、Tシャツ1枚ですごせるのとこごえているのとでは、だいぶ雰囲気がちがう。
 
 肌寒い春の金曜夜遅く、ぼくは高尾まで車で行って、近くのコインパーキングに止めて駅に入った。そして立川に向かった。
 
 新宿や東京から、というのが本格的だが、混み合って面倒だし、そこは端折った。まぁ立川で充分だ。立川でいったん改札を出て、すぐ入った。そして数本見送って、その晩の高尾行き最終電車に乗り込んだ。
 
 そんなに混んではいないが、座れるほどではない。ぼくはドア横に立ち、車内の様子を見ていた。
 
 座席のお客はほとんど寝ている。うつらうつら、という感じの人が大半だけど、顔を上に向けて口を開けて寝ている人もいる。乗り過ごしてしまった客だろうか。
 
 八王子でかなりすいた。そこで、「ヤバいっ!」という感じで慌てて降りていった人も何人かいた。乗り過ごしたのだろうけど、彼らは決定的な悪手とはならなかったはずだ。ここから高尾まではたった2駅だけど、駅間の距離が長い。ここで上り方面に引き返すのと高尾からのそれでは、かなりの差だ。
 
 ぼくは中央線の自著『だいだい色の箱』の中に、1遍、乗り過ごしの話を書いた。八王子の串焼き屋さんで、年配の男2人が会う話だ。彼らは元からの友達ではなかった。乗り過ごしてひと晩すごした高尾駅近くのお寺で、仲よくなって、それで飲み友達となったのだ。
 
 お寺のことは、大学時代にアルバイト先で聞いた話だった。駅近くのお寺が、乗り過ごした人たちのたまり場となって、冬はたき火をしているということだった。本当のことかどうかは分からない。今はないと調べて分かっているが、当時はあったのかもしれない。
 
 小説の舞台となる店は、『小太郎』というやきとり屋をイメージして書いた。今は大きくきれいになった『小太郎』だが、旧店舗だった頃は2店舗あり、うちの1店舗は年配の男がひっそりと飲むという設定に合う、あじのある内装の小さな店だった。今は風情がちょっと薄れてしまったが、メニューと味は変わらない。

 

小太郎

(大きくなった、やきとり小太郎)
 
 高尾駅に着いた最終電車は、一刻も早く客をはき出そうという感じだった。乗務員が、眠り込んでいる乗客に次々声をかけて起こし、降りるように促す。多くはよたよたと降りていくが、なかなか起きない人もいる。また、1回起きてまた眠ってしまう人もいる。ぼくはホームからそのさまを見ていた。
 
 そして、のそのそと歩く酔い客と同じ足取りで、改札へと向かった。この駅はタイプ別に分けると「くし型ホーム」で、東京寄りの車両は甲府方面に設置されている改札までひたすら歩かなければならない。
 
 この人たちは、酔っているから足取りが重いのか、それとも寝過ごして困っているからなのか、ぼくはちらちらと見つめながら歩いた。
 
 この日、リヤカーは見なかった。果たしてリヤカーは出現する日があるのか駅員さんに聞いてみたかったが、なんとなく聞きづらい雰囲気だったのでそのまま改札を出てしまった。
 
 タクシーを待つ列ができていた。この中には、かなりの距離、戻る人もいるはずだ。聞いていってみたかったが、白タクと間違えられそうなので控えた。
 
 それから缶コーヒーを1本飲むくらいの時間、そこにいた。特にどこかに向かう集団もなければ、意外にも途方に暮れている人も見当たらなかった。こういうものは複数回通わなければ、衝撃的な場面に遭遇しないものだ。タクシーの列が進んで人もまばらになったので、ぼくはそこをあとにした。

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。