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(11) 冴えない『あさかぜ3号』

(今はなくなってしまった東京駅12・13番線ホームの、夕方から深夜にかけての風景を綴った連載)
 
 
 前回(10)の記事の19時発『瀬戸』は記憶違い。19時発は『あさかぜ3号』だった。『瀬戸』はそのあとの19時25分発。
 
 間違えたのはいくつか理由がある。まず、あさかぜがそんなに続いて出るわけがないという思い込みがあった。1号と3号の間に何本か挟まっているだろう、と。
 もう一つは、『あさかぜ3号』に対する意識が薄かったこと。ぼくにとって、最も冴えないブルートレインであり、あってもなくてもどうでもいい1本だったのだ。
 
 
 『あさかぜ3号』は下関行きということで、九州まで行かない。そのため、子ども時分は格下のブルートレインという意識があった。やはり東京発ブルートレインというのは九州の地を踏まないと、という思いが強かったのだ。
 
 子どもの頃、「ブルートレイン=鉄道界の王者」という意識が強かった。そしてまた、そう思い込みたかった。だから、そう思えるような理由を探していた。ブルートレインが新幹線より優れている個所を。そしてブルートレインだけが保持する特別な待遇を。
 子どもは、自分の憧れるもの、注目するものが、その世界の王者であってほしいと願うものなのだ。
 
 新幹線より優っている最も分かりやすい指針として、走行距離がある。九州各地へと走るブルートレインは、それを分かりやすく示してくれた。なにしろ新幹線と並行して走り、その先へと延びているのだから。
 ブルートレインは、福岡県しか行けない新幹線とはちがって、九州各県に東京からダイレクトに行けるのだ。これほどはっきり分かる優劣はない。
 
 あんな機械的で味気ない新幹線よりブルートレインの方が上だ! という「反新幹線」の対抗意識を抱えていたので、ブルートレインの切符の高さはむしろ歓迎だった。なにしろ写真を撮るだけで乗らないのだから、高かろうが関係ない。高いのは、豪華さの証だと捉えていた。
 実際、ブルートレインは高かった。運賃と特急料金以外に、寝台車の料金が発生するからだ。A寝台個室など、当時1万円ちょっと。B寝台でも4,5千円かかる。新幹線より遅いのに、移動料金が高くなってしまうのだ。
 
 その王者ということの裏付けを、『あさかぜ3号』はしてくれなかった。あともう1歩踏み出せば九州という下関で、旅を終えてしまうのだ。しかもうしろ6輌は広島止まり。九州まで延びてなくても、四国をめざす『瀬戸』や山陰を行く『出雲』はまだいい。個別の特色があるからだ。しかし『あさかぜ3号』は新幹線と同じルートで尻切れトンボとくる。ブルートレインの格を落としてしまう1本として、好きになれなかった。
 もうちょっと、特色を出してくれればいいと願っていた。例えば山口線に入っての「津和野行き」だったり、それは長いということであれば、広島の少し先の「岩国行き」だったり。それなら、子ども心に許せた。津和野は観光地で、ブルートレイン人気が火をつけて鉄道ブームと広まったときに、山口線はSLを走らせた。ブルートレインが走ってもおかしくない場所だった。
 また岩国は、新幹線がとんでもない山奥に駅を造った(新岩国)ため、地域に新幹線が密着していなかった。岩国と新岩国は10キロも離れている。東京ー新宿間の距離だ。地域の人々が使いやすいのは在来線だろうから、もしブルートレインが終着駅にしていたら、それなりに需要はあったのではないか。
 
 子どもの考えに採算性はさして含まれていないが、当時の国鉄など効率とは程遠い運営(経営ではなかったと思う)をしていたのだから、ぼくの案を採用してほしかった。残念ながら工夫の感じられない『あさかぜ3号』の運行ルートは、当時のぼくを腹立たしくさせたものだった。

東京駅あさかぜ3号

 
(12)へつづく
 
 
 
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