推しが王子さまになった話。

2023年6月20日、推しているアイドルの舞台を見に行った。場所は京都、南座。

アイドルは演劇の舞台にも立つ。言葉にしてみれば当たり前のことにも感じる。
だが、アイドルという仕事の幅広さに毎度私は新鮮に驚き、色々な媒体で表現される推しの姿に感謝してもしきれない。

推しの舞台を見に行ったのは今回で二度目だ。前回は去年の9月、まだまだ暑い日で、会場である日生劇場は晩夏の西日に照らされて金色に輝いていた。
そのとき彼が演じたのは、シェイクスピアの名作『夏の夜の夢』の青年ライサンダーだ。彼はこの作品への出演で舞台演劇の魅力とやりがいを強く感じたようで、千穐楽を終えた後も「今の感覚を忘れないうちにまた舞台に立ちたい」と強い気持ちを見せていた。

そんな彼が今回抜擢された役は、サン=テグジュペリの著作『星の王子さま』に出てくる小さな王子さまだ。
この作品は聖書の次に世界中で読まれていると云われるほど有名な作品で、私も小さい頃に出会ってから、無垢で好奇心旺盛で心優しい王子さまをずっと愛し続けている。

その役を、推しが。彼が演じるというのだから、驚いた。今回の舞台を演出する所謂"総監督"の立場である坂東玉三郎氏直々の推薦だったそうだ。
本人も「俺が王子様?」と驚いていたが、彼の自己認識やパブリックイメージからいえば無理もない気がする。
けれど、玉三郎氏が彼を推した理由を知れば、なるほど納得のいく配役だと感じた。彼の持つ純心無垢な雰囲気が王子さまにピッタリだというのだ。

無垢、
邪心のかけらもなく純粋であること。
人を疑ったり騙したりしないこと。

彼がまさしくそうした人物であるとは、大変申し訳ないが、まったく思わない。断言できない。

彼の実年齢を言うと、今年で29歳。まだまだ若いと人は言うかもしれないが、もう29年間も生きている。そんな長い時間を経て、無傷で、無垢のままでいられる人間なんて多分いないのだ。
特に、彼が私たちファンに見せる顔はいつも親しみやすく、それはそれは人間臭い。

それでも、玉三郎氏が言葉にした「無垢さ」は確かに彼にある。私はそう感じる。

とても不思議な人だ。湿り気のない、砂のように軽やかで明るい人。
そして、まるで鏡のような人。

彼が持つ「無垢さ」とは、向かい合う相手を子どもの頃のような気持ちにしてしまうのかもしれない。そんなふうに感じてしまうのだ。

彼自身は、与えられた役と初めての経験に戸惑いながら、日々悩み苦しんでいたようだ。
毎日欠かさず公開しているブログで、時折そうした文章が綴られていた。

そんな様子を見守りながら迎えた観劇の日。私は心臓が口から飛び出しそうなほど緊張していた。当の本人は初日を無事に終えて、京都での公演も残すところあと3回というところなのに、ただの観客である私がなぜ…と思われるだろう。私だってそう思う。

でも、幼い頃から大好きだった星の王子さまを、応援している推しが演じるのだから、それはもう不安と期待が胸の中でぐるぐると渦巻き、ここから宇宙が生まれるのではないかという勢いだった。

「解釈違いだったらどうしよう」
オタク的にいえば、この一言に尽きる。

何度も深呼吸をし、さあ、いざ上がる南座の幕。


目の前には、美しい砂漠があった。

そこに立っていたのは、真っ白な百合のように、無垢で、美しい人だった。


星の王子さまの中で、私が一番大好きな台詞がある。

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」

私の推しは、不思議な人だ。

湿り気がなくて、明るくて軽やかで、風が吹けばさっさと飛んでいってしまいそうな、砂のような人。

そんな彼を「美しい」と感じるのは、きっと彼の中に井戸が隠れているからなのかもしれない。
心を潤す命の水をたたえた、小さな井戸が、きっとひっそりと。

美しくて素敵な星の王子さまが、南座の砂漠に凛と立っていたこと、私は一生忘れないと思う。



追記、
十月の大阪公演も絶対取るぞオラァ!


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