見出し画像

【全文無料】ひのはらみめい『ひまむし入道』

今月はゲスト作家としてひのはらめいさんが登場!
三歳になる娘の由里と母子ふたり暮らし。ある日、疲れ切ってそのまま眠ってしまった「わたし」にある異変が起こる。

 仕事から帰ってきて、いちばん不快なストッキングを乱暴に脱ぎ捨ててからコンビニで買ってきた麻婆丼をちゃぶ台に置くと、積まれていた書類やレシート、ライターが入れ替え制とでもいわんばかりにちゃぶ台から床に滑り降りていった。灰皿にしているどん兵衛のカップがぎりぎりのところで踏みとどまっている。負けそうな相撲取りのようなその姿を見ても、どん兵衛のカップをゆびさきで少しだけちゃぶ台中央に向けて寄せるだけでわたしの「対応」は終わった。
 片付けなければ。また思うだけ思い、焦るだけ焦り、でも面倒くさい気持が勝つ。曇った気持ちのまま麻婆丼をあたためもせずにそのまま開けた。熱いものはすぐに食べられないから不快だ。なぜ人はあつあつの食べ物をそんなにありがたがるんだろう。熱いつながりで言えば、熱い風呂も苦手だ。ほんの数分浸かるだけなのにわざわざ風呂場を掃除して、大量の熱い湯を張って、熱い思いをしてまた出てくる人々の気が知れない。
 片付けなければ。でも面倒くさい。今この部屋で生活に困っていないし、誰が来るわけでもない。仕事は忙しいし、仕事のために疲れた体をきちんと休ませるのを最優先するなら、片付けはいつか心身ともに余裕のある時にやればいい。そのときがいつ来るかなんてわからないけれどいつか来るだろう。
 最近、以前は普通にやっていた家事や育児、自分のことなどいろんなことが急に面倒くさくなってきた。夫が仕事が忙しいと嘘をついて不倫相手と半同棲状態だったことが明らかになり、二ヶ月前に離婚がきまった。わたしと三歳になる娘の由里がこの狭いアパートに残された。由里との生活にはお金が必要だ。離婚してすぐに就職活動を始め、若い頃に取ってあった資格のおかげですぐに就職先は見つかった。子供がいることは心配されたが、何よりもお金が心配だったから、職場には母から協力を得ていますと言ってほぼフルタイムで働いている。本当は実家とはほぼ絶縁状態で連絡をとりあっていないので日中は由里はひとりで過ごしていた。朝のうちに一袋六本入りのスティックパンとジュース数本を置いておけば、帰る頃にはきれいになくなっている。二歳半ごろから偏食がひどく、キャラクターの絵のついたスティックパンしか食べてくれないため仕方なく一日三食同じものを与えている。
 育児は、初めはきちんとやっていた。カラーボックスがいっぱいになるほどの育児書を買い込み、母乳にこだわったり手作りの離乳食やお洋服をつくったり、冬には自分とおそろいになるようにセーターや手袋や靴下を編んだ。由里とふたりきりになって、仕事をはじめてからも三週間くらいは食事だって作っていて、せめて由里の分だけでもと眠い目をこすりながらも一生懸命やっていたのだ。由里のためになにかするのは、最初は楽しかった。仕事を始める少し前くらいから由里のイヤイヤ期がはじまったので、面倒くさくなってきてだんだんと仕事に逃げている自覚もあった。
 いつも、どうにかしなきゃいけないという気持ちがあったが、どうにかしなくてもどうにかなっているから、まだ、まだ大丈夫なのかもしれない、と徐々に自分のハードルが下がっていった。由里は五〇%位の確率でおまるを使用することができていたし、おなかがすいたら自分でパンを食べられる良い子だ。わたしの仕事も順調だし、子育てしながら仕事なんて、頑張りすぎているからこれ以上頑張ったら病気になってしまうかもしれない。少し頑張らないくらいで、手抜きするくらいでちょうどいいんだ、片付けなんていつでもいいから今日は省略、シャワーなんていつでもいいから今日は省略、そうやってどんどん家事や自分のことを「省略」していくことで、自分自身が壊れないように救っているつもりだったのだ。

 わたしが麻婆丼を食べ終わる頃には由里は寝ていた。もう三日以上はシャワーも浴びさせていないし、着替えさせていない。わたし自身も面倒くさくてシャワーに入れず、拭くタイプのメイク落としでメイクをとり、汗ふきシートで脇や陰部を軽く拭くだけで済ませている。スーツは洗えるタイプなので一週間着たら週末に洗濯して部屋の中に干しておく。中に着るワイシャツは何着か持っているし、多少しわしわでもジャケットを着るなりカーディガンを着てしまえばしわは隠せて、だれにも何も言われない。
 とりあえずあさってになれば休みだから、早起きして由里にシャワーを浴びさせよう。またたぶんイヤイヤして大暴れするんだろう。

ああ、面倒くさい。

 目覚めると朝四時で、布団に入らずに床でそのまま寝てしまったようだった。空がだんだん明るくなっていくときの深い水色は見ていると気持ちが良かった。化粧を落とそうとちゃぶ台の上のクレンジングシートに手を伸ばすと、自分の手がむくむくに腫れてぬいぐるみみたいになってしまっていることに気づいた。あれっと思っているうちに灰皿代わりのどん兵衛カップにぶつかり、水と灰とたばこの吸い殻が床にぶちまけられた。仕事の書類やら役所の書類やら、大事だけれど後回しにしていたものたちがどんどん灰色の水に汚染されていく。あーあーとちゃぶ台の下に視線をうつすと自分の腹から下がきぐるみのようにむくむくになっている。おもわずそっと手で腹を触ってみると、長期間野晒しにされた布製品のようなごわごわした手触りだ。いつわたしは着ぐるみを着るはめになったんだ? と、水を拭き取るのも忘れて立ちあがった。全身に抵抗を感じる。動きにくさが「確認するのもめんどうだから寝ていようかな」という気持にさせるが、ぎりぎりのところを押し切ってユニットバスに向かった。この部屋で唯一、鏡があるところ。
 全身を確認して、わたしは愕然とした。何かのゆるキャラの着ぐるみのような、ぼてっとしたまん丸い全身に、大きなたれた目、二本だけしかない歯。どこかで見たことがあった。
 由里はまだ寝ている。たびたび訪れるそのまま横になりたい衝動をなんとか我慢して、由里の浸かっているタブレットを開き、動画を選んだ。
「めんどくさいばっかり いってると ひまむしにゅうどうに なっちゃうぞ~」
 これだ。わたしの全身は、このひまむしにゅうどうというキャララクターそのものだった。部屋は真っ暗でこぼれた水もそのままだったがわたしは夢中で動画を見た。
 日常の様々なやらなければいけないことを面倒くさがる子を教育するような内容の歌がばかみたいに明るい音楽で流れ、その曲が流れている二分間が永遠のように感じた。
 わたしは頑張ってきたはずじゃないか。こんな化け物に変わらなければいけないほど怠惰だというのか? 何が足りないのか? たしかにいろんな事を面倒くさいと思って投げ出していたこともあるが、それは仕事やほかのことが忙しいからじゃないか。

 どうして。

 狂気は「めんどうくさい」という気持から始まる、と本に書いた精神科医がいた。自分や自分が守るべき者が生存するためのこと、楽しい生活をするためのことといった「やるべきこと」をめんどうくさがり、「このくらいなら大丈夫だろう」に甘えた結果、自身や守るべき者を窮地に追いやって最悪の事態を引き起こす、とその医師は主張していた。が、どんなにつらくても、どんなに疲れていてもめんどうくささに耐えて、死ぬまで頑張れば狂気にならないということなのか? 


 では狂気は自己責任なのか?


 ごわごわでぶよぶよな手足と体をもてあまし、タブレットから別の動画が流れているのも気づかないままわたしはその場に座り込んでいた。どん兵衛のカップからこぼれた水がおしりの方まで流れてきて「ひっ」と声を上げたら、由里が目を覚ました。 
 こんなになっても、由里にこの姿を見られるのは恥ずかしく、わたしは布団に隠れようとしたが由里はわたしに駆け寄って言った。
「わあ! ひまむしにゅうどうだ! かーわいい!」
 由里はここのところわたしにはこれっぽっちも見せてくれなかった笑顔をむきだしにしてわたしに飛びついてきた。
「ひっまむっし、にゅうどお~、たたかえにゅうどお~、はやくにんげんにもどるため~、らららひとだすけ~」
 由里がひまむしにゅうどうの歌を歌いながらぶよぶよとわたしの体に抱きついて揺れている。こんな感覚は久しぶりだった。正体がわたしであることに気づいているかどうかはわからないが、そんなことは気にならないくらい、由里に抱きしめられるのは心地よかった。
「あそぼう! あのね、ゆりが、かめさんかくから、いろぬってね」
 由里はらくがきちょうを持ってきてわたしに押しつけた。由里とこんな風に遊ぶなんてどれくらいぶりだろう。ひまむしにゅうどうになっていると、仕事や家事のことは頭からぼんやりと遠のいていき、由里と遊ぶ楽しさと、心地よい眠気が頭を占めた。 
 社用携帯が鳴りまくっている。電源を切って、由里の方に向き直り、「あそぼう!」と元気よく返事した。ひまむしにゅうどうになったあとの声はいつもと全然違い、まっすぐに通る大きな声だった。呼吸がしやすい。解放されていく感じがした。
 解放された心のままにらくがきちょうを埋めたあと、由里と部屋中にクレヨンでらくがきをした。それから思いついて、大量のお湯とボディソープをどぼどぼと床に撒いた。
「でっかいおふろみたい!」
 由里とわたしはぬるぬるの泡だらけになり、床も体もきれいになった。由里はいきいきとした顔をしており、わたしもひまむしにゅうどうの顔で笑った。
 午前中をぬるぬるした部屋で過ごしてから、昼には卵一〇個と小麦粉とお砂糖を分量など量らずにボウルに入れてまぜ、べとべとになりながらフライパンで焼いた。ぐずぐずしたパンケーキのような物体はあまったるく、普段だったら決して食べられたものではなかったが、とにかくすべてが面白く、べとべとになりながらふたりで手で食べた。 ぬるぬるが付着したベッドで、ふたりで遊び疲れて眠ってしまうと、目覚めたときには日が暮れるころだった。
 由里の寝顔をぼんやり眺め、何も心配せずに心を解放できたあとのけだるさのようなものを全身に感じふと腕を見ると、いつのまにかもとの姿に戻っていた。

 ひまむしにゅうどうとは とグーグルの検索窓に打ち込み、最初に出てきたサイトを見てみるとこう書かれていた。
「ひまむしにゅうどうは めんどうくさいが口癖の人が変身するといわれているが ほんとうは めんどうくさいという気持ちにとらわれるほどおいつめられた 疲れた人のからだが危険を感じて 休息をさせるために 外胚葉系組織が働いて 姿と思考に影響をあたえた結果である ひまむしにゅうどうになってしまった人は あせらず 自分を責めずに ただただ心が解放されていくのにまかせて 休息をとること そうすれば すぐに普通の体にもどれる」

 由里がむにゃむにゃと寝言を言い、くすくす笑った。わたしは立ち上がり、宴のあとの部屋をながめて「よっし」と気合いを入れた。体にはエネルギーがみなぎっていた。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?