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【小説】舞神光泰「テンの団地」文学フリマ特別号

「文芸誌Sugomori」は、11月20日開催の「第35回文学フリマ@東京」に出店しました。新刊vol.4は3に続き「団地」がテーマです。

「久しぶり、フミのお母さんに聞いて番号教えてもらったんだ」
10数年ぶりに聞くテンの声は僕を過去へと引きずり戻した。
テンだけが僕の事を『フミ』と呼んでいた。そんな事ですらどうしようもなく、懐かしくてイヤだった。
「聞いてると思うんだけどさ、オレ結婚するんだよ」
 テンの顔を思い出す。髪は天然の茶髪でサラサラしていた、当時の男の子にしては長めでおかっぱと呼ばれていた。目鼻立ちがくっきりしていて、笑うと八重歯が覗いた。サッカー少年で外を駆け回り、色白の肌に入ったソバカスが入ってハーフみたいとかジャニーズっぽいとよくモテていた。思い出の中でもテンは眩しくて、逆光の中にいる姿しか思い出せない。
「いま大丈夫だった?」
過去に遡るのに夢中で言葉を返すのを忘れていた。
「あーごめん、ちょっと料理中だったから」
「ふーん、料理とかするようになったんだ。それで結婚式なんだけど身内だけでやるから呼べないんだけどさ、フミは家族みたいなもんだから」
 テンに家族みたいと言われるだけで僕の結び目はほころんでしまう。忘れようと努めていた過去の多くが耳から這い上がってくる。僕たちは同じ団地の1階と3階で育った。38段を駆け上がればいつでも逢えた。小さい頃はずっと一緒だった、6歳離れた兄よりもずっと近かった。正反対の僕たちだけど不思議と仲が良かった。イヤ、僕が一方的でテンはそれを利用していた。他愛のない仕事とか家族とかの話が無意味に続いていく。
「アレがあってからなんとなく疎遠になっちゃったけど、やっぱりフミには知ってって欲しいから」
 アレ。僕たちをバラバラにした事件。
 10月なのに異様に暑かった20年も前の出来事。少年だった僕らをなにかに変えた。プライベートが欲しかった、ただ不幸な事件が重なっただけの話。僕らが秘密基地として使っていた倉庫にホームレスが住み着いて、勝手に死んでいた。子どもたちはホームレスが住み着いているのを面白がり、連日のようにからかっていた。親たちは何も知らず突然の異臭でパニックになった。時代性もあるかもしれないが「子供が殺した」と一帯のウワサとなった。大人同士が話し合い、団地からほとんどの子供が消えた。テンもその中の1人だった。
「フミはさ、ホントに何も知らなかったよね」
「うん、正直テン以外とはあんまり仲良くなかったしね」
 僕は昔から社交性が乏しくて、団地の子供とはテンが居ないと遊ばなかったし、アッチからも僕を誘うことも無かった。テンの友達、それが僕のポジションだった。
「俺もアレ以来、あいつらとは会ってないよ」
「兄貴とすら、ろくに話してないし」
「タケ兄か、まぁ色々あったもんね」
変な間があった。
「ねぇ、聞いておきたかったんだけど、鍵閉めたのってホントにフミじゃないよね?」
「……ちがうよ。だいたいあのドアって木製だったからその気になれば大人なら壊せたでしょ」
「イヤ、そうなんだけどこの話ちゃんとした事無かったじゃんだから」
「たしかにね」
「俺、引っ越したから分かんないけど、フミは住んでたからイジメが凄かったって」
「ああ、お母さんがちょっとね。まぁ昔のことだから、あんまり思い出したくないし」
「ごめん」
 電話の声を聞いて確信していく。やっぱりテンはずるかった。会話の端々にトゲを見せたり、優しくしてくる。テンが聞きたいのは「おめでとう」「僕のせいだ」「テンは悪くない」「もう、これで最後だね、関わらないようにしよう」それだけのことだった。
「フミとさ、こんな風に話すのってほんと久しぶりだよね」
「懐かしいよね」
君の欲しがったものは大抵あげたのに。お菓子もワンダースワンもサイコショッカーもくれてやったのに。僕に対する罪悪感すら、投げつけようとしている。僕とテンは大きな差があったから、対等に意識し合う仲でいればそれでいいのに。僕は遅い子で、テンが早い子。テンが好意を利用して、僕が憐れみを利用するそういう友情だったのに。
 テンが離れていくのが分かる。僕に注がれていたものをお嫁さんや子供へと向けるのだろう。僕は悔しくて涙が出ていた。僕はまだ君に言われたらそうするしかないんだから。
「フミ、泣いてるの?」
「嬉しくてさ。うん大丈夫だよ。テン。大丈夫だよ。また会えたら話そうね」
「うん、分かった」
テンも何かを察したように声を落とした。
「じゃあ、またね」
「うん、おめでとう」
たぶん、これでテンと会話するのは最後になるだろう。初恋がようやく終わったみたいで、ただ溢れる涙を止められなかった。下戸なのにその日はとにかく飲んだ。
 テンは掃き溜めのツルだった。A棟〜F棟まである小型団地は陰でスラムと呼ばれる地域に属していた。僕が生まれた地域は治安が悪く都内勤務の人が眠り帰って来るだけの中途半端な田舎だった。都会を真似したショッピングモールが唯一のお出かけスポットで、東京駅から30分というのが謳い文句、バックだけ高級ブランドであとは安物の服を着ているような、チグハグさで充満していた。そんな中でテンだけがキレイだった。
 テンは自分の言葉を持っていた。
「団地って、ほとんど同じ作りじゃん、全員が同じ向きで暮らしてるの気持ち悪くね」
「俺はこんな所から早く出るんだ」
 お酒のせいか色々と思い出してしまった。キレイな思い出はテンだけで、あとは側溝のドブとか、ほぼ野犬の飼い犬、1年で3回苗字が変わった樹里ちゃんとか、ピンクチラシで外も中も覆われた公衆電話とか、そんなのしか出てこなかった。良いものと悪いものがゴチャゴチャになりながら気絶するように寝ていた。

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