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波野發作『秋茄子は嫁に』

 わたしはわたしの交際相手に疑念を抱いている。

 出会って、つきあい始めてからもう3年になるが、どうしても信じきれないでいる。

 とくにこの何ヶ月かは会う機会も減って、全然会っていない時期もだいぶ長かった。

 連絡だけはSNSでこまめに取っていたから、音信不通ということはないのだけれど、あやしいものだ。このままではまずいかなと思って、思い切って自宅に呼んでみたが、何もしないで帰ろうとする始末。思わず本音が出て、それでひとたび戻ってきてはくれたが、それでも結局終電で帰ってしまった。

 やはり。と思わずにはいられない。

 最初は二股をかけられているのかな、と思った。

 そしてテレビドラマを見ていて気づいてしまった。彼は既婚者なのではないかと。登場人物の行動パターンが彼とそっくりで、おぼろげな不安が、くっきりとした不安に育ってしまった。

 なぜ疑念を持ったのか。それはだんだんにそうなのではないかと思い始めたというだけで、きっかけがあったわけではない。むしろ、「ない」からおかしいと思うようになったのだ。そう。彼は外泊をしない。男性はなにかと外泊したがったり、スキあらば家に上がり込んで、同棲したがったりするものだと思っていたし、友人の交際相手の多くは実際そんな感じで、わたしの友人たちを悩ませている。だがしかし、わたしの交際相手は、どこかに泊まりに行こうと誘い出してくることもないし、わたしの部屋に泊まろうとしたこともない。内心は泊まろうと思っているのかもしれないが、一度もそれを口にしたことはなかった。必ず終電で帰るのだ。

 さみしい、と思わないわけでもないが、けじめがあってよいと思っていた。しかし、三年も経ってみて、一度もないというのは、少々おかしいのではないかと思うようになってきたというのが、正直なところである。その違和感を合理的に理解するには、彼が既婚者であるという仮説が必要だった。そしてそう考えたとき、少し腑に落ちてしまった。

 ただし、この仮説には一つの欠点がある。わたしは「彼の家には行っている」のだ。既婚者が自宅に浮気相手(わたし)を連れ込んだりするのはリスキーではないだろうか。果たしてそんなリスクを負うタイプだろうか。もう少し用心深い人間なのではないか。

そこは駅から少し遠い広くないし新らしくもないワンルーム。小綺麗にはしているが、あまり生活感のないところだった。不快な匂いがしないので(むしろ少し懐かしい好きな香り)、居心地がよかった。昨年は結構何度も行っていた気がするが、今年になってからは行ってないかもしれない。最後に訪れたのはいつだったろうか。

 たとえば、あの部屋は浮気のために用意している、隠れ家的なものなのではないか。と仮定してみる。わたしを駅まで送ったあと、あの部屋には戻らず、別の電車に乗って、本当の自宅に帰っているのではないか。そうでないという証拠はなかった。わたしが急に引き返して彼の家に転がり込むなどということは一度もしていないから。そこで、彼がいない、戻っていないということがあれば、この疑念もはっきりくっきりさせることができたとは思うが、そういうことはなかったので、疑念はずっとうっすらとしたままだった。

 そんな風に思っていたこともあってか、わたしは彼との関係をおそるおそる取り扱うようになっていた。関係性ネグレクト、とでもいえばいいのだろうか。発展について消極的で懐疑的だったのだ。この恋はこれいじょう育ててはいけないと、すら思っていたように思う。そういう気配は彼にも伝わるのか、会わない日が増え、会う間隔は延びていった。ついにはこの数ヶ月、まったく会っていないにも関わらず、お互いそのことに全く触れないようになっていた。付き合っているけど、会わないということが常態化するに至って、わたしは、彼がもう別れたがっていると考えるようになっていった。

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