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【全文無料】誠樹ナオ 『保護犬を家族に迎えたり預かったりして暮らしています2』(前編)

高校生の美芙由が保護犬を引き取って起こる日常の事件の数々。
シリーズ1話はこちら!

 愛育レスキューで不定期に開かれる『子犬の保育園』はそれぞれの家庭に引き取られていったワンちゃんたちが集まって遊んで社会化を促したり、スタッフさんたちが育て方の相談に乗ってくれたりするイベントだ。ドッグトレーナーやトリマー、歯医者や動物看護師に獣医さんまでテーマに合わせてボランティアで講義してくれる。今日はお散歩の相談に乗ってもらえると聞いて、クラスメイトの瓜生木綿子(うりゅうゆうこ)ちゃん……ユウちゃんと参加することにしていた。

「美芙由(みふゆ)、見て見て。シュクレにそっくりー!」
「わあ、本当だ」
病院の隣に併設されているレスキューセンターの建物に入ると、ユウちゃんがケージの一角を指差した。シュクレに似た子犬が、足に包帯を巻かれて一番手前で丸まっている。私たち卒業生は保護犬の譲渡を受けて終わりではなくて、より多くの子たちが家族を見つけられるようにできる範囲で活動している。前回は確か、新しく譲渡を希望するご家庭にこれまでの体験談を話して、レスキューされたばかりの子たちのシャンプーのお手伝いをしたんだった。

「この間のシャンプーの時、この子いなかったよね?」
「昨日来たばっかりだよ」
レスキューセンターを作った獣医の山波立子(やまなみりつこ)先生が、コキコキと腕を回しながら説明してくれた。なんだかちょっと疲れてるみたいだ。
「本当にシュクレとよく似てるでしょ」
「似てますけど……私は違うの分かりますけどね」
「そりゃ飼い主だもん」
シュクレは一見真っ白に見えるけど、薄茶のハート模様がある。

「血の繋がりはもちろんないんだけどね。一応、仮の名前でブランって呼んでるの」
「白いもの繋がりなんですね」
シュクレはフランス語で砂糖だし、ブランは白という意味だ。ケガしたブランはちょっとぐったりして縮こまっているけど、シュクレにはちょっとだけ反応して顔を上げた。

「ブランはどこから来たんですか?」
「この子はいつものレスキューじゃないの。南町で交通事故に遭ったらしくて、うちに運ばれてきたんだ。」
「南町?そんな遠くから、なんでここに?」
「首輪してなかったから、周りの人が助けていいのか戸惑っちゃったみたいだね。詳しい状況は分かんないけど、目撃者から人伝でうちに連絡があったの」

「首輪、してなかったんですか?」
ブランの首元を覗き込む。シュクレがお散歩に出始めた頃、慣れないリードをぐいぐい引っ張ってしまって首輪の跡がついたことがある。ブランの首周りもそんなふうに見えるけど。
「これって首輪の跡じゃないんですか?」
「少なくとも、ここに運ばれてきた時はしてなかったよ」

「交通事故……痛かったね」
ユウちゃんがそっと手を出すと、ぺろっと小さな舌でなめてくれる。
「運ばれてきたときにタイヤ痕があったから、多分車かバイクに轢かれたんだと思う」
立子先生が大あくびで伸びをした。そっか、急患だったからお疲れモードなんだ。

「家族がいるなら、ちゃんと見つけてあげたいけどなあ」
「そうだね」
ユウちゃんと頷き合うと、立子先生がパッと微笑んだ。
「一度探してみるか。君たち、手伝ってくれる?」
「もちろんです!」
「私、チラシ作ります」
言うが早いが、ユウちゃんがスマホでブランの写真を撮り出した。チラシに使うつもりなんだ。私、ユウちゃんのこういうとこ好きだなあ。
「そんで見つからなかったら、他の子達と同じようにうちで家族を見つけてあげようかね」
「ここに運ばれてよかったね」

「それに、君を轢いた犯人も見つかるといいね」
ユウちゃんの呟きに、私も強く頷いた。
「でもなあ、犬を轢いても大した罪にならないからなあ」
立子先生がぼやく。
「え……?」
「大した罪にならない?」

「日本の法律上は犬を傷つけても器物損壊。物を壊したのと同じなんだよ」
「ええええ!」
「何それ、ひどい!!」
ユウちゃんと声が合わさる。

「だからってわけじゃないけど、お散歩中とか事故に本当に気をつけてほしいの」
「そう思って今日のイベントに参加したんです」
「美芙由ちゃんは……そんなに怖がりすぎなくて大丈夫」
ここのセンターの人たちには、もうすっかり私がビビリなことがバレバレだなぁ。
「君たちみたいに、ちゃんと犬たちを大事にしてくれる家族は安心だよ。大事なポイントさえ抑えれば大丈夫だから、今日はしっかり勉強してね」
「はい!」

「そうだ、今日の講師を紹介しなくっちゃ……って、あいつどこに行ったのさ?」
立子先生がキョロキョロと周囲を見回すと、隣の病院に続くドアがカランとドアベルの音を立てて開いた。
「ワン♪」
「あ、シュクレ!」
背の高い男の人が入ってくるのと同時に、シュクレが尻尾をブンブン振って駆け出していく。
「よしよし、久しぶりだな」
足元に屈んだ彼に大喜びで飛びつき、後ろ足で立ち上がって顔中なめ回しても嫌がらずに応じてくれた。
「分かった、分かった。こら、鼻を噛むな」
「当麻さん……!?」
シュクレを抱っこして立ち上がったのは、以前シュクレが宝石泥棒の疑いをかけられたときに助けてくれた当麻樹(とうまいつき)さんだった。なんで当麻さんが、スタッフTシャツを着てここにいるの?

──

参加者が全員集まったところで、立子先生が当麻さん……当麻先生を紹介してくれた。
「ドッグトレーナーの当麻樹くんです」
「ドッグトレーナー……」

すぐに彼が誰だかピンと来たのか、ユウちゃんが私の耳元にこそっと口元を寄せる。
「本当にイケメンじゃん」
「当麻くんと美芙由ちゃん、知り合い?」
立子先生が不思議そうに小首を傾げる。
「知り合いというか、ちょっとお世話に──」
「緑道でたまに会うだけですよ」
当麻先生の視線が、詳しいことは言わなくていいと言っているようだった。
「ああ、お散歩仲間ってこと」
立子先生が納得したようにカラカラと笑う。

「当麻くんは、今まで躾教室を兼任してくれてた檜山先生の代わりです」
檜山先生は若い男性の獣医師さんで、ちょっと前まで愛育病院に週に何度か来ていた先生だ。ここを辞めて、どっかの病院の院長先生になるらしい。
「若いけど、なかなか腕はいいんでよろしくね〜」

壁に貼ってあるスタッフボードに、いつの間にか当麻先生の写真と説明が加わっている。その説明を見て、思わずあっと息を飲んだ。
CPDT-KA取得……!?
ドッグトレーナーは今のところちゃんとした国家資格はなくて、民間の資格しかない。でも唯一米国標準で認定を受けられるのがCPDT-KAだ。当麻先生は、その有資格者らしい。

「ほら、挨拶しなさいよ」
「どうも」
相変わらず無表情で直角に頭を下げる。
「無愛想なヤツでごめんね」
立子先生がやれやれというように微笑む。ドッグトレーナー……当麻さんがいつも違うワンちゃんを連れていたのは、そのせいだったんだ。

──

レスキューセンターでおすわりと呼び戻しの練習をして、特にお散歩に困り事の多いシュクレとマティだけ居残りで公道に出た。って言っても、マティは全然困ってなさそう。ユウちゃん、私に付き合ってくれてるだけなんじゃないのかな。

「緑道じゃなくて、公道でいいんですか?」
「緑道は犬の気が散るものが多い」
言われてみれば、確かに。
「歩く練習のためなら、なるべく気が散る要素は少ない方がいい。ここは車も人もほとんど通らないからな」

当麻さんが連れてきてくれたのは、住宅街の一角にある小さな通りだった。
「シュクレはお散歩してると、動くものが気になってすぐ止まっちゃうか、追いかけちゃうんです」
保護犬にはいろんなトラウマがある。警戒心が強くて、人間は怖いものだって刷り込まれてる子だってたくさんいる。脱走はつきものだから、お外に出る時は首輪やリードをダブルでつけるようにしてる。脱走するって意識はなくても、自転車や車に不意に驚いて駆け出してしまったりすることもある。

「緑道だと虫とか鳥とか、こういう道だと自転車とか車に反応しちゃうんです」
「分かる!」
ユウちゃんが強く頷いた。
「マティも自転車に吠えちゃうんだ。ダメって言うと止まりはするけど、急にリードを引っ張られるとヒヤッとするよね」
「そうなの?」
「そうだよ〜」
なんだ……困ってるのは私だけじゃなかったんだ。ユウちゃんちは保護犬ばっかり3頭も育ててるし、きっと私なんかよりずっとずっと上手なんだと思ってた。お散歩してると、周りのワンちゃんはみんな飼い主さんの横をトコトコ着いていって、問題があるのはシュクレばっかりに見えてた。

「飼い主の言うことがちゃんと聞こえて、ダメと言って止めることができたり、呼び戻すことができれば問題ない。最初から完璧に気を散らすなってのは無理な話だ」
「なるほど……」

「お座りと呼び戻しは犬たちの命綱だ」
立子先生にもそれは散々言われている。
「飼い主の指示する方向に行かなかったり、反対方向に引っ張ったりするようなら座らせる。抱き上げてもいい。最終的に指示した方向に歩かせる。どんどん距離を歩くことより、ゆっくりでもこちらの話を聞けるようにするのが大事だ」
「はい」
「犬は……事故にあっても人間のようには扱ってもらえないからな」
さっき、律子先生も言ってたことだ。当麻先生の声が少し沈んで聞こえる。

「たとえ人間のように扱ってもらえたとしても、ケガしないのが一番ですよね」
「……そうだな」
私の言葉に、当麻先生が気を取り直したように顔を上げる。
「駆け出してパニックになっていても、飼い主の声に反応して座ったり、戻ったりできれば脱走は防ぐことができる」

「おうちでもたくさん練習してます」
「アンタ、真面目そうだもんな」
当麻さんがクスッと笑みをこぼす。
「少しでもできたらたくさん褒めてあげるといい」
「少しでも?」
「おすわり、と言ってちょっとでも膝を落としたら褒めていい。できなくて落ち込んだり、焦ったり、ヘコんだりすると犬たちに伝わってしまう」
「美芙由は毎日ヘコみそうだよね〜」
う、否定できない。さすが、ユウちゃんは私のことをよく知っている。
「犬に教えるときは楽しくやるのがいい」
当麻先生に言われると、なんだかできるような気がしてくる。

実際に、シュクレと一緒に歩く練習が始まった。当麻先生は私の動きをチェックして、何度も一緒に往復してくれる。
「止まるな。一定の歩幅で歩き続けろ」
「はい」
時々声をかけながら、私に注意を向けさせる。隣から逸脱しようとしたら止まる。落ち着かせてまた歩く……うん、順調かも。

「シュクレ、上手だね〜」
「ワン♪」
褒めるとシュクレが笑う。家族に迎えてみるまで、犬がこんなにも表情豊かだなんて知らなかった。上目遣いに私を見て、褒めて褒めて〜とアピールするように笑うのはなんて可愛いんだろう……!そう感動していた途端。
急にクンとリードが引っ張られて、シュクレが走り出す。

「シュクレ、お座り!!」
シュクレはビクッと止まって、こっちをチラッと見上げた。
「指示に従ったら褒めろ」
「よしよし、シュクレ。いい子だね〜」
「もっと大袈裟に」
声高に褒めて撫で回しながら、シュクレが走り出した理由が気にかかる。

「何に気を取られたんだろう」
「これじゃない?」
ユウちゃんが電柱の影を指差した。小さな瓶に生けられたお花と、缶ビール、それに小さな紙パックが置かれている。
「事故でもあったのかな?」
「そうかも……これってお供え物だよね」

電柱の前に回り込んでみると、警察が交通事故の目撃情報を求める看板が立っていた。
「南町でもブランが轢かれたし、最近多いのかな」
「怖いね」
「だからこうやって練習してるんだろ」
口々に言い合っていると、当麻先生がポンと私の肩を叩いた。

「今日は良くできた。ふたりにこれ、やるよ」
「なんですか?」
当麻先生が渡してくれたのは、小さなストラップのような物だった。ユウちゃんがあっと声を上げる。

「これ知ってる!暗くなると光るやつですよね?」
「そう、リードにつけて使う。暗くなってからは保護者と一緒に散歩したほうがいいとは思うが、ひとりで出る必要があったら使うといい」
「ありがとうございます……!」
わあ、当麻先生にもらっちゃった。嬉しくて手の中の小さなストラップを見つめていると、隣でユウちゃんがニヤニヤと笑う気配がした。

「そろそろシュクレとマティの集中力が限界だ。戻ろう」
「シュクレおいで」
リードを引いて方向転換すると、いつの間にか目の前に女の人が立っていた。
「当麻」
「……ハスミ」
歩き出そうとしていた当麻先生がぴたりと立ち止まる。
「当麻、久しぶり」
キリッとスーツを着こなした綺麗な女性が、ぴたりと当麻先生に視線を向けた。

──

次の日の放課後、学校のパソコンルームを使ってユウちゃんとチラシを作る作業を進めていた。
「ブランの写真、これでいいかな?」
「顔はっきりしてていいね。連絡先は愛育レスキューでいいんだよね?」
「レスキューじゃなくて病院がいいって立子先生が言ってたよ。どの時間帯もスタッフがいるからって」

あの後、当麻先生が戻って来るまでブランを構っていると、人慣れしていておすわりも待てもできていた。やっぱり飼い主さんがいる気がして、ユウちゃんと早いとこチラシを作ろうってことになったんだ。
でも結局、ブランの話が終わった頃になっても、当麻先生は戻ってこなかったんだよなあ。

「美芙由、手が止まってるよ」
「あ、ごめん」
「あの女の人のことが気になる?」
「え!?」
キーボードに置かれたまま動かなくなっている私の指を、ユウちゃんがコツンとタッチペンで弾いた。
「綺麗な人だったよね。いかにも仕事ができるって感じ」
グサリ。
なぜかユウちゃんの言葉が胸に突き刺さる。確かに美人だったな。名前も素敵だったし。ハスミ……蓮実とか、蓮美かな?当麻先生、彼女のこと名前で呼んでた。

「……こここ、このチラシって、近隣の病院に置いてもらうんだっけ」
動揺しているのを誤魔化すように、わざと話を変えた。そもそも……なんであんなことにこんなに動揺してるのか、自分でも意味わかんないし。
「昨日はそう言ってたけど、南町でブランが轢かれた近くにも貼った方がよくない?」
「言われてみればそうだね」

「チラシを立子先生に確認してもらったら、今日その足で行ってみる?」
南町って、けっこう遠いなあ。
「明日でもいい?私、今日はお父さんの帰りが遅くて、シュクレのお散歩行かなきゃいけないんだ」
「じゃあ、そっちは明日にしよっか。今日さ、私も夕方お散歩当番だから、どっかで合流して一緒に行こうよ。そんで、当麻先生に教わった散歩の練習しよう」
「うん、ありがとう」
「ありがとうって、こっちこそだよ」
ユウちゃんのこういうとこ、本当に好きだなあ。多分、私がちょっと落ち込んでるのに気付いてくれてるんだ。

──

それぞれ一度家に帰ってシュクレとマティを連れて、私たちは愛育レスキューに行きがてら当麻先生と練習した住宅街に再びやってきた。
「順調、順調」
マティを見下ろしながら、ユウちゃんが満足そうに呟く。

「当麻先生に教えてもらったコツを思い出しながらやると、びっくりするぐらい違うね」
「当麻先生ってすごいんだねえ」
「アメリカでも認定されるドッグトレーナーの資格、持ってるみたいだよ」
「へえ〜。そんな資格あるんだ」
「うん、スタッフボードに書いてあった」

「もしかしてさ、美芙由ってドッグトレーナーに興味ある?」
身の程知らずな気がして一瞬、返事に困ったけど──ユウちゃんならいっかと、素直に頷いた。
「あるにはあるけど……まだ考えてるところ」
「なんで?向いてると思うけど」
「だって、シュクレのお散歩で四苦八苦してるのに、人のワンちゃんのことまでちゃんと指導できるのかなって」
「それこそ当麻先生に聞いてみればいいのに」

「……っ」
思わずドキッと動揺する。私の心臓の音が伝わったかのように、それまで順調に歩いていたシュクレがぴたりと止まった。
「シュクレ、どうしたの?」

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