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天鳥そら『大学生の一部』

今月はゲスト作家として天鳥さらさんが登場です。
コロナ禍で大学に進学した晴海のある日を描きます。
こんなキャンパスライフ、あなたはどう感じますか。

 苦しい苦しい受験戦争を乗り越えてやっと手に入れた大学への切符。もちろん入学できたことに不満はない。大学に行けずそのまま就職した同級生だって、いたことはいたのだ。こうして大学で勉強できるだけ恵まれているというものだろう。それでもだ。
「大学に行ったことがないってどうよ」

 駅まで自転車で十五分、比較的、閑静といえる住宅街、一軒家の一室で広島晴海は、今しがたレンチンしたばかりのパスタをほおばった。ゆでなくてもいいパスタは、お昼ごはんに困った時の必須アイテムだ。
 特に時間がなくてお腹にたまるものが欲しい時は重宝している。緑の息吹と呼ばれ、装丁はグリーン。有名ホテルが販売しているシリーズだった。シェフが腕によりをかけて作ったパスタとは比べ物にならないだろうが、味付けは抜群で晴海の好みだった。味の種類がいくつかあるので、ローリングストックと言いながら買いだめている。
 もちろん、災害に備えての食材はあるにはあるが、そういうものは父や母や兄が必死になって調べて用意するから晴海は何もすることがない。ありがたいのかもしれないけど、おかげで家族の中で一番危機意識が低いので正直まずいのではないかと思う。
 今年も夏の災害がひどいのかと思うとため息をつきたくなるが、晴海の住まいは毎年さほど被害に見舞われない。テレビの中の世界が身近に迫るような状況はないと言っていい。

「晴海ー。晴海ー。今日はオンライン講義はないの?あと、オンライン飲み会があるんじゃなかった?」
 一階のリビングでパスタをほおばる晴海の前に、二階の和室にいた母親の照美が階段を下りながら声をかける。ヨガウェアに身を包んだ照美は、首からかけたタオルで汗を拭いていた。

「えーっと、どっちもないよ~。これ食べ終わったら、駅前の図書室に行く予定。レポート書くのに必要な資料探しに行くの」
 ベーコンがまじるカルボナーラの上に晴海は好みで粉チーズもふっている。カロリーの高そうなパスタに、ちらっと視線を向けてから照美はにやっと笑った。
「コロナ太り、気をつけてね」
 口に入れかけたフォークを置いて、失礼なと叫ぶ晴海のことは気にせず照美は嬉しそうに風呂場に向かった。
「ダイエット成功したのかな。お母さん」
 三分の一近く残ったパスタを苦々しく思ったものの、晴海はお気に入りのパスタを完食した。

 駅前とはいっても、駅東口から徒歩十五分ほど離れた場所にある図書館は、市内でも大きく蔵書の多い市立図書館だった。電車を使って三駅行けば県立図書館がある。
 滅多に行くことはないが資料博物館や市民センターが近くにあり、そこでは講演会やコンサートが開催されることもあった。
「私の家が東口側にあるんだからラッキーだよね。西口の方だったら反対方向になるし、もっと時間がかかるかも」

 駐輪場で自転車を止めてから鍵をかける。図書館へは消毒をしてから入館する。図書室の前では訪問者を把握するため、電話番号と名前を記載するための用紙とペンが置いてある。これが結構面倒だった。使い終わったペンは、プラスチックの円筒に入れてやっと入室できる。
 室内は冷房が効いておりサーキュレーターが作動していた。風がめぐる感覚に今ではすっかり慣れたが、最初の頃は落ち着かなかった。
「あれ、晴海じゃない?晴海、晴海」
 ショートカットに耳には赤いピアス、黒のTシャツとジーンズをはいた長身の女子が走り寄ってくる。

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