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【全文無料】かふか『乙女の懺悔室』

今月はゲスト作家としてかふかさんが登場!
日々、トイレで一人懺悔会を行う小夜子。
そんな彼女の本日の懺悔は…?

 今日もトイレで神に懺悔する。それは小夜子の小さい頃からの癖である。
 幼稚園の頃連れられていった教会でお腹が痛くなり、懺悔室をトイレと勘違いして入ってひどく怒られたのだ。羞恥で顔を真っ赤にしたお母さんに「ここはトイレじゃなくて、悪いことをしたときに神様に謝るところなんだからね。悪いことをしたら懺悔室に入れるよ!」と小さな声で、しかしながら激しく言われたときの、子供ながらにとんでもないことをしたんだという気持ちを未だに忘れられない。

 私だっていい年なので、懺悔室は悪いことをしたから閉じ込められる場所じゃないことくらいわかっている。懺悔を聞くのは神様じゃなくて神父様だし、そもそも我が家はキリスト教でもない。
 でも食べ過ぎて駆け込んだ自宅のトイレで。テスト前日に仮眠と称してぐっすり眠ってしまい、神様に祈るしか出来ない学校のトイレで。調子に乗って友達と飲み明かした、朝帰りの駅の改札のトイレで。会社の個室トイレで自分へのささやかな嫌味を耳にしてしまったとき。誰だって祈ったことはないだろうか。「なんで私だけこんな目にあうんですか、助けてください神様」と。それから私はトイレで一息つくたびに、人生であった印象的なことを思い出してはため息をつく1人懺悔会を繰り広げている。それを人は自業自得ともいうらしい。


「小夜子は駅の改札通るときに2人だったら、その人の横の改札を並んで通る?それとも後ろに付いていって同じ改札通る?」
「え、なんですかそれ?」
「その答えが俺の好きな女のタイプなんだよねぇ」

 今日の懺悔は、永遠に繰り返している私の思い出だ。中学生の頃に憧れていた、同じ部活の先輩。今思えば恋愛というわけではなく、先輩というポテンシャルに一方的にとても憧れていた。改札の答えは聞けてないし、これから一生会うこともないかと思う。そもそも改札を通るのに正解なんてあるんだろうか。今思うとちょっと変わった先輩だったのかもしれない。でも大人になってからも私は通勤で、デートで、誰かと改札を抜けるときふと考えてしまう。あの時横を並ぶのか、後ろに付いていくのが、どちらが先輩にとって正解だったのか、と。

 そもそも人生において、手に入ったものと手に入らなかったもの、理解できたものと出来なかったもの、どちらが忘れられないかと言えば断然後者なんじゃないだろうか。その証拠に先輩の改札の質問は思い出の中で美化されて、通勤のたびに私を悩ませている。手に入らなかったものは透明なアクリル樹脂でコーティングされて、思い出の額縁に飾られてしまうのだ。私は夢の中で額縁を眺め、何もできないまま毎回違う感想を呟いている。

 先輩から唯一褒められた思い出は、本を読むということだ。
 「小夜子は本を読めてえらいよね」と言われ、好きな本を教えてもらったような気もする。
 気になる人の頭の中を覗いてみたい、考えていることを理解したい。そんな時に相手の好きな本を読むことは少し執着的な気質だろうか?気になる人が出来るたび、その人に好きな本を聞くようになった。聞いた後はその本を読んでみる。わかることもあるし、わからないこともある。わかったからといって相手と上手くいくとは限らない。でもその人の価値観を少し分けてもらえたかのような安心感を感じてしまうのだ。
 一方で、相手に本を贈るという行為はとても恐ろしい。私の価値観は、果たして好きな人へ伝わるだろうか、私の真意は、気持ちは、込めた想いは汲んでもらえるだろうか。それともこんな考えで本を贈るということは重たいだろうか。私は本を、改札の先輩へは贈らなかった。そして先輩が好きだと言って教えてくれた小説の面白さを、私はさっぱり理解できなかった。

 懺悔を終えて机へ戻ったら、さっき準備したコーヒーがすっかり湯気を潜めて冷めてしまっていた。自分で思ったよりもかなり長くトイレにこもってしまっていたらしい。
 職場に行かなくても働く事が出来るようになったこのご時世。1人暮らしのワンルームなのにわざわざトイレで懺悔をする必要性は無いが、きっと一生治らないんだろう。懺悔をしたところで明日からの毎日は何も変わらないし。ただ、久しぶりに先輩の薦めてくれた本が読みたくなった。学生の私には理解できなかったけれど、今なら先輩の何かに近づけているかもしれない。あの頃の先輩の気持ちがわかるかもしれない。

 ベッドの横に置かれた小さな白い本棚を覗くと、簡素な白いカラーボックスの中に彼らが佇んでいた。先輩の本もそこにいる。並んでいるのは全て、今まで出会ってきた好きな人の本だ。男女は問わず、憧れた先輩、好きだった同級生、一方的に尊敬していた先生、付き合っていた人、好きだったけどふられた人。以前遊びに来た気心の知れた同僚に本の並べ方が変わっていると言われたとき、好きな人に聞いた本を、その時の私の年齢順に並べていると話したらドン引きされた。逆に忘れたい男の本とかは捨てるの?と、怖いものをみるように聞かれたのも忘れられない。

 先輩の本は何だっただろうか。確か新書サイズで、男女の微妙な恋愛の難しさが描かれた短編集だったはず。背表紙に目を滑らせていくと、ふと目に留まる本があった。先輩の好きだと言っていた本ではない。文庫本サイズで、淡い青色のシンプルな表紙で象られたそれは、どうやら男性が主人公の私小説のようだった。明らかに新品ではなく、ところどころ使用感が感じられる。ぱらぱらとめくってみると付箋も挟まれていたが、その内容に見覚えは全くなかった。この本棚には好きな人の本しか入れていないはずだから、知らない本なんかないはずなのに。めったに見る本棚じゃないから、仕事用の資料を間違えて差し込んでしまったのだろうか。物語のはじまりのような出来事に好奇心が小夜子を襲った。
 様々な娯楽が手のひらの画面一枚から得られる今、本から何かを得るという快楽をすっかり忘れてしまっていた気がする。それと同時に、社会に出て大人になるにつれて好きな人、本を教えてほしいほど気になる人というのがめっきり減ってしまっていたということも。私の本棚に入り込んできたのは、一体誰なんだろう。そっと本を開く。

「こどもの頃、夜12時より先の世界はないと思っていた。年末の歌合戦も起きていられない僕は、時計がてっぺんより先へ針を進めるのをみたことがない。そんなぼんやりとした僕だったから、空想ごっこの世界から卒業するまでに、人よりもずいぶんと時間がかかった。それまでは存在しないとわかっていながらも見えていた、反射して壁に映るプリズムから覗く別世界に住む龍や、狭いアパートのベランダから飛び出して、スニーカーで空を蹴って空を跳ねる自分の姿。現実の上から淡いフィルターが掛かったかのような、無いとわかっていても見えていた子供の世界。
子供の世界が見えなくなった、と明確に自覚できた日の事を今でも覚えている。高校3年生の夏、塾からの帰り道に自転車から…」
 そこでぱたんと本を閉じた。この本を私に差し込んだのは誰なんだろう。本の主人公と作者が違うことはもちろんわかっている。でも空想の世界と現実を危うげに渡り歩く主人公に、この本を差し込んでくれた人物と作者を混同して美化してしまった。
 この本の持ち主は先輩なのではないだろうか。大人になった、私の知らない時を過ごした先輩。第二ボタンを私ではなく、同級生のおっとりとした色白の女の子に渡していた先輩。少し神経質そうで、銀色のメガネの横顔から覗く瞳が素敵だったあの先輩。冷静に考えて先輩は私の家も連絡先も知らないのだけれど、そんなことは頭から吹き飛んでいた。先輩に会ったらなんて言おう。中学を卒業してから何をされていたのか、今どんなことをしているのか。きっと作家になったんだろう。こんな文章を書く繊細な人が、先輩じゃないわけがないのだから。

 ふと目の前のデスクトップが光った。すっかり時間が過ぎてしまっていたが、よくよく考えると今は仕事中だ。画面を覗き込むと遊びに来てくれた同僚からのメールが一通。
「おつかれさま!先日はお部屋にお邪魔させて頂きありがとうございました。次回の特集で使用する本ですが、できれば今月末の締め切りまでに草稿があがると助かります。そういえば先日のランチでお話した懺悔の話、面白いのでよければ編集後記のコラムに入れてみたらどうでしょう?小夜子のコラム、自虐的で一部の人にはウケてるみたいだよ。」
 空白の時間、重くなる夕方の部屋の空気。思い出した、この本は先日同僚が来た時に渡された本だった。渡されたけど読む気が全然おきなくて、部屋の隅に投げ捨てたままにしていた。そのまま週末の深夜に始めた大掃除で、本は全部後で片付けようと適当にまとめて放り込んだことも。よくよく考えれば先輩が本をそっと差し込んでいくなんてそんな怖い事はありえない、自分の想像力と思い込みの激しさに1人うつむいてしまった。
 取り合えず同僚へメールを返そう、冷めたコーヒーをすすってパソコンに向き合う。
「お疲れ様です、こちらこそありがとうございました!ちょうど今、いい話のネタが出来たので、編集後記にいれることにします。」
八つ当たりで強く置かれたマグカップに残ったコーヒーが、たぷんと跳ねて紙に黒いシミをつくった。

Fin.

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