ねこホーダイ


月額380円の「ねこホーダイ」
命のサブスクリプションだと批判されてるという。

わかる。わかってしまう気がする。

何も調べてないしどんな運営かもまったく知らないけど、「面倒な審査やトライアルもなく高齢者や単身の方でも」と真っ先に強調してるあたり、見当がつく。

たぶん「保護活動」「保護運動」を真剣にやってた人で。

そして「こいつらもクソだし自分は無力だ」となって。どんどんぐつぐつ煮詰まってきて。

「やってる人なら思いつくけど、決して誰もやらないこと」を、やったんだと思う。

一石を投じて、煽って、議論を巻き起こしていかなければならない。タコツボ化した「世界(この場合保護猫)」を変えられない。それはそうだと思う。

必要なことだし、よくやった、といいたい気持ちもある。

しかしサービスのド頭に、敵への批判があるのがいけない。
丸わかりだ。アンチなのだ。

つまり

「面倒な審査やトライアル」を課し、
「高齢者や単身の方」を排除してきた「世界」を

ぶち壊すことが前面に出てしまっている。

物議をかもす・煽って炎上させることが、あたりまえの、ヤな世の中になった。だから、こんな戦い方も当世風であるのかもしれない。

しかし、建前を建前とわかっていながら「私はこうしたい」と語るべきではないのか、と、どうしても、思う。

「私は目の前の猫の命を削ってでも、このサービスを世に出す。このサービスがいらない世の中に一刻も早くしたい。そのために、自分が関わった猫の命を自分の手で使い捨てる。そして自分は地獄に行く。」

と、言えばいいのだ。

つまらん愛猫家芸能人の批判、お気持ち、ご意見など、心底どうでもいい。

猫のことを知らない人が、こんな地獄のようなトゲトゲの企画を実行してしまうワケがない。

僕は応援するが、批判するとしたらこうなる。

「俺は死ぬ覚悟だ、お前はどうするのだ?となぜ言えない。照れてるのか?だとしたら覚悟が足りないんじゃないのか?」

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