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なぜゲームが学習を促進するのか?(2)問題解決編

はじめに

前回の記事では、欧米圏のアカデミアで「ゲームを学習・勉強に応用する」ことへの注目度が高まっていることをご紹介いたしました。また、「ゲームと学習」分野におけるジェームズ・ポール・ジー (Games Paul Gee)元教授の影響力の高さに着目しつつ、同教授がビデオゲームにおける学習原理として挙げる3要素のうち、「エンパワメント」についてまとめさせていただきました。

今回の記事では、ゲームの持つ「問題解決」の側面について、ジー教授の考察を見ていきたいと思います。どんなゲームでも、数多くの「問題」が登場します。もしプレイヤーがどこかの問題で躓いたとき、それをそのまま放置していては、最悪そこでゲームオーバーとなりかねません。かといって「問題」が簡単すぎれば、ゲーム体験そのものを損なってしまいます。

すぐれたゲームはそうならないように、プレイヤーをうまく問題解決へと導きます。それを可能にするゲームデザインとはどのようなものなのでしょうか?
なお前回の記事でも記したように、それぞれの項目には参考となるゲームが紹介されていますが、論文が2005年と古く、多くの日本人には馴染みのないゲームも含まれていることを付記しておきます。

よく整頓された問題 (Well-ordered Problems)

『雫 ~紅い蝶~』

学習者が早い段階で自由すぎる問題や複雑すぎる問題に直面した場合、その問題をどのように解決するかについて、創造的な仮説を立てることが多い。しかしそのような仮説は、難しい問題はもちろんのこと、簡単な問題でさえもうまく機能しない。
学習者が初期に直面する問題は非常に重要であり、学習者が仮説を立てられるようにうまく設計する必要がある。よって「学習者を豊かな環境に解放すれば、あとは勝手に学習が始まる」「教師は必要ない」と考えるのは危険である。ガイダンスがなければ、学習者は(創造的ではあるものの)偽りのパターンを見つけ、その罠にとらわれるだけである。

多くの人を魅了するゲームは、「いまなにをするべきなのか」を段階的に提示していきます。「主人公はいまどういう状況に置かれているのか」「解決するべき課題は何なのか」といった大枠の説明から、「どういうふうにプレーすればよいのか」「次にどんなアクションを取るべきなのか」といった技術的なところまで、適切な情報量でプレイヤーを導きます。そうすることで、プレイヤーは徐々に自分の力で問題を解決できるようになるのです。

ジー元教授は、『零〜紅い蝶〜』をこの一例として取り上げており、「プレイヤーが後に直面する問題に対して有益な道筋を示すような問題を提供することに成功している」と評価しています。すぐれた「足場かけ(scaffolding)」の例を知りたければ、よく売れているゲームを参考にすればいいのかもしれません。

心地よいもどかしさ (Pleasantly Frustrating)

『ラチェット&クランク2 ガガガ!銀河のコマンドーっす』

学習が最も効果的に機能するのは、新しいチャレンジが心地よいフラストレーションを感じさせるときである。それは「能力の範囲」の外側にありながら、「自分ならできる」と感じられるものである。
大事なのは、「自分の努力が報われている」と感じられること、その証拠を得ることができることだ。良いゲームをしているとき、「いつ終わるのか」「他の人と比べてどうだったのか」といったことは問題にならない。プレイヤーの関心は、あくまでそのゲームを学び、マスターすることにある。

ゲームをするということは、すなわち失敗をするということでもあります。初見のゲームをノーミスでクリアすることは非常に難しく、多くの場合は何度も失敗を繰り返しながら、徐々にゲームシステムや物語を学んでいくことになります。

このとき、「なぜ失敗したのか」をうまくフィードバックするゲームは、それだけでプレイヤーを惹きつけます。「こうすれば問題はクリアできる」ことを示すことで、「あとは○○さえできれば」という心地よいもどかしさをプレイヤーに与えるからです。ジー元教授が論文の中で挙げている『ラチェット&クランク2 ガガガ!銀河のコマンドーっす』は、さまざまなレベルのプレイヤーに対して、うまくこうした「もどかしい心地よさ」を与えていることに成功している一例と言えます。

専門知識のサイクル (Cycles of Expertise)

『ファイナルファンタジーX』

専門知識は、学習者がスキルをほぼ自動的に使えるようになるまで練習しつづけることで、どの分野でも形成される。スキルが身についたかどうかの確認は、ゲームにおいてはレベルアップやボスの討伐というかたちで表現される。そして新たなレベルやステージに進むことで、また同じサイクルが繰り返されるデザインになっている。
ゲームは学習者に専門的なスキルを体験させるが、学校では通常そうなってはいない。専門知識を学ぶサイクルによって、学習者は学習を管理する方法を学び、「学ぶことを学ぶ」ことに熟練できるようになる。また、練習と新しい学習の間、習得と挑戦の間にリズムとフローが生まれる。

ゲームはまた、反復のメディアでもあります。何度も何度も同じ行動をさせることで、プレイヤーはやがて自然とその行動を取れるようになります。『ファイナルファンタジーX』のような日本を代表するRPGは、まさに反復的な学習をゲームシステムに組み込んでおり、一見すると複雑に見えるアクションについても、やがてスムーズに実行できるようにデザインされています。

このことは、常に新たな刺激が提供されつづける現代社会だからこそ、注目に値します。同じことを繰り返しやることは、退屈で苦痛に感じるものです。しかしゲームでは、プレイヤーは喜んで(とは限らないかもしれませんが)、同じ行動を繰り返します。そしてその繰り返しの果てに、知識が定着するのです。

情報の「オンデマンド化」と「ジャストインタイム化」(Information ‘On Demand’ and ‘Just in Time’)

『System Shock 2』

人間は、言葉による情報をたくさん与えられても、うまく使いこなすことができない。言葉による情報は、「オン・デマンド」で「ジャスト・イン・タイム」(必要だと感じた)のとき、はじめて機能する。
ゲームのマニュアルも、科学の教科書と同じように、ゲームをプレイする前に読もうとすると、ほとんど意味がない。だが一度ゲームをプレイすれば、マニュアルの内容は明瞭になり、すべての言葉が意味を持ちはじめる。もちろん、マニュアルを隅から隅まで読む必要はない。自分の目標やニーズに合わせて活用するのだ。

最も吸収効率の良いインプットは、それが必要とされるときです。ゲームのルールや攻略法をまとめたマニュアルはえてして複雑ですが、プレーしてみると意外に理解できるようになるのは、適切なタイミングで情報が提供されているからに他なりません。

ジー元教授が論文の中で言及している『System Shock 2』は、ファーストパーソン・シューティングゲーム(FPS)のデザインに大きな影響を及ぼしたことで知られています。FPSは複雑な行動を瞬時に行うことが求められますが、そうした技能をゲームプレイヤーが習得できるのは、マニュアルや教科書を読み込んだからではないはずです。どんなによく書かれたマニュアルや教科書も、「オン・デマンド」と「ジャスト・イン・タイム」の法則にはかなわないのですから。

水槽 (Fish Tanks)

『ライズオブネイション~民族の興亡~』

水槽は、実際の生態系を単純化したものだ。単純化することで、複雑な生態系では見えにくい重要な変数とその相互作用が見えてくる。
この比喩を学習に置き換えてみよう。単純化されたシステムを作り、いくつかの重要な変数とその相互作用を強調すれば、学習者は複雑なシステム(例えば、実世界で動作するニュートンの運動法則)に圧倒されることなく、基本的な関係を知り、マスターするための第一歩を踏み出せるようになる。

多くのゲームには、ゲームプレー要素が単純化されたチュートリアルが用意されており、プレイヤーはそこから自分が何をするべきなのかを学び、やがて複雑なゲームプレイができるようになります。

『ライズ オブ ネイション 〜民族の興亡〜』は、このゲームそのものが歴史の水槽(Fish Tank)としても機能するという点で興味深いですが、プレイヤーがゲーム内の複雑な変数と相互作用に圧倒されないようにうまく足場かけ(Scaffolding)しているという点においても注目に値するゲームです。

砂場 (Sandboxes)

『System Shock 2』

砂場(Sandboxes)は子どもにとって安全な場所であり、現実の「代わり」のものとして機能する。この比喩は、学習に用いられる。学習者が本物に近い状況に置かれ、リスクや危険性が大幅に軽減されている場合、「本物である」という実感と達成感を味わうことができる。

「水槽」と近い概念ですが、ジー元教授によれば「水槽よりもゲーム全体の複雑さを感じられつつも、リスクと結果は『実際の』ゲームに比べて軽減されている」ものが「砂場」と定義されています。

「水槽よりも複雑で本来のゲームプレイに近いが、ミスをすることがあまりリスキーではない」という点で、各ゲームのステージ1や2はこれに該当することが多いでしょう。『System Shock 2』のステージ1は、プレー自体のおもしろさは体験できつつ、何をしても失敗しないという点で、すぐれた砂場だとジー元教授は述べています。

戦略としてのスキル (Skills as Strategies)

『ピクミン』

スキルを習得するとき、人はパラドックスに陥る。人はスキルの練習を脈絡なく何度も行うことを好まない。しかしスキルの練習をたくさんしなければ、学ぼうとしていることが本当にうまくなることはない。
学習者は関連する一連のスキルを、達成したい目標を達成するための戦略としてとらえるとき、最も効果的にスキルを学び、練習することができる。

ゲームには「目的」が存在します。その目的を達成するべく、プレイヤーは何度も練習し、新たなスキルを学んでいきます。逆に言えば、目的や目標がないのに、何度も練習することは難しいものです。

ゲームは、物語やレベルというシステムを使って、プレイヤーに目標を提供することに優れています。そして「そのためには、こういうスキルが必要だ」と提示し、学習を促すのです。論文のなかでは事例として『ピクミン』が挙げられていますが、『ピクミン』に限らず、物語や対戦要素をもつゲームはどれもこの要素を満たしているといえます。

まとめ

以上、「問題解決」という視点から見たゲームの特徴について、ジー元教授の考察をまとめました。この論文が書かれた2005年当時と2023年現在では、状況が変わっている点も多々ありますし、本論文は明確な実験に基づくものではなく、マニフェストとしての側面が強いです。しかしながら、ゲームを「問題解決」のメディアとして捉え、その特徴を分析することで、教育現場にとっても有益な知見をもたらすことができるのではないでしょうか。

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過去記事のまとめはこちら

Gee, J. P. (2005). Learning by Design: Good Video Games as Learning Machines. E-Learning and Digital Media, 2(1), 5–16. https://doi.org/10.2304/elea.2005.2.1.5

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