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ノベルジャム回顧録③ 「場の編集作業」と最堂四期さんのこと

【手短に言うと】 NovelJam2018秋、同じチームの著者、最堂四期さんが面白い人で、その柔軟性は場を編集する事に一種通じ、短期決戦のひとつの鍵ではなかろうかというお話。現場ではあまり意識していなかったけれど、思い返すと実はこうだったのではと腑に落ちた最堂四期伝説。

実は著者指名はしていなかった

気になる著者が一応いて、その上で半ば戦略的に組ませていただいた編集、ふくださんであるけれど、我々は次の最終ステップ「著者とのマッチング」で著者を指名しなかった。理由は「我々は選ばれる側である」の前提に立ったからで、これはノベルジャムの今回のビルド方式の考え方をもちろん踏まえている。

今回のチームビルドはとても面白く、まず「編集とデザイナー」がコンビを組み「著者がそれを選ぶ」形となった。「著者とデザイナーがそれぞれに編集を選ぶ」前回の方式を推し進めたもので、デザイナーの立場がより明確になったビルド方式と言える。
それは「編集が著者とデザイナーを率いる」から「編集とデザイナーが著者をサポートする」へのシフトであり、デザイナーは表現者である一方、あくまでパブリッシャー側のピースとして設定されているのだ。

通常の慣習であれば編集者が著者を選ぶ。しかしノベルジャムは従来の常識を覆すスタイルで、今後の出版のありようを見据えてかなり踏み込んでいる。デザイナーも「編集から発注される」のが通例だが、ノベルジャム方式では「デザイナーと編集の対等関係」が今回特に意識されたはずだ。
デザインはいま、単純に色や形を支配する職能ではなく、理系文系に続く「デザイン系」として取り沙汰され、考え方の視覚化やムーブメント自体を設計する「思考としてのデザイン」視点で再定義され始めており、ノベルジャムがそこまで含んできたのかと思うと胸が熱い。

と、そこまで深く考えてはいなかったが「あくまで著者が選ぶ」という基本を守り、ふくださん共々白票を投ずることにした。どんな著者さんであれ我々を信じて選んでもらうという事に第一の価値を置いたのだがこの時点で「独立仮想出版社」のフォーマットは芽生えていたと言える。
そうしてチームを同じくした著者さんが、一之瀬さんと、続く最堂さんなのだった。

最堂さんの第一フェーズは「レシーバー」だった

さてその最堂さんである。ご本人は「始まる前に気力の80%を使った」と仰っていたが、なかなかどうしてそんな事はなかった。もしそうであれば80%を使った時点で人並み以上という「そもそものコミュ力が圧倒的だった」と思わざるを得ない。ドラゴンボールのなんか数字が見えるやつがあれば驚きの数値を叩き出すに違いない。

最堂さんの不思議はその柔らかさだと今にになって思う。とにかく他人の意見のレシーブ力がすごいのだ。どうしようもないネタも、おっさんが繰り出す加齢臭満載なトークも、あっははは、と言ってバンバン拾ってくれるのだ。なんだこの人。
あほな事を上手に拾うレシーバーが1名、いるだけで議論の展開はかなり変わる。特にブレーンストーミングにおいては「どんな意見でも否定しない」が原則なのだが、初対面でやおら腹を割って行くのは難しい。ストライクゾーンを十分に測る間も無く議論に突入するので探り探り、という箱根1区のスタートみたいな展開が普通なのだが、ここでレシーバーがいると議論は序盤から華やぐし、結論への導き手がいなくても結構なところまで行ける。実際、今回めでたく「内藤みか賞」を獲得した「みんな釘のせいだ」にしても『家の釘が夢とか語ってたら面白いよね』みたいな実にどうしようもない与太話を最堂さんが拾ってくれたおかげだ。
どうしようもない話をテーブルの上に出す、そのきっかけが「この人なら拾ってくれるかも」マインドであったのは確かだし、であるならば、釘という発想をチームから引き出したのは最堂さんのパーソナリティなわけであり、これはもう本当に最堂さんの作品なのだ。

他者の意見を集約する「編集」について

ノベルジャムの執筆空間の異常さは、それが個室ではなく事実上「会議室である」点にある。もちろん著者のスタイルによって自室でみっちり書く事もできるし選べる余地はある。でもデフォルト設定が「会議室」というのは猛烈に乱暴でしかし面白い。くしくも審査員の藤谷治先生をして「こんな所で書けと言われたら僕は怒る」と言わしめた異様な空間だ。

会議室という場では、様々なアイディアや情報がFace to Faceで直接やり取りされ、判断され同時に蓄積され、ニュアンス含めて瞬間的に共有される。Slackやメッセンジャーでも十分以上ではあるけれど、リアルに話すスピードにはまだ届かないと思う。特に制限時間が設定されている場合は。
関係者全員が机を挟んで実際に長時間顔を突きあわせ続ける、いわば「超ロング会議をしながら作品を編んでいく」特異性はノベルジャムならではのものだ。作品制作としては短かすぎるが会議としては長すぎる時間、ノベルジャムはその間にある何かだと思う。

そのような場に立ち現れるのが、場の編集、コミュニティ上での編集、とでもいうか、議上に現れたアイディアを細かに拾い柔軟に取り込みながら総意としていくプロセス。それは文章表現や構成、文字校などを通じ作品の芯に迫る「出版における編集」とは異なるが、確かに編集と呼べる機能だと思う。
最堂さんは、無意識かもしれないがどうやらそれに優れていた。「釘」のアイディアに限らず執筆態度としても一貫していたし、だから意見やネタをテーブルに載せることに躊躇いはほぼなかった。
いわゆるファシリテーションとは違うが、意見のレシーブ係とアウトプットを行う著者、ふたつを実質兼ねる役割が自然とできたことで、近い機能を、あのテーブルで獲得したのかしれない。

そのような機能はもちろん「編集者」が行ってもいいし「デザイナー」でも構わない。「ふくだ〜最堂〜すぎうら」ラインのように著者が多少なりとも分担してもよく、特にノベルジャムは著者の負担が大きいので、チームによっては「著者による支配を大きくし自由度を上げる事で逆に負担を減らす」というのはアリな気がする。
作品を実際に練り上げる「出版的編集作業」はもちろん、編集者が行うし「いちばん堂」でもふくださんが大活躍をした。一方で「会議室で書く」ノベルジャムの特異性からトガりを引き出すための場の支配、特に今回の最堂さんのような著者の柔軟なレシーブによる逆支配は、短期間でアイディアを本番原稿に乗せていく必要のあるノベルジャムのフォーマットでこそ威力を発揮したように思えた。

「聞く耳がでかい」は実はかなりの才能じゃないか

すごく雑に言うと「なんでも話を聞いてくれるっぽい懐のある感じ」もっと平たく言うと「聞く耳がめちゃくちゃにでかい」訳だけど、実はなかなか重要な能力なんじゃないだろうか。
ご本人は全否定するかもしれないが、これは卓越したコミュニケーション力と、アイディアを拾う視点、何より「予想外も全て面白がる」良い意味で行き当たりばったりというか、常に目の前の事件を受け入れ続ける最堂さんのメンタリティに根ざしているように思える。

と書くと受け身の人のように感じるけれど、著者だけあって厳しく高度な美意識を持っており、最堂さんに意見を申し上げる時は、その極端に低いハードルと相まって、最堂さんのツボに入れるか、という緊張感も同時にあった。それは最堂さんが(すべてではないだろうけれど)チームを信頼しまくり、たくさんの自分をガンガンに見せてくれたことによる。
ともあれ会議テーブルの上で起こった「みん釘」の制作サイクルは、要所での小さな挫折はあれど気持ちの良いものだったし、デザインについてもチャレンジできる環境を著者自らが与えてくれたのでとても良かったなぁ、という話でした。

このページのサムネイル「コンセントを防御するなぞの三角コーン」も最堂さんがめっちゃ拾ってくれたので嬉しくて顔まで書いてしまったもの。危うく講評の時間まで晒すところだった。

そんな最堂さんの書いた「みん釘」はこちらです。

また長くなってしまった。次はそうっすね、米光先生が「今回はみんな仲がいい、なんでだ」て仰っていた件、チーム間交流について書ければと思います。

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