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女性優位の職場で「お局さま」がのさばるのは管理職がだらしないからだ④

 わたしが勤務医時代に遭遇したお局様は4人。そのうち、初代のお局DHに取って代わるように誕生した二代目お局への憎しみは、生涯消えることはないでしょう。他の3名については思い出に変わっていますが……。
 前回の経緯はこちらから。

立場を利用した悪質な嫌がらせが始まった

 勤務先の給与体系が、基本給+インセンティブ(出来高)であることは前回述べた。新お局のN美はこれに目をつけ、わたしの売上高を他の勤務医につけていた。しかし、わたしは自分のカルテに押印することで、N美の不正を防ぐと共に、過去の悪行をあぶり出そうと画策したのだが、彼女は新たな荒技に打って出る。

 工業団地のど真ん中、半径2キロ以内に他の歯科医院は存在しないから、患者はひっきりなしにやってくる。ユニット5台はいつも埋まっていて、 予約制とは言え、ユニットが空きしだい、来院した順番に患者を入れるしかない。患者を誘導するのはN美の役目になっていた。
 わたしがカルテに押印するようになってからしばらく経ってのこと、ユニットに空きがあるのにN美は患者を誘導しない。待合室には患者がひしめいている。妙だなと思っていたら、ついさっき来院したばかりの患者の名が先に呼ばれた。すでに待っている患者たちを飛び越して──
 手が空いている勤務医はわたしひとり。誘導された患者を当然のように治療する。そしてまた同じような事が何度かあった。患者誘導のやり方に文句を言ってやろうかとも思ったが、やめた。なにせ彼女は理事長のお気に入り、讒言されてとばっちりを食らいかねない。それに、洪水のように押し寄せる患者をさばくので精一杯だった。
 しかし、ある患者の言葉でN美のゲスな企みを知ることになる。
 バーコード頭の隙間に皮脂をぎらつかせた患者が誘導されてきた時のことだ。
「おう、俺には触らんでくれよ。この歯医者でいちばん腕のいい先生はM先生(早番の分院長)だそうじゃないか。だからヘボなあんたはダメ!」
 すべてに得心がいった。N美が窓口で吹聴していたに違いない。早番と遅番のスタッフが重複する時間帯での出来事。たまたまN美が不在で、早番の受付が患者を招き入れたことによる珍事だった。  
 勤務医の手が空いている時に、
「K先生(新人)、お願いしま~す」
 とN美が担当医を指名してくる。その多くがPZや修復・補綴のセットといった点数が高い処置の場合。そしてわたしには根管治療、義歯調整があてがわれることに気づきはじめた。担当医制ではなかったから、強くも言えないし、モヤモヤしながらも、ラグビーでいうところのワン・チーム、One for all All for oneならばかまわない、と口をつぐんだ。しかし、そんな殊勝な考えは甘かった。月間の集計が出る頃になると、あらぬ方向(理事長)から特大のホーミング魚雷が 放たれる。

ラグビーチームのような友愛の精神は、育まれなかった

「お前さんは、さっぱり稼いでないね。新米のK先生のほうがずっと頑張ってるよ」
 今回は言い訳ができない。実際にわたしが診たのは、点数のあがらない処置ばかりだったし、なにより自分自身でカルテに押したシャチハタが証拠だった。
 さすがに凹んだ。
 それでも気を取り直して出勤したわたしは、決意も新たに診察室へ出て行った。最初の予約は歯周病のメインテナンスに移行した患者のはずだった。根治からブラッシング指導、歯周治療を施し、プロビジョナルTEK(仮歯)でメインテナンスを行ってきた患者が2カ月ぶりにやってくる。しかし、待合室には当該の患者はいない。約束を違える人ではないので、おかしいなと思っていたら背後からタービンの音がする。
 なんと、メンテ予定だった患者に早番の分院長・M先生がとりついて前装冠を含むロングスパンのブリッジを形成していたのだった。
 困惑に支配されたわたしは、M先生の背後で、彼のブリッジ形成と、トレーに無造作に置かれたプロビジョナルを呆然と眺めているしかなかった。M先生はわたしよりずっと年長だし、キャリアもある。それに、すでに形成を始めたということは、患者も治療に同意していることになる。やめさせることはできない。
 M先生は時折、わたしに意味ありげな視線を送ってくる。やがて印象が終わり、わたしが苦労して調整してきたプロビジョナルをセットしたところで、
「ごめんね」
 と頭を下げた。その薄くなった頭頂部越しに見えたN美の勝ち誇った笑みは今でも記憶に色濃く焼きついている。
 担当医制ではないから、たとえわたしが継続して診てきた患者を「取られた」としてもM先生に罪はないが、「ごめんね」と詫びたからには、彼もまたN美の意図を承知し、それに乗っかったわけだ。
 しかしインセンティブに縛られている彼にとって、売り上げは何よりだった。彼の奥さんは、大学医局員をの薄給を知らずに結婚したらしく、経済面でプレッシャーをかけていることをM先生は日頃からこぼしていた。子供を作る暇もない、専業主婦を夢見てきたのに未だにパート勤め、などと。だから渡りに舟とばかりにN美の甘い誘いに乗ってしまったのだろう。

せめてもの抵抗

 さすがに我慢の限界だった。
 N美にはもちろんだが、それ以上にインセンティブで評価されることが。数字がよければ、治療の流れは問われないシステム──今でも珍しくないことだが、真っ当な医療人ならば、数字至上主義ではあってはならない。
 正しい治療を行っても、食えなきゃ意味がないじゃないか──それはごもっともだが、売り上げ至上主義に囚われたM先生の治療は、患者の愁訴を無視したもの。例えば右奥臼歯の根管治療があっても、そこには注力せず、反対側のレジン充填を行う。一向に最初の愁訴が完了しないまま、口腔内すべての虫歯治療が終わってしまう。すると、何かと理由をつけて、あらたに冠をはずして感染根管治療をはじめる、といった具合に。
 もはや治療計画もなにもあったもんじゃない。患者だってバカじゃないから、いずれ気づくことになる。M先生を嫌って遅番の部へ流れてくる患者もいたのだが、数カ月も放置されてきた根管治療以上に、いつまでも終わらない治療への不信感に染まった患者の心が堪えた。
 この時点で、わたしの歯科医としてのキャリアは2年に満たない。M先生に届けとばかりに、「最初の根治を終わらせましょう」、「他の治療に手を着けないで」などとカルテに記すのが精一杯。それをN美に利用されてしまうとも知らずに。

限界

「あんた、仮にもM先生は年上でしょ? 駆け出しの歯医者のくせに、先輩にむかって生意気言うんじゃないよ!」
 ある日、階下の喫茶室にM先生とともに呼び出されたわたしは、理事長夫人にいきなり切り出された。ついで、カルテの束がテーブルに投げ出される。M先生への反論、諫言を記したものばかり。N美が集めたに違いなかった。
「わたしねぇ、センセには期待してたのよ。グループの分院のひとつを譲ってもいいと思っていたぐらい。今からこんな調子じゃとても無理ね。もっとスタッフとうまくやりなさいよ!」
 わたしの混乱した頭の内部では「スタッフとうまくやりなさい」という言葉が「N美とうまくやりなさい」に変換されていた。
 それでもわたしは、よい機会だと捉えてM先生への不満をぶちまけた。今にして思えば本当におこがましいのだが、点数至上主義のままでは早晩立ち行かなくなる、と。しかし理事長夫人は、
「Mセンセ、この人まーだこんなこと言ってるよ。バカにされたんだがら一度ぶん殴ってやんなさい」 

わたしの目の前には,小刻みに震える握り拳が

 肩を怒らせて拳を握りしめるM先生が、どんな言葉を口にしたかは、はっきりとは記憶していない。ただ、俺だって一生懸命やっているんだ。いい加減にしてくれよ、みたいなことは言ったと思う。そしてわたしは、それは先生の被害妄想だ、と告げたことと、M先生の拳がわたしの顔面へ振り下ろされることはなかったのは確かだ。

 理事長とN美の関係が実際にどうだったかは、今でも知る由もない。しかし、スタッフルームに仕掛けられた盗聴器の如く、N美が立ち回ったことだけは確かだ。
 意気消沈するわたしとは対照的に、N美と彼女に同調する助手たちの嬌声が大きくなっていった。組織のなかでの敗北を象徴するなエピソードがある。勤務医にコーヒーを振る舞うのはN美の役目だったが、事前に砂糖とミルクを入れるか訊かれる。わたしが、
「何も入れなくていい」
 と告げて出てきたのは、お湯が入っていないマグカップ。底に敷きつめされたゴールドブレンドの顆粒の白々しさが、今でも目に焼きついている。

 以来、治療は荒れ、飲めない酒をあおり、生活は荒んでいく。もう、何があったかは書きたくない、思い出したくもない。もちろん、わたしにも非があったことは確かだ。治療技術は未熟。人使いも上手くない。そしてブサメン。
 精神科を訪ねたら、なにかしらの病名が告げられただろう。心の余裕の無さは治療にも影響を与え、私は医療事故を起こしてしまう。まともな精神状態なら、まず回避できたはずの事故だった。
 この時、年齢は26歳。早くも限界だった。
 つづく


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