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技工士激レア時代の処方箋①

担い手のいない保険技工

 新たなブログシリーズです。
 今回は業界の現状を並べたプロローグ、肩から力を抜いてお読みください。

 私の住む田舎町でも、技工士不足が取り沙汰されるようになってきた。このエントリを書いているのは令和5年11月末。特に、保険の義歯を作る技工士がいないのだ。もともと義歯を手がける技工士は少なかった。それが、上手い技工士となればなおさらである。歯科医も、どうせ採算のとれない保険義歯だから、と自費義歯へ誘導する叩き台くらいにしか思ってこなかった先生も多く、私もその一人だ。
 それでも自費の料金を払える患者は大都市圏に偏在しているわけだから、田舎の歯科開業医は大半を占める保険義歯の需要に対して、儲からないまでも損しない義歯の製作を技工士に強いてきた。その端的な例がクラスプでありバーであろう。
 保険義歯で鋳造クラスプ、鋳造バーを技工指示する歯科医はかなり少ないはずである。それは保険点数の7割しばりから、屈曲のバー、クラスプに比較して技工料金が高い。そして診療報酬も技工料金を補うほど高くはないとなると、技工指示は屈曲のバー、クラスプばかりになるのは人情だろう。また、それを逆手にとって、鋳造のバー、クラスプは自費として差別化を図っている先生も存在するだろう。
 1例を挙げて説明する。


保険の義歯フレーム

 上画像は、当診療所で製作したコバルトフレーム、もちろん保険義歯である。未研磨でお見苦しい点はご容赦いただきたいが、ワンピースで鋳造したもの。さぞや技工操作は大変だろうと歯科医諸兄は思うであろうが、さにあらず。CAD/CAMによってパターンをプリントアウトしたり、既成の光硬化パターンを活用することにより、かつてのように耐火模型を製作する必要がなく、手間と時間が大幅に削減できている。これを、上図と同じデザインで屈曲により作ろうとすると、①右上3および4に適合するクラスプを曲げ⇒②それを副模型上で蝋着し⇒③大連結子を屈曲してワイヤー双歯鉤と蝋着⇒④左上5のクラスプを曲げ⇒⑥それに適合する鋳造または屈曲レストを組み込む、というふうに実に煩雑な手順の作業を強いられ、そして適合は鋳造フレームに遥かに及ばない。これで料金が安いのだから、技工士にやる気をだせというのは無理。ましてやキャスト以上の適合を期待するのはどうかしている。
 このように、歯科医にとって保険の義歯が不採算であるのと同様に、技工士にとっての保険義歯も美味しくない仕事なのだ。だから、一人親方ラボで義歯を手がける人は少数だったし、義歯専門を謳うラボも自費の義歯をあるていどの量を手がけないとやっていけない。

歯科医も技工士も、自費へ逃げるが勝ち?

 去年の暮れのことである。当地区では最大手ラボのひとつが、新規の保険技工を断る事態に至っている。また、中規模以上のラボでも、CAD/CAM冠を出してくれるなら保険も、という抱き合わせ販売に打って出るようになった。これに対し、3D機器を購入する余裕の無い、年配の一人親方はどうやって食いつないでいるか──長年身につけたスキルで格安の下請けを数でこなしている人が多かったと思うが、さすがに技工士も高齢化が著しく、元請け⇒下請け⇒孫請けの仲介商売もそろそろ終わりを迎えるは必定だろう。
   若い技工士を抱える中規模以上のラボでも、働き方改革で長時間労働を強いることは叶わなくなった。もとより、タイパ(タイム・パフォーマンス)を重視する今どきの若者に長時間労働、ましてや技術を身につけるのだから滅私奉公が当然などという古臭い価値観は彼らの耳に届くはずが無い。したがって軒並み納期は伸び、値引きに応じるラボも減ってくる。すなわち歯科医と技工士の立場逆転は現在進行形なのである。 

 もう保険診療なんかやってられんわ! と歯科医が口にすると同じように、時間単価が著しく安い保険技工に見切りをつける技工士も増えてきたのは、最近の傾向としてあると思う。
 では、皆が自費で食えるのだろうか?  

令和元年 内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部

 上図は地域別の一人あたり都道府県民所得を色分けしたものである。調査はコロナ襲来前の令和元年だから、地域間格差はさらに顕著になっているとお考えになって以下をお読みいただきたい。
 どうしてこうなったかは、私なんぞが言うことではあるまい。ただ、経済、人口とも地方の一陽来復は私が生きている間には訪れないであろうことは容易に想像できる。

 さて、歯科診療所数は東京都が突出して多いのは周知の事実である。人の集まるところにカネが集まるの法則のまま、都内で自費をメインに据えていない先生はかなりレアだろう。保険で食えなくなってきたからには、歯科医の開業は大都市圏に集中し、技工所もこれに追随せざるをえない。実際、当地の大手ラボも、首都圏進出の足掛かりとして、営業所を埼玉県内に開設したばかりである。

保険で起こったことは自費でも起こりうる

 いっそ補綴をケチな保険からはずせ! とか、保険医総辞退だ! といった過激な論調が業界内で聞かれるようになってきたが、このように叫んでいる人は決して過激な思想家などではなく、地道に保険診療に携わってきた人たちばかりである。
 ならば仮に、修復・補綴が保険からはずれたとしよう。そうなると歯科医も技工士もWin-Win になるのか?──私はそうはならないと予想する。折しも物価高で、診療報酬を下げろ!という世論がマスコミを中心に醸成されつつあり、おそらく次の改定ではかなり厳しいことになるであろう。なにせ官僚の中の官僚、省庁の最上位に君臨する財務省が言うことは必ず実行される。無い袖は振れないのだ。ならばやはり自費で食うしかないじゃないか、ということになるが、ここで考慮しなければならないのは患者の財布と医療に対する意識変化だ。
 ご承知のとおり日本は悪性インフレのまっ只中にある。加えて負担増。だから診療報酬は物価分のアップ場見込めなくとも、低レベルながら医療関係者の生活は保証されていると言えるかもしれない。しかしそれでは、高額な借金を抱えて開業したり、歯科衛生士を多数擁して、酌めども尽きぬ泉のようなクリニックを運営することなど夢のまた夢である。
 問題を単純化するために、首都圏の同じ地域に、自費中心のクリニックが同時に数件開業したとしよう。最初のうちは物珍しさも味方して順調に患者数を伸ばせるかもしれない。その多くが中高年以上の経済的に余裕のある患者層だったら微笑ましいが、2025年以後、団塊の世代が後期高齢者となって以後はどうなるだろう。蓄えの乏しい若い世代が自費負担に耐えきれないかもしれない。悪性インフレが続き、経済的に二等国に転落していたならなおさらだ。もはや安いものしか売れなくなる。
 そこで発生するのがダンピングだと思う。
 いや、そんなことはない、高くともいい物はいいとアピールすればなんとかなるさ、という意見もあるだろう。しかし、現実に目を向けてみれば、私は背筋が寒くなるのだ。
 端的な例が、デンタルオフィスXによるモニター商法被害。いわゆるマウスピース矯正──当ブログではアライナー矯正と呼称したい──は、従来からのワイヤー矯正より安価であることがアピールされてきた。だから、ループメカニクスであろうがスライディングメカニクスであろうが、ハイレベルのワイヤー矯正テクニックを身につけた矯正専門医にとってアライナー専門を看板に掲げる似非矯正医は脅威以外のなにものでもない。なのに、安いはずのアライナー矯正であるにもかかわらず実質無料のうたい文句に釣られ、多くの被害者が積み上がったのは皆さんご承知のとおり。空隙が残ったり、オープンバイト、前歯のフレアなど被害者の惨状は目を覆うばかりだが、私はアライナーには疎いので技術的なことには触れない。しかし、悪貨が良貨を駆逐したとは言えないだろうか?
 自費治療でも消費者は安い方へ流れる傾向にあるのだ。まるで保険技工の料金が値引きされたように。それは患者の側からではなく提供者──すなわち歯科医が患者に、技工士が歯科医へ値引きを提示してシェア獲得に動く。簡単に言えば、歯科が自費オンリーになれば、患者の少ない歯科医、クライアントが少ない技工士は値引きに動くと見ていい。
 その影響とも言える状況がすでに発生している。本年7月に、自費を手がけていた中規模技工所・トライス(東京都新宿区)が倒産、負債は2億7700万円。詳しい経緯はわからないが、自費メインでも安泰ではないことに少なからず驚かされた。次いで10月、ホワイトラインテクノロジー(文京区)というアライナー矯正装置を手がけるラボが倒産した。自費を手がけるクライアントも、熾烈な患者獲得競争に晒されていることは頭に入れておきたい。

 自費の患者は存在するが、絶対量が少ない。そこに多数で群がってはどうなるか、誰にでもわかろうもの。かつてトヨタが富裕層向けにソアラ(現レクサスLC)を売り出した時、少ないパイの分け前にあずかるべく各社も追随したが、未だに高いブランドイメージを維持しているのはトヨタ(LEXUS)だけである。日産はルノーの支配下でカルロス・ゴーンに食い物にされ、マツダは倒産一歩手前まで追い込まれ、復活までには20年を要した。
 自動車と歯科を同列に語るにはやや難があるものの、こと自費ともなれば出費には覚悟が必要、且つ、虚栄心を満たす商品という点で共通点はある。
 もともと少ないパイ、しかも年々縮小していくそれを分捕らんがために、無理な店舗展開、強引な患者獲得手法が悲劇を招く気がしてならない。本ブログでは、そうならないための自衛策を述べていきたと思う。
 重ねて申し上げるが、自衛策である。集患などでは決してないことをご理解の上、次回のエントリを待たれたい。

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