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【#4】空想の平和

卒業式は行われることになった。


ただし参加者は校長、副校長に6年生の担任のみ、児童は卒業生だけで保護者は各家庭1人のみという条件付きだった。式の内容も卒業証書の授与は各クラス代表1名、校長の挨拶だけという質素なものだ。毎年恒例の卒業生の言葉や合唱は省かれたが、それでも一生に一度の卒業式だ、やらないよりは良いだろうという結論だった。


その卒業式が10日後に迫った放課後、工藤くんグループが揉めている所に遭遇してしまった。工藤くんと関くん、山口くんが中川くんを囲んでいるように見える。下校後の教室の消毒をしにきたらまだ残っていたらしい工藤くんたちの口論が聞こえた。

一瞬、声を掛けるか迷った。

この子達の担任なのだから迷うことはないのだが、また工藤くんが関わっているということが私にブレーキをかけた。ここでまたトラブルがあればまた工藤くんのお母さんが何か言ってくるだろう。私は自分の保身の事を考えてそこで立ちすくんでしまったのだ。


すると大きな音が聞こえて、教室の中を覗くと中川くんと椅子が倒れていた。

「どうしたの?!」

思わず室内に飛び込むと、工藤くんと、山口くん、関くんがビクッと振り返る。

「何でもないです。」

すぐに中川くんが立ち上がって言った。ちゃんと見ていなかったが、誰かに突き飛ばされたのだと考えるのが自然だろう。中川くんは足を擦りむいていた。何でもない訳がない。身体の中がカッと熱くなる。まだほんの僅かに残っていた教師としての使命感が私の迷いをかき消した。見逃すわけにはいかない。


とりあえず4人を座らせたは良いが、誰も口を開かない。私もこんなことをしたのは初めてで、何と言って聞きだしたらいいのかわからなかった。


「何があったのか説明してちょうだい」とか「黙ってちゃわからないでしょう」という三流漫画の台詞のような言葉しか出てこない。これでよく教師を続けて来られたものだと我ながら呆れる。

沈黙を破ったのは中川くんだった。

「あの…本当に大丈夫です。何でもないです。」

「何でもないことないでしょう。喧嘩したの?身体が当たるような事をしたの?」

「別にケンカじゃないし。これくらいの事、よくあるよなぁ?」
工藤くんが山口くんと関くんに聞くと二人は気まずそうに頷いた。

「ツッコミだよ、ツッコミ。なんでやねん!て、そしたら蒼がバランス崩して転んだだけだよ。それに蒼が変な事言ってくるから…」

「そう!僕が勝手に転んだだけなんで。」

中川くんが工藤くんの言葉に被せて言うと工藤くんがほら、と笑った。

「先生だって、僕らがじゃれてるところ、いつも見てるでしょ。」

相変わらず顔はにこにこしているが冷ややかなような、諦めの混じったような声で中川くんが呟く。「いつも助けてくれなかったじゃないか」と言われた気がした。



もしかしたら前からこういうことがあったんじゃないかとは思っていた。でも私は悪ふざけの延長線だと思うことで深入りせずにいた。結局タオルの紛失事件の事もちゃんと確認できていない。このクラスだけじゃない。今まで担任した中でも度々あったが、軽い注意で済ませていた。私は自分のクラスで『いじめ』が発見される事を恐れ、子供たちのトラブルから逃げ続けた。『平和な教師生活』は自分で作り出した空想だったのだ。

「もう良いですか? 暗くなるとお母さんが心配するから。」

言葉が出ないわたしにいつも通りの笑顔を向けて中川くんが言う。

「でも…」

「本当に大丈夫!痛くないし!勇気くん達、迷惑かけてごめんね!先生、さよなら!」

工藤くんたちに何故か謝ると、逃げるように中川くんは帰ってしまった。

「んだよ。俺らも帰ろうぜ。」

「待って。前から聞きたかったんだけど、工藤くんたちは本当に中川くんと仲がいいの?」

「え、どういう意味?」

工藤くんが睨む。
しまった、と思ったが走り出してしまった私の口は止まらなかった。

「さっき中川くんが転んだときに、誰も『大丈夫?』と声を掛けなかったのはどうして?」

ライブハウス問題で糾弾された時の自分と中川くんを重ね合わせていた。我ながら大人げない。でも気が弱くて言い返せず、先回りして謝る中川くんが心配だった。いつもにこにこしている顔の奥で一体何を我慢しているの?

「だから最初にあいつが変なこと言ってきたんだよ!」

「勇気!」

少し興奮気味になってきた工藤くんを山口くんが止める。

「俺たち幼稚園が一緒で、5年生でまた4人同じクラスになったからサッカー部も一緒に入ったしよく一緒に遊んでるよ。」


『変なこと』が何か気になったけれど、制された工藤くんの代わりに口を開いた関くんの話を聞くことにした。子供の話を頭から否定したり問い詰めたりするのは良くない。

「でも、あいつ受験はしないっていうし、サッカーより何かえーごの歌とかの方が好きみたいで話し合わなくてさ。」

幼稚園の頃のただ公園を走り回って楽しいだけの時期はとっくに過ぎている。小学生高学年となれば、それぞれ好きな事が出来てくる。それが成長だ。知らなかったものを知り、少しずつ社会が広がっていく。その過程で中川くんは工藤くんたちといるよりも楽しいことを見つけたのかもしれない。だからといって急に一緒にいることをやめることも出来ないだろう。まだ住んでいる地域や学校が世界の全てなのだ。

中川くんは気が合わなくなってしまった友達とどうやって距離を取ればいいのか分からなかったのかもしれない。そして工藤くん達は1足先に大人になっていくような中川くんと心の距離を感じて寂しかったのかもしれない。それで気を引こうとちょっかいを出していたのだろうか。

「蒼はもう俺らのこと、友達と思ってないのかも。」

山口くんが呟く。

「中川くんがそう言ったの?」

「言ってないけど…中学バラバラになるのに何か楽しそうだし。なぁ?」

山口さんが振ると二人が小さく頷いた。


「先生、‘’先生‘’やめるの?」

工藤くんの急な問いが大きく胸を打つ。まだ児童達には伝えてない。伝えないまま、卒業式を迎えるはずだった。なんと答えたらいいか考えていると工藤くんは更に核心をついてきた。

「それって俺らのせいなの?」

「勇気!」

また山口くんが制する。

「どうして…そう思うの?」

「蒼が言ってきたんだよ。卒業前に先生に謝れって。先生に『バイキン』て言った事。あんなの冗談じゃん!先生だって冗談だってわかってるでしょ?それに体育の福田に言われてすぐやめたし。1年も前の事だぜ?昔の事じゃん!」


昔の事か。
この子達からしたらそうだろう。冗談で言っていたことも分かっている。私が辞めるのはそれだけのせいじゃない。でも、傷付かなかった訳じゃない。どうして中川くんがこの事を知っていて工藤くん達に言ってくれたのかは分からないが、最後にちゃんと話そう。本当のことを聞こうとしながら自分だけ適当な言葉で逃げるのはズルい。この子達に心を開いてもらうにはまず自分が嘘をつかないことだ。この子達は冗談が行き過ぎてしまうことがある。その事を分かってもらえる最後のチャンスだ。今まで私がして来なかった、『向き合う』チャンスだ。後から校長やお母さんはたちに怒られるようなことがあってももういい。中川くんという味方がいると知れたことが私の背中を押した。

「そうね。知られてしまってるなら正直に話すけど、先生が辞めるのはほんとです。でも、工藤くんたちが先生の事を『バイキン』と呼んだのが原因で辞めるわけじゃない。」

「そうだろ?」

あからさまにホッとした顔で工藤くんが言う。

「でも、悲しかったのは本当よ。」

またすぐに3人の顔が強ばる。笑ってしまうほど素直だ。

「先生が休みの日にライブに行って、学校を休校にしてしまう程の騒ぎになってしまったのは本当に申し訳ないと思ってる。あの時は不安だったよね?ごめんなさい。」

大人に謝られて困惑しているのか「別に…」とか「まあ…」とかぶつぶつ言いながら3人で顔を合わせている。

「でもね、先生も不安だったの。自分が感染してないか、皆に感染させてないか。学校が始まってからも皆を守れるのか、それでいてちゃんと授業ができるのか心配で心配で仕方なかった。きっとお母さんやお父さんも不安だったと思う。特に3人は受験も控えていたから余計そうだよね。」

言葉に少しずつ熱がこもる。こんな話を児童にしていいのだろうか。けれど3人は黙って聞いてくれている。

「『バイキン』て言われたことはとても悲しかった。勿論冗談だって、ふざけてるだけだってわかるけど、その時の先生には凄く傷付く言葉だった。」

3人は俯く。関くんは少し涙ぐんでいるようにも見える。

「責めてるんじゃないのよ。福田先生に注意されてすぐにやめてくれたし、それはもういいの。でもね、同じことを友達にしていないか考えて欲しいの。まだこの感染症は収まらなそうだし、もしかしたら中学の同級生で感染してしまう人がいるかも知れない。その時は冗談でも『バイキン』なんて言ったらだめ。そう言う悪口みたいな言葉ってね、言った方は軽い気持ちでも言われた方はずっと忘れられないのよ。」

「……。」

「さっき、ツッコミを入れたら中川くんがバランスを崩して転んだって言ってたけど、自分が転んだほうだったらどう?あれは『ツッコミだった』って言える?」

「……。」

「冗談か冗談じゃないかはしたほうが決めるんじゃない。された方がどう感じたかなの。さっきの話を聞いて、3人は中川くんと中学が離れても友達でいたいんだなって思った。それなら中川くんが何が好きなのか興味を持ってみたら?共通の話題が増えたら中川くんも嬉しいんじゃないかな。あと、たとえツッコミだったとしても小突いたりしたらだめ。中川くんもみんなに嫌われてると思ってるかもよ。」

「え…!そんなことないよ。」

関くんが呟く。

「でも他にも…冗談で色々言っちゃったかも。あいついつもへらへらしてるから、ついキツく言っちゃって…。後で言い過ぎたかなとか思うんだけど、ついまたやっちゃったりしたから…。」

山口くんの声が震える。

「その事をちゃんと伝えて謝ったら中川くんも分かってくれるんじゃないかな。」

「でも中学も別々だし、もう会わなくなっちゃうかも。」

涙が出ないように上を向いてまばたきをしている。まだ子供なんだよな、と関さんを見て思う。


「本当の友達ならいつまでも仲良くいられることは出来るのよ。でも、本当の友達でいるためには相手の事を尊重して、嫌がることはしないこと、そしてケンカをしたら謝ること。」


10日後にはこの3人と中川くんは離ればなれになってしまう。中川くんは中学でやりたい事があるみたいだし、他の子は殆ど同じ学校だが、この3人は環境が大きく変わる。不安でいっぱいなんだろう。調子には乗りやすいが素直な子たちだ。きっと大丈夫だよ。


中川くんはいじめられている訳では無さそうだった。意外とこの3人よりも大人なのかもしれない。

「じゃあ、何で先生やめるの?」

今度は遠慮がちに工藤くんが聞いてくる。
なんと答えれば良いんだろう。自分でも答えが見つかっていないのに。

「ちょっと、体調崩しちゃって。」

嘘ではない。心の調子を崩してしまったのだ。

「え、入院するの?手術?」

ヤバくね、とまた関くんがオロオロしだす。

「ううん、そこまでじゃないの。ちょっとお休みして、ゆっくりするだけ。」


「あの…お母さんが学校に何回か電話したって…。それで辞めさせられるの?」

思い掛けない言葉に驚く。中川くんに言われて意外と心を痛めていたのかもしれない。

「前に蒼の持ってたタオルが羨ましくて勝手に借りたの。すぐ返そうと思ってたのに話が大きくなっちゃって、お母さんに怒られるのが怖くて嘘ついたの。仲村先生は普段から蒼をひいきしてて俺に当りが強いって。被害者は自分だって言ってさ。それからお母さん、仲村先生のこと凄く嫌ってて…。だからライブ事件の後も何回も電話してるの聞いちゃったんだ…。」

なるほど、得心が行った。もともと教育熱心で厳しいお母さんではあるが、その工藤くんの嘘を信じて我が子を守ろうとしていたのか。自分の子供の嘘も見抜けず、都合の良いように解釈するのは勘弁して貰いたいが、子供を守ろうという親の心理は理解できないこともない。

「違う、違う!先生が自分で考えて決めたのよ。工藤くんのお母さんからの電話は関係ないの。」

明るく言ったつもりだが3人は黙り込んでしまった。工藤くんのお母さんの事が関係ない事はないけれど、それを工藤くんに当たっても仕方ない。工藤くんも工藤くんなりに家で苦労してるのかもしれなかった。

「だから、今度の卒業式は先生の卒業式でもあるの。皆で一緒に卒業。それまでに中川くんと仲直りして、気持ちよく卒業しましょう?」

「…はい。」

返事をしたあとに消えそうな声で「バイキンて言ってスミマセンでした。」と関くんと山口くんが一緒に頭を下げた。それから少し遅れて工藤くんも。顔を上げると、ほんの少し目尻が光った気がした。


動揺して、「あ、いや、いいえ」などの変な返事に被せるように下校の音楽が流れ始め、「じゃあ、さよなら!」と3人は走って行ってしまった。




力が抜けて思わず座り込む。
クラスの問題児だと思っていた3人がこんなに素直に思いを口にしてくれて謝ってくれると思わなかった。去年の感染症の事件で私はすっかり疲れてしまったが、あのことがなければこうやって逃げてた自分に気づけなかったかもしれない。児童と向き合わずに自己満足の教師を続けてしまっていたかもしれない。その事に気付けたのが辞めることを決めた後だなんて皮肉だ。


児童達が私の荷物を1つづつ下ろしてくれたみたいに心は軽くなって、切なくなった。

これから思春期を迎える子供たちはまだまだ色んな試練が待ち受けているだろう。どうか、めげずに乗り越えて行って欲しい。そのままの素直さを大切にして欲しい。そして大人になったら同窓会で…という私の夢はもう叶わないけれど、ずっとずっと応援している。

立ち上がって息をつく。
卒業式まであと10日。
児童たちが健康でその日を迎えられるように、と消毒をする腕に力を込めた。

         【#5】へ続く


おさらい↓




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