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妄想軍事評論「零戦の虚実」〜 杉岡宗春

 伝説となった「ゼロ戦」こと 零式艦上戦闘機、略して「零戦(れいせん)」は そのスマートで優美な機体形状と大東亜戦争緒戦の大活躍から 日本人の心 に深く刻みつけられました 
 その 三菱・零戦 は本当に あのコンセプト あの形 で良かったのか? 違っていたら=どうであったかを 想像の翼を少しだけ拡げて=考察して見ようという 試み です
 開戦時 300機程 しか用意出来なかった「零戦」もし 中島飛行機に 開戦前に生産を委託していれば ー 開戦後 生産を委託された 中島 での生産数の方が多い という史実 ー いや 思い切って 海軍だ、陸軍だ 三菱だ、中島だ 等という 面子(メンツ)など捨てて−海軍の零戦を中島が開発に難航していた、陸軍のキ43=一式戦「隼(はやぶさ)」に替り、採用していれば−中島は、重戦キ44・後の二式戦「鍾馗(しょうき)」に技術陣を集中させる事が出来、歴史が変わっていた可能性が有る。※「隼」ファンの人=🙇🙇🙇
 では、本論へ=ここでは、三菱と中島=共同開発で→目的に応じた「3種類の零戦」を造り出した=という設定を考えましたー現代の「F35戦闘機(A・B・Cタイプ  )」の様に。
 先ずは「1号零戦(陸上用戦闘機)」→此れは史実上の ”11型“ では無く、隼1型近似で=翼幅11.5m 全長9m (翼端折り畳み無し、翼面積は減少=史実の零戦より。航続距離も減少)に=当時の航法装置・技術で単座戦闘機が3千kmを越える航続距離を持つ事はパイロットの疲労等も有り、無意味と考える。また、エンジンは史実通り“栄発動機−星型14気筒”か、後述の”妄想発動機“で。
 次に「2号零戦(艦上=正規空母搭載用=戦闘機)」→此れは“隼3型”近似で=翼幅10.8m 全長8.9m(翼端折り畳み無し、空気抵抗との兼ね合いは有るが=翼弦長をとり=翼面積を”1号“並に)←航空母艦用としては、充分な航続距離=2500km+は見込める=を持たせられるハズ=小型化は限られた格納庫スペースでの搭載機数増大の為。 ※ファウラーフラップを装備=空戦フラップ機能を外し、離着陸時性能をアップさせる=其れが母艦用として望ましい。※エンジンは“1号零戦と同じ”。
 最後は「3号零戦(小型空母用艦上戦闘機)」→ 姿は=陸軍97式戦闘機近似=翼幅10m 全長8m以下=97戦より全幅短く、全長ながく、翼弦長をとり、翼面積をかせぐ=小型空母からの発着艦に無理が無い程度に=零戦の部品を最大限流用した固定脚戦闘機→エンジンは寿発動機改良型(馬力アップ、小型化は必要=目標900ps)。 小型空母の格納庫に、なるべく多く搭載する為にコンパクト化は必須で=また、翼面積減少を補う為の軽量化も必須=その為の星型9気筒発動機、固定脚の採用。もちろん”ファウラーフラップ“装備は当然。−−何故、一世代前の96式戦闘機の様な機体を開発するのか?=その目的は、大・中型空母の戦闘機を攻撃部隊(艦爆・艦攻)の掩護に専念させる事。代わりに、付随する小型空母に1機でも多くの戦闘機を搭載し、上空直掩の任にあたらせる。国力に乏しい=大型空母を、貨物船改造護衛空母&油圧カタパルトを開発・量産出来無い=当時の日本では、この方法がベターと考える。この“ダウンサイジング零戦=3号零戦”でも、敵艦爆・艦攻の阻止には充分と考え=母艦直掩任務に特化すれば、対戦闘機でも引けは取らないと考える。
 そして、搭載発動機の考察=エンジンは”中島・栄“で良いのか?→妄想の翼を少し拡げてみる。
 中島−栄発動機か、三菱−瑞星発動機か、はたまた金星発動機か、未だ議論は尽きない。で、僕の妄想は=瑞星(又は栄)の排気量約28Lを30Lに(=米F4FワイルドキャットのP&W R1830 30L1200psに対抗)、1000psは難しく無いと考え−1200ps達成も技術的に充分可能だろう。※因みに−金星・排気量32L+→は排気量35Lにする(妄想)=史実の金星より、高馬力で(=さほど大型化しないと考えられる)=妄想金星発動機搭載機は稿を改め、いずれ。
 搭載機銃の考察=一発の威力大だが、搭載弾数の少ないエリコン20mm機関砲よりも=7.7mm機銃を6~8門搭載がベター(初期には)だったと考える。その上で口径・威力大の12.7mm機銃=陸軍ホ103を陸海軍共同開発し、実用化を早め=搭載するのがベターだろう。更に考察すれば、航空機銃は=毎分発射速度&高初速の方が「命中率が高まる」が=当時の日本の技術では、二兎を追わず=一兎−−毎分発射速度を600~700発程度に抑え、初速900m/s以上にする方が良いと考える(=賛否両論有るだろう)。※此れを機首に2門−翼内に4門=計6門を搭載する。
 最後に、当時の技術で充分に造り出せる−3種の零戦=此等を使い分け、大東亜戦争緒戦を戦っていたら=どうなっていたでしょうか?
 山本五十六(敬称略)を始めとする「リーダー」達が同じままでは、全く変わらないかも知れません。ですが、史実とは違う−別の歴史−に成っていたかも=という「想像、シミュレーション」は、「現代、そして未来への教訓」として活かされる−はず−です。

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