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妄想軍事評論 「旧日本海軍 航空母艦 龍驤 = 考察 」〜 杉岡宗春

 昭和5年(1930年)のロンドン軍縮会議に於いて、それまで(=ワシントン軍縮条約下で) ”制限外" であった "基準排水量1万トン以下の小型空母” は制限内=日本−8万1千トン、米国−13万5千トン=に加える事にされてしまった。元々、不利であった日本の空母保有量。7000トン級の「鳳翔」8000トン級の「龍驤=当時、起工済み」を加えられては、堪らない。絶対に、これら小型空母を航空母艦保有枠(日本=8万1千トン、米国=13万5千トン)に加える事は 阻止 しなければ成らない=確実に、圧倒的に−日本に不利に成るのだから。場合に依っては、交渉を決裂させる覚悟を持ってのぞむべきだった。政治家・軍人達は何を交渉していたのか?外交交渉下手は今も昔も変わらない。
 そこで、ロンドン軍縮会議に於いて=1万トン以下の小型空母は沿岸防衛用。粘り強く交渉し、最終的に=基準排水量8500トン以下に制限、かつ別枠で日米英−同じ保有量=34000トン(或いは、51000トン)を獲得した=という設定にした(制限外で押し通すのがベターだが、このぐらいが妥当な交渉だろう)。※余談として=当時、考えられていた「航空巡洋艦」もこの枠に入れる設定も有りだ。規定は、主砲に関しては=8インチ(20.3cm)砲なら4門以下、6.1インチ(15.5cm)砲なら6門以下=で。
 という事で(ロンドン軍縮条約→)条約型小型空母=8500トン型航空母艦「龍驤」考察 =史実は、建造当初は "1段格納庫=平屋=24機搭載” で有ったモノを搭載機数を増やす為 ”2段格納庫=2階建=36機+補用12機"とした。その影響でトップヘビーとなり、復原性が悪くなった。更に言えば、飛行甲板が短い=150m程→飛行甲板前端が、艦橋上部と一体化=なので、(重量・サイズが増加傾向に有る当時の)艦載機の離発着に将来的に問題を生じるのは自明の理で有った。
 僕が考える「架空の"龍驤” 型」は、日本空母に多くみられた ”飛行甲板右舷前部に小型艦橋を設ける" タイプとし、格納庫は当初計画通り1段とする。なおかつ飛行甲板(最大限長くする為)を艦首と一体化する「エンクローズドバウ」方式に。この形なら、格納庫面積はかなり拡げられ=搭載機数も、30機は確実だろう。搭載機は、別記事「零戦の虚実」参照=3号零戦−陸軍97式戦闘機近似−と97式艦上攻撃機(偵察任務兼用)を混載。
 史実は、ミッドウェイ海戦で正規空母4隻を失い−足りない空母を小型空母で補ってアメリカ海軍と渡り合った。この架空軍事評論では、緒戦から「赤城・加賀・蒼龍・飛龍・翔鶴・瑞鶴」の正規空母(各航空戦隊)に1隻の「艦隊防空&偵察」を受け持つ小型空母を随伴させる。=空母機動部隊は、史実より戦果を挙げ=日米戦の帰趨は=かなり変わった事と考えられる。
『「架空龍驤=要目(アバウト)」』
 全長は180m〜190m程、全幅は船体幅20m〜21m程だろうか=艦船設計の専門家は如何に。※当時は排水量のサバ読みは日常茶飯事であったので=条約遵守確認の互いの査察無し=コレで基準排水量8500トンに収まるかは、厳密で有る必要は無い。
 搭載機関=は、初春型・白露型駆逐艦用の蒸気タービン・ボイラー = 4万2千馬力(2軸推進)✕2セット = 8万4千馬力(4軸推進)を採用。速力30ノット以上を期待出来る。
 搭載兵装=別記事「旧日本海軍=艦載−対空機銃・高角砲=考察」参照。
 当時の小型空母としては、これで充分だが、もう少し想像(妄想)の翼を拡げてみる。
 空母の格納庫で搭載機数を増やす為に、面積拡大の邪魔になるのは=艦載機を揚収する "エレベーター” だ。当時の米海軍大型空母「エセックス型」は中央部エレベーターを”半分程"張り出す方式であった。「架空龍驤」もそうしたい処だが、小型の空母では凌波性に問題が出る可能性が高い。なので、舷側に沿う形で船体中心線より、前部エレベーターは右舷寄り・後部エレベーターは左舷寄り=に設置して、格納庫を効率良く使える様に設計する。合わせて、エレベーター側面(舷側)は開口部=オープンハンガー(開放式格納庫)とし−雨戸状の開閉可能な扉を設置、被弾時の艦載機・爆弾等を投棄可能に=こんな感じで如何か。
『「補足」』
 大東亜戦争(=太平洋戦争=第二次世界大戦)緒戦。角田覚治少将−当時−率いる「第四航空戦隊」が、龍驤−単艦(と "とんぼ釣り”の旧式駆逐艦1隻引き連れ)で敵艦隊に向かって行った。僕の妄想=架空龍驤型他の小型空母2~3隻を率いた角田司令官が大活躍(=戦争なので、不謹慎デスね🙇)する想定。
 一連の(=これからも書き続ける)妄想軍事評論は、あの戦争で=日本が完膚なき敗戦となったのは、米国との国力の差(一説には1/20)では無く→山本五十六・東条英機(敬称略)を始めとする「エリート軍人”官僚"たち」が、無能とは言わないが=確実に当事者能力に欠けていた事による。圧倒的に国力の差が有る米国と無謀な戦争=準備不足という意味ならその通り=をしたからでは無い。改めて、あの戦争を検証したい。
 ※軍縮条約が「平和をもたらす」とは限らない。実際は「戦争をもたらす」のが現実(史実)。軍縮条約が無ければ、軍拡競争となり=日本は戦わずして「アメリカの軍門に降る」事になり(=これもシミュレーションが必要)、あんな悲惨な戦争にはならなかったという事。だから、不利な条約など=受け容れられなかったら=「蹴れ」ば良かったので有る。不満を持った軍人による、政治家へのテロも防げた可能性が有る。あの時代への「安易な評価」は ”危険“ 。同じ過ちを繰り返す事に繋がる。
 現代日本が、米国の言いなり&中国に呑み込まれない為にも。歴史の検証・シミュレーションは必要。

              杉岡宗春
 
 

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