【オススメ本】 野村尚克、今永典秀『企業のためのインターンシップ実施マニュアル』日本能率協会マネジメントセンター、2021
20世紀後半から瞬く間に全国に広がった「インターンシップ」。私がインターンシップを経験した(行政・ベンチャー・NPOで3回経験)時代はまだ少数の大学生のみが取り組む、マイナーなプログラムであった(今風の言葉でいえば「意識高い系プログラム」?)。しかし、令和元年度では、学部の90.8%(うち88.6%が単位認定)、高専の100%が導入しており、もはや運転免許と同じ「標準装備」のような概念となっている(すなわち、ただ経験しましたというだけではあまり価値を見出せない)。
一方で、この言葉ほど実際の大学と企業、学生の現場において多義性がある、すなわち話者によって意味が変容する概念はない。具体的には、大学は「教育機会(手段あるいは機会)」としてインターンシップを捉えるが、企業や学生は「採用活動や社会貢献的就業体験」の一環として捉えている。すなわち、ここに大きな溝(キャズム)あるいは幅(ギャップ)がある。
インターンシップはもともと医療(医師トラック)における就業体験として広く流通していた概念であるが、1997年に文科省、厚労省、経産省の3省合意で「学生が在学中に自らの専攻、将来のキャリアに関連した就業体験を行うこと」と定義されている。ただ、今から思えばこの担当省庁を一本化できなかったあたりにそもそもこの原因を見ることができるのではないだろうか。すなわち、この時点でインターンシップには教育的意義と職業的意義の両義性があることを実質認めているようなものであり、このような現場の混乱は因果応報と言えそうである。昨今「1日インターン」「ブラックインターン」や「グレーインターン」などという言葉が登場している現象も、起こるべくして起きたと筆者は捉えている。
ともあれ、そのような四半世紀を経て、あえて本書は「企業のための」との冠をつけ、かつ「現在のインターンシップの目的は採用や就業体験など様々ありますが、絶対外していけないのは「教育」です」(p.23)と「教育的意義」を全面に押し出し、刊行された。具体的には「設計→募集→実施→総括」のステップごとに具体的な処方箋を提示され、フォーマットやワークシートまで収録されている。
章立ては以下の通り。
第1章 インターンシップをはじめるにあたって
第2章 インターンシッププログラムの基本
第3章 学生・企業・大学にとってのインターンシップ
第4章 インターンシッププログラム作成シート
第5章 インターンシッププロジェクトの実際
第6章 新しい時代のインターンシップへ
すなわち、本書の意義は、やや大げさに言えば、これまでの「教育か?採用か?」という二分法(分断)の議論に終止符を打ち、本来のインターンシップのあるべき姿を社会全体で考え、再構築するためのトリガーを引いてくれそうな点にあると言えるだろう。
それが証拠に、本書では人生100年時代を見据え、社会人がインターン的に地域に関わる「ふるさと兼業」の事例(p.154)や、大学教授が約1ヶ月間のインターンシップを経験するという事例(p.156)も収録され、かつ「グッドインターンマーク」という、いわばホワイトインターンシップを認定するような動きも紹介されている(p.164)。
これもひとえに、企業と大学、両方の言語や文化を理解し、そこの架け橋として「インターンシップ」をツールを活用し、修正主義で改善を試み続けてきた二人の執筆陣のリアルな経験と功績に依るところが大きい。
ところで、アメリカでは「新卒一括採用」という概念がなく、在学中の学生も社会人もインターンシップから就職を決めるのが普通である(「マイインターン」という映画も描かれていた)。また、ドイツの大学では、キャリア支援はソーシャルワーカーの仕事であり、大学の仕事でないことが一般理解となっている。
その意味では、日本のこれまでのインターンシップはまさに「日本型(ガラパコス)インターンシップ」であったと言わざるを得ないが、本書ではそのいわばガラパコス性を「教育的意義(生涯学習含む)」を強調することで、次の段階の「新しい日本型インターンシップ」へと移行させつつある萌芽を感じることができる。
すなわち、タイトルには「企業のための」とあるが、このキーワードは「行政」「NPO」にも当てはめは可能であるし、最終的には「社会のための」となる時代の到来も期待したい。
蛇足であるが、その時には本書のコラムで紹介される現場のインターンシップを阻害するアイディアキラーおじさん、具体的には「マウンティングおじさん」「ツメツメマン」「なぜなぜ攻撃さん」「自信過剰自慢マン」(p.84)とも駆逐され、死語となっていることであろう。
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