「FPの頃」 1.面接

 私がFPに入社したのは「大学新卒採用募集」への応募がきっかけでした。確か朝日新聞の募集広告で見つけて履歴書を郵送したのではなかったかと思います。当時は「出版社は朝日新聞に求人広告を出す」という暗黙のルール(?)があり、出版社に就職を望む人間はみんな朝日新聞を取っていました。FPの規模で朝日新聞で求人する必要があったのかは疑問ですが「大手のように振る舞いたい」という願望がサイタニ氏にはあったのでしょう。それは以降もことあるごとに見え隠れしていましたが、その一つが新卒採用だったのではないかと思います。結果5〜6名の新卒者を採用するわけですが、それは当時30名程度のスタッフしかいなかったFPにとっては多すぎました。ですが私がその中に潜り込めたのはその見栄っ張りな採用活動のおかげです。最後の一人とか補欠とかで滑り込めたんだろうと思います。
 私は漫画好きの大学生として「ぱふ」や「CB」を読んでいましたので、その編集部に入って仕事をするということには憧れを持っていました。面接で会社を訪れた際にも「わあ、ここかあ…」と興奮したことを覚えています。事務所の外の共用階段にまで積み上げられた資料とか本とかを見ても「これが出版社というものなのだな」と感心しました。大間違いです。

 面接ではいろいろ尋ねられましたが覚えている質問に「CBって何部くらい売れてると思う?」というものがありました。何の根拠も持っていなかったのですが、適当な推論とともに「○万部くらいでしょうか」と答えました。入社して後に、その数が実際の3〜4倍は多い数字であることを知りました。無知のなせる技ですね。
 面接の後だったか記憶があやふやなのですが応募者が広い貸し会議室に集められました。そこで数名でディスカッションをするというのが2次面接代わりで、与えられた題材は当時の社会問題でもあった「オレンジの輸入自由化について」でした。
(漫画情報誌の入社試験で農産物の自由化問題?)
 と思ったことを記憶していますが、私は「オレンジの自由化には賛成」という立場を取って話しました。サイタニ氏は自身の持論が反対の立場の様子でしたが「米のような基幹的な作物については慎重であるべきだが、オレンジの自由化は国民生活に利するので賛成する。みかん農家の壊滅をもたらすことにはならない」と言い返したことをおぼろげながら記憶しています。
 そういう議論(?)を採用希望者それぞれと行ったためにずいぶんと時間がかかり、終わったのは21時頃だったような気がします。受かったかどうかの感触は全くありませんでした。採用は確か数日後に電話で…だったのではないかと思います。
(変な会社だなあ)
 とは思いましたが、当時の自分にとって漫画に携わるためにはここで食らいつかなければなりません。伺わせていただくことにしました。


 以上は自分の草稿というかメモです。お読みいただいてもほとんどの方には何のことを言っているかわからないかと思います、申し訳ありません。FPとは「ふゅーじょんぷろだくと」のことで、時期は1990年頃の話です。続きを上げるかは考え中ですので、ご意見等いただけましたらありがたいです。よろしくお願いします。あ、基本的にゴシップや暴露ではありません。何もできない自分の日々の話です。

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