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私は人が沢山いるから学校に行っている

「学校」ってスゴイ。マジで。


まず人が沢山居る。この時点でテンションが上がる。
しかも男性、女性関係無く、同年代の人たちが沢山。
ここまで楽しい場所は中々無いのではと思っている。
確かに私は小学校の頃は不登校だったこともあるが、
高校生にもなればあからさまなイジメは少なくなっていし、
どんな人でもある程度マトモな会話が出来る。
そもそも私は「人」というものが好きだ。
どんな時代でも面白い物を作るのは結局人間だし、
常に私に新しい刺激やアイデアをもたらしてくれるのは他人だ。
そして得た新しい考えを、自分の中に落とし込んで咀嚼し、理解し、
そこから自らの新しい意見が生まれ、また他人とそれを交換する。
なんて素晴らしいサイクルなのだろう。
私は死ぬまでこれを繰り返していきたい。
というか繰り返すべきだと思っている。
「思考」と「会話」こそが人間の営みだ。

逆に皆はなんで学校に行ってるの?

ていうかこれ以外に学校に行く理由ってあるのか?
よく「学校に行かなくても勉強は出来る」という意見に対して
「学校は社会性を育む場でもある」と反論する人が居るが、
私は全くもってその通りであると思う。
学校から「他人とのコミュニケーション」を抜いたら何が残るだろう。
きっと寂しい雰囲気と、かったるい勉学しか残らない。
コロナ渦がまさにそうだった。
zoomで授業を受けている最中に隣の人と小声で話すこともできない。
学校に行けるようになったとしても、パーテーションで区切られて、
昼休みはただただ飯を食うだけの時間になってしまった。
あと授業中に常に自分の顔がパーテーションにうっすら映るのが嫌だった。
ここで勘違いしないでほしいのが、
私は「学校には行くべきだ」とは思っているが
「学生は勉強が本業である」とは思っていない。勉強なんかよりも、
学生ならその特権を利用して色んな人と関わっていった方が良いと思う。
私が今勉強をしているのも、大学に行きたいからだし、
何故行きたいのかと言われれば、大学に沢山人が居るからだ。

1人になりたいとき

じゃあそんな杉川君には、1人になりたい瞬間はないのだろうか。
そんな訳はない。私だってトイレは1人でゆっくりしたい。
まぁこれは冗談だが、本当に1人になる時間は必要だと思っている。
1人になる時間というか、「1人で考える時間」だ。
先程「思考」と「会話」こそが人間の営みであると言ったように、
人と会話をするのと同じくらい「思考する」のも大事だ。
ただただ人を会話をし続けるのも、1人で延々と熟考するのも、
どちらか片方だけをやり続けても意味が無い。
人と話した分だけ考え、考えた分だけ人と話すのだ。

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