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スマホのない1日 -肉体的と精神的-

スマホを晴れ間に忘れたため、今日は久しぶりにネットに繋がることが全くない1日だった。


昼過ぎにダラダラと起き、近くで友達がやってるカフェにランチに行く。「だいぶ暖かくなってきたね」なんて話をしながら、美味しく健康的なご飯をいただく。いつも通りの休日。


ただ今日は、スマホがない。

しょうがないので、ご飯を待っている間、そこにあった本を読み、食べ終わった後もなんとなく続きが気になって読み進めた。


珍しく食後のコーヒーもお願いしたところで、

ふと、普段よりも時間の流れがゆったりしていることに気づいた。


なぜだろうかと、いつもとの違いを探してみると、

普段は何かとスマホを見てしまうから、Instagramやfacebookを見たり、lineで連絡したり、その度、時間の流れが小刻みになってしまうのだ。

また、時計を見て「もうこんな時間か。そろそろ出ようかな。」なんて思ってしまうことが無かったのも良かったのだと思う。


時間が、ゆったりとひと続きに流れることで、

定食の唐揚げのジューシーな美味しさや、店主の新しい髪型が似合ってることや、本の言葉がとても丁寧に綴られていることなど、その場で体感したこと1つ1つと向き合うことができた。


その時読んでいたのは、ほぼ日に集まった質問に、谷川俊太郎さんが回答するというものだったのだけれど、最後にあった対談で、糸井重里さんが谷川さんに「その時その場で感じたことを大切にし、リアルタイムで表現する谷川さんは『肉体的』になっているでしょう。」というようなことを言われていて、

今日は、まさに「肉体的」な1日だったのだと思った。


「肉体的」は「精神的」の対義語だ。

自分の内面でいろいろと考えるだけではなく、体で感じたものを大切にする。そんな頭の使い方も、生活を豊かにしてくれそうだ。


ネットに繋がった生活は、とても精神的に思う。

「見る」や「打つ」という行為はしているし、その先に人がいるのでコミュニケーションはあるけれど、

やはり、直接の体感というよりは、脳だけを動かしているような感覚だ。


人は、ネットで繋がることで、とても便利になったけれど、

常に繋がっていることで「肉体的」な喜びを置いてけぼりにして、「精神的」な喜びばかりを追い求めるようになってしまったのではないかと思う。


仕事をしていると理念や数字や計画に囚われたり、ネットが使えると遠方の友達や恋人からの連絡や多くの情報収集に急いだりしてしまうけど、

食べたり飲んだり、歌ったり踊ったり、話したり笑ったり、

その時、その瞬間に、体が受けた刺激を楽しんでみる、

そんな日は確保しておきたいと思う。


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谷川俊太郎質問箱 (Hobonichi books)

谷川さんの返答が詩的で、谷川さんにしかできないものでありながら、時にバッサリ切っていて面白かった。

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