見出し画像

自分の作品を好きになる「許可」を出す

私の部屋が散らかる原因は、自覚している範囲では2つあります。
活動後の片付けを完了する前に次のタスクに取り掛かってしまうことと、
後で読もうと思って紙のチラシや資料を持ち帰って、積読状態にしてしまうこと。

放っておくと部屋が散らかる一方なので、1日のうち15分程度を片付けタイム⏳に設定しています。

今日の片付けタイムでは、11月にプリントしてそのままソファの上で寝ている、四つ切りワイド版の写真をどうするか悩みました。

その写真は何かというと、
前回の「土浦市の写真コンテスト」に初応募する際、本命の1枚とは別に数枚プリントしたものがあって、それが行き場を失い、カメラのキタムラの紙袋に入ったまま寝かされていたのです。
(このために無駄に部屋の面積を消費していました…)

せっかくプリントしたのだから何かに使えないかな?という漠然とした考えを今も引きずっていて、
でも処分するのに忍びなくて、
買い出しのついでに額縁を買って納めてみました。

蓮の花:墨荷(ぼっか)
霞ヶ浦総合公園「花蓮園」にて撮影

自分の部屋に飾ってみようかと。

「自分の作品を自分の部屋に飾るのか。どんだけ自分好きなん?」と自己ツッコミしてしまいましたが、そもそもその考えこそがツッコミどころ満載です。

自分の作品を好きになれないで、どうしてそれを人に見せられるよ?と。

「写真を撮ってる人はだいたい皆やっているから(ホントか?)」という理由でInstagramに投稿して、たまにコメントやメッセージで「素敵な写真ですね」という言葉をかけていただいて、「いや、私なんてまだまだですよ」と謙遜してみせる。
でもそれは何となくやっていてもできてしまうことであって、私が積極的に選んでやっていることではなかったんですね。
本音では満更でもないくせに、そのことを隠し続けてばかりで、自分の作品と向き合っていない。

(ちょっと愚痴ります)そりゃ小さい頃からずっと親や兄から自分のやることなすこと粗探しされてディスられ続けて育てば、そうなってもおかしくないです。大人の暴力的な力によって子どもの頃についてしまった思考の癖は、言うほど簡単には治らないものです。
とはいえ、自責他責云々言うまでもなく、自分の人生を自分で選ぶ力をつけることが「成長」なのです。

いつまでも、自信がないくせに売ろうとしている、自分の希望に反して異動された部署で言い訳を繰り返しているダメ営業マンでいるわけにはいかないのです。

同じく買ったまま使っていなかったフォトフレームと、プリントしてそのまま鞄のポケットに入れたままの写真を取り出して、何枚か飾ってみました。

今年の梅の季節に撮った写真

人に渡してばかりいないで、部屋の壁を自分の写真でいっぱいにしてみろよ自分、と。

そうしたら、自分の写真がどんな価値を発揮するのか、逆に、何が欠けているのかが、わかってくるから。

私は私に、自分の作品を好きになる許可を出しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?