「私はね、ココ・シャネルを超えたいの」
今日石徹白で一緒に川遊びをした女の子がいた。
その子は10歳で、将来の夢はファッションデザイナーになって自分のお店を持つことだそう。
彼女のお母様が私を「ヒトミさんはファッションデザイナーなんだよ」と私のことを紹介してくれた。
彼女は自分のデザイン画を見せてくれた。
アルバムの中に綺麗に収めてあった。
2冊もある。
アイドルやプリキュアのような衣装で、
靴やアクセサリーまで細かく描かれている。
色使いもそれぞれ違って、肩やフリルのデザインも1つ1つ違う。背景の色や背景の柄まで丁寧に色鉛筆で塗られていた。
そして全てのコレクションにタイトルが付いている。
“スーパー ポップスター”
とか
”クールキュート〜”
とか。
その中で彼女が一番気に入ってるといのが
”スピリチュアル アクア”だと言った。
「どういう意味?」
と聞いたら、「繊細な海のような感じ!」と、教えてくれた。
可愛らしいブルーの服が描かれていた。
なんという、ネーミングセンス!というか、10歳でスピリチュアルって言葉使うんだと思いながら、そのデザインを眺めていた。
一緒に川遊びをして帰ってきたら
ふと彼女が私に
「私はね、ココ・シャネルを超えたいの。」
と言った!!
まっすぐな眼差しで!!私はすごくビックリした。
「尊敬しているデザイナーは?」と聞いたら
「ココ・シャネル。
私にとって尊敬でもあり、ライバルなの」
もう、度肝を抜かれて
何かが私の心の琴線に触れて一瞬泣きそうになった。
今でも思い出すと胸が熱くなる。
いつから、人は自分の可能性を閉じるのだろう。
”私なんかが”
”私ごときが”
”私は経験がない”
”私はやったことない”
こういう言葉が飛び交っては、大人は自分の可能性を閉じていく。
”現実”とか”常識”という言葉でどんどん無難で安定を選ぶようになっていく。その場の安定だけを選び続けると、人は死ぬのにね。
言葉の頭に
「実はね、、、」とか
「恥ずかしいんだけどね、、」
とかそういう防御の枕詞もない。
まっすぐ、言い切る。
「私はね、ココ・シャネルを超えたいの。」
あぁ、もう、子供って本当に先生!!
私は最近歌を歌い始めて、
CDを出したいとか
MVを作りたいとか
どこかレーベルに所属して、バンドを結成したいとか
もっと沢山の人に聞いてもらいたい
なんてイメージしてドキドキしては、
自分の歌の下手さや、現状を見て
「私ごときが何夢を見ちゃってたのかしら。。何期待してんの私」
と、
実現しない理由を言い聞かせて
ほっとさせたりする自分がいるのを観察していたから
私も、せめて私の内側だけでも
疑うことなく、言い切る自分であろうとその子を見て思った。
「私はね、ココ・シャネルを超えたいの。」
「私はね、世界中でライブをしたいの。」
あぁ、私の中の小さな子供が嬉しそうで、涙がでちゃう。
ただそう望むことを許可するだけでいいんだ。
まずは許可するだけで。
そんな簡単なことも、してあげなくてごめんね。
でもきっと、誰もが小さい時は真っ直ぐに自分の願いを望んだだろう。
そしてそのエネルギーは深く生命力と繋がり、且つ抵抗がない。
こういう時に物事は現実化する。
そして、その子のご両親も最先端の教育をされているとても素敵な方で、きっとそのサポートを受けながら叶えていくんだろうと思う。
同い年だったら、私よりはるかにデザイナーとして才能がある人だろう。
彼女の服が着れる日が楽しみだなぁ。
10歳ならもう作れるから、すぐ目の前かも。
お姉ちゃんも頑張るね。
大好きで憧れのアーティストを超えたいとか、ライバル!なんて言ってもいいよね!
可能性を広げてくれて、ありがとう!
私は私の中のまっすぐな望みを
何歳になっても本気で信じて行動する自分であるね。
自分と全ての人に対して、もっともっと!
どこまでも大きな可能性を信じられる自分であるね。
ありがとう!
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