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【時折感じる苦しさにこそ価値があると思う】

行きたかった学校の受験、
部活動の夏合宿、
学生時代に始めたアルバイト

社会人になって始めたお仕事。
フリーランスで生きていくために始めた副業。
趣味の大会やコンテスト。

世の中にはほんと色んなモノゴトが
ひしめいているけれど、
どんな事でもある程度できるようになるには

それ相応の努力が必要になってくる。

僕の高校時代は陸上部の長距離だったけど、
それまでは文化部で、まともに走ったこともなかったのもあって、女子の練習にすらついていけなかった。

そんな僕でも、必死になって毎日のように
猛練習をしていたら半年後には、先輩達と一緒に練習がフツウにこなせるようになって、

気づいたら駅伝メンバーに選別されて無事、夢の舞台で走ることができたけれど、

そのための練習は苦しいし、辛いし、
とにかく苦痛で、悲痛、そして筋肉痛。

それはもう毎日馬車馬のように
20キロとか走る日々が永遠に。

この文明が発達した時代にもかかわらず
同じ20キロを進むならクルマで移動すればいいものを、なぜ自分の脚で進もうとするのだろうか。

同級生からは「ねぇそんな長い距離走るの辛いのに何が楽しいの?」とよく言われたし、

かといって「何が楽しいのかを具体的に言え」
と言われると口ごもってしまうのも事実。

スポーツも苦手で、運動音痴だった自分を変えたかった。というのが陸上を始めた理由だけど、
本当にやる意味があったのかは10年経った今でもわからない。

ただ一つ言えることは
「文化部出身の運動音痴でも、
頑張れば駅伝に出れるんだ」

というちょっとした高望みな理想を
当時は思い描いていて、

それを実現させようとしたら、
辛かろうがやるしかなかった。ということ。

練習メニューも周りの同級生と同じじゃ絶対追いつけないと思ったから、先生に頼み混んで独自の練習メニューを考案してもらったり、

学校以外でも、自分なりに工夫して練習やトレーニングに勤しんだ。

あまりの過度なトレーニングで、
授業のあった日中はほぼ寝たきりだったのは
いただけなかったが、陸上では圧倒的なスピードで成長したと思う。

5000m 初期タイム 20分台
↓(1、2年後)
5000m 16:50

決してインターハイに行けるほど強くはなれなかったけれど、やりたかったことも、なりたかった目標にも到達できたし、辛かったけど本当にやって良かったと思ってる。

そんな熱い学生時代から10年経った今、
僕は仕事に対しても、陸上と同じような気持ちで取り組めているだろうか。

高望みした理想に届かまいと
必死になれているだろうか。

確かに今の僕の生活はフリーランスとして
活動させてもらっていて

一般的なサラリーマンの人たちより
自由度も高いし、ストレスレベルも低いけれど、そこに甘んじず、

できる事を毎日徹底し続けること。
辛いという気持ちから逃げ出さないこと。
その先にあるモノを手にするための
工夫や、試行錯誤をやめないこと。

そんな鉄の意志を持ち合わせているだろうか。

ここから更に先に進むためにも
改めてもう一度、自分のあり方を
思い直すべきなのかもしれない。

SUGI


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