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So We Won't Forget

数年前に昔の友人数名と再会した。私がひとりでクラブに行き始めた94年に初めて仲良くなった友達で、90年代半ばのテクノシーンの熱狂を一緒に体感した人たち。彼らに出会った当時は毎週のようにクラブで顔を合わせ、そのままデニーズでくだらない話を延々と繰り返しては誰かの家に入り浸り、一緒にレコード屋へと足を運んだ。その仲間たちとは95年に原宿のホコ天で「HAPPY PROMENADE」というイベントを一緒に開催していた。翌96年にホコ天が閉鎖されて以降は、時代の変化とともにそれぞれ遊ぶ場所が少しずつ変わり、細く弱い繋がりのせいでなんとなく離れてしまい、みんなで揃って会うことはなくなっていった。なので長い人は20年ぶりの再会だったし、会えなかった人ももちろんいた。お互い多少老けてはいたものの見た目はみんなさほど変化はなく、話したことといえば相も変わらずくだらないことばかりで安心した。シスコ坂で記念写真を撮って帰り、それ以来グループLINEにてしょうもない話を時々交わすゆるい親交が続いていた。私がSNSに名前を出していたことがきっかけで、自力では連絡を取れなくなっていた人たちが向こうから見つけてくれた。嬉しかった。

昔は気が合うから友達になったと思い込んでいたけれど、すべてはタイミングだったのだろうと思う。たまたまそこにいた同士が出会っただけ、お互いがほどよい距離を保っていられたから維持できた関係で、実際のところ仲良くしていた時期なんていまから思い返してみればほんの僅かな期間のこと。なのに20歳そこそこの欲深い若者にはわりと強烈な出会いだったし、忘れ難い濃密な思い出がいくつもあった。彼らとのイベント名で使っていた「ハッピープロムナード」とはドラえもんに出てくる道具で、どんなに落ち込んでいてもその上を歩くだけで気分が明るくなり、うっかり逆方向に進むと気分が暗くなる。新しいものが常に正解だった場所にいた頃はノスタルジックな感情は嫌いだったけれど、スタート地点に戻ってまた同じ道を辿るのも悪くないかもしれないと最近は思っていた。

今年の10月、それとは別に少し前にやはり再会できた共通の友人と一緒に1年ぶりに田中フミヤのDJを聴きに行こうと渋谷のcontactへ行った。イエローを思い出すねー、とかなんとか喋りながら帰りにそのままファミレスに寄ってご飯を食べたら急にいろんなことが懐かしく蘇ってきて、もうクラブで知らない人と友達になることなんてないだろうからまたみんなで集まって朝方にデニーズとかでだらだら喋りたいね、と話していると、ちょうどプロムナードのメンバーのグループLINEが鳴って、そのうちの1人から、俺さあ結構大病にかかって入院中なんすわ、とメッセージがきた。あまりにもなタイミングの連絡とその内容に動揺してしまい、いつもはふざけたトークばかりなのに珍しく感謝の意を述べたり、急に愚痴をこぼしたりするので心配していたら、朝食会は復活後の楽しみにしています、と前向きな返事を最後に残した。それが本当に最後だった。


1ヶ月後の11月の半ばに、その友達が亡くなった。息を引き取る前日に呼ばれて急いで駆けつけた病室で、アンダーワールドの初来日と渋谷FFDとクリス・ニーズとハッピープロムナードとZERO TurboとDISTORTIONとローラン・ガルニエとボーン・スリッピーの話をした。いちばん好きなDJはフミヤさんだと教えてくれたので、気が合うね、と笑った。「祐子ちゃんは音楽のことをよくわかってる、祐子ちゃんの文章はなんか違うんだよなあ……。」と弱々しい声で呟いて、大昔のラブ・パレードの記事を褒めてくれた。なんでそのとき言わないでいまになってそんな大事なこと言うのよ、でもさ、それ聞けてよかったよ、と返すのが精一杯だった。自分の身に起きているとは思えないような、まるでドラマのワンシーンみたいな深刻な場面を前にして、胸が押しつぶされそうになった。帰宅してすぐ、何をしたらいいかわからないまま、次に病院に行くときに持って行くための若い頃の写真を何枚も見繕って出しておいたのに、結局間に合わなかった。

彼の地元で行われたお葬式では、近年親しくしていたらしき友人や家族との写真が入り口にたくさん飾られていて、私たちとの写真は1枚もなかった。けれど耳をすませると会場内に小沢健二の「ラブリー」が小さな音で確かに流れていた。仲良くなったばかりの94年の秋から冬にかけてみんなでその曲を何度も聴いたことを思い出しながら友達の遺影を眺めている状況があまりにも不思議で、嘘くさくて、理解が追いつかなかった。告別式の最後に、私たちの知らない彼の友人が私たちの知らない彼のエピソードを話した。そのとき葬儀場の進行役の女性が、事務的な声で冷静に「故人が大好きだった電気グルーヴの曲」だと伝え、BGMにゆっくりと「虹」が流れ始めた。お葬式で何の曲をかけて送り出したらいいのかわからないと言う彼の奥さんに、穏やかでいつ聴いても美しいその曲を提案したのは私だったけれど、やっぱりその場の空気には少し不釣り合いで、でもあとから本人が「あれ、なかなか良かったよ。」とニヤニヤしながら言ってくれそうな気もした。優しかった彼との思い出を語り続ける誰かの声を黙って聞きながら、私の脳裏に浮かんだのはふざけてばかりの彼の若い姿だった。私たちはたまたま出会ったけれど、同年代で、ある時期のある場所を共に過ごし、似たような思い出を持っていて、その取るに足らない小さな出来事を彼の人生の最後に一緒に振り返った。それがいかに大切な時間だったかを多分私はずっと忘れないし、忘れないでおくためにどこかに書いておこうと決めた。昨日聴いたレコードの曲のタイトルを見つめていたときだった。

#音楽 #エッセイ#テクノ

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