カウンセリングの本質
「傾聴なんて意味がない」
先日、カウンセリングについて話をしていたときに聞いた、ある方の言葉だ。
「問題の本質の解決にならない。話を聞いてもらって、励ましを受けて、そのときは気持ちよくなっても、また同じ悩みに至ってしまう。」
という意見だった。
ここで私の意見は、
“傾聴こそ、カウンセリングの基本であって、問題解決をするのは本人。カウンセラーはそのお手伝いをする役割を担う。「教える」ではなく、「伝える」でもない。「寄り添う」のだ。”
子供は親に、「ねえお母さん聞いて」「ねえお父さん聞いて」と言う。
自分の話を聞いてほしい。自分を理解してほしい。
そんな子供と、向き合って話を聞いてあげると、子供は満足そうに一生懸命話をする。私も一生懸命話を聴く。子供が話してくれたことを、ただただ受容する。
「あ〜そうなんだ!」
「へえ〜なるほど!」
「すごいね!」
それは、こうだよ!とか、違うよ!とか、こうした方がいいよ!なんて言う必要はない。
はじめの話に戻ると、つい人は、人に教えたがる。伝えたがる。
こうした方がいい。ああした方がいい。
ついには、クライアントがカウンセラーの言ったとおりや思ったとおりにやらないと、だからこうした方がいいのにと批評する。
“クライアントの人生である”
クライアントがどう人生を歩みたいのか、どうして行きたいのかに、ただ寄り添うこと。一歩踏み出す勇気がなかなか出せないクライアントの、手を引くのではない。後ろから押してあげるのでもない。一歩踏み出せる、そんな勇気を持てる存在になる。
手を引いたり、押して上げて踏み出した一歩は、二歩目もまた手を引いて上げる必要が出てくる。これを依存状態と呼ぶ。
反対に、勇気を持ち自ら踏み出した一歩は、二歩目三歩目につながる。もう自分の力で歩いている。
では、どうしたら自ら一歩を踏み出す、勇気を持てるのか。
答えは傾聴である。
人は、話しながら考える。考えている。
話しながら、頭の中が整理されていく。自分の言葉が言霊となり力に変わっていく。これを自己変容と呼ぶ。
カウンセリングの目指すところは、自己変容である。
傾聴は、ただ話を聞くだけではない。途中途中で、質問をしたり、話をまとめたりする。
「〇〇さんは、□□について悩んでいるんですね」
「一度ここまでのお話をまとめてみてもいいですか」
質問は、開かれた質問と閉ざされて質問とがあって、どちらにせよ、質問されたクライアントは、またそこで考える。自分と向き合う。
こうしたことをまとめて、傾聴と呼び、傾聴を通して、クライアントは色んなことを考える。その中で、自分が物事の本質を見つけていく。
カウンセラーが物事の本質を知っているなんて思っていたら、大きな間違いだ。
カウンセリングで、クライアントが問題の本質に気づき
クライアントが一人で解決できないと自分で考えたときのみ、コーチングする。
さあ、寄り添おう。
多くの人が、寄り添えずにいる現代で。