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村田喜代子「望潮」書評(1)

 今週の3回生ゼミでは村田喜代子「望潮」を読みました。ふたりの方に書評を書いていただきました。まずは中国からの留学生のリュウ・ジュンケイさんの書評です。

村田 喜代子 「望潮」書評(『日本文学100年の名作 第9巻 1994-2003 アイロンのある風景』収録)

評者:リュウ ジュンケイ

 我々はいつも、死を求める人の考えを知ろうともせず、理解不可能であるという態度を取っている。しかしながら私はこの作品を読んで、死を求める人間は誰かのために死なざるを得ないということ、そして生きることの大変さをしみじみと感じた。
 増川恭子が簑島の話を聞いたのは師走の魚屋での飲み会で恩師の古海先生の口からだった。古海先生は十年前ぐらいに仲間たちと簑島へ行った。小さな島のため海産物は豊富であり、人口もそれなりに少ない。そのため、何等かの原因で島に老婆が多いようだ。老婆たちは手押しの箱車を押しかけて平気で海辺の車の走る道へ出ていた。「彼女たちは車の当たり屋なんだ」と古海先生は言った。彼女たちは補償金のたくさん出そうな車を狙い、事業用自動車を狙って飛び込むのだそうだ。何人かが死んだため、ドライバーたちは慎重な運転をとっていた。長生きして家族の人に迷惑をかけるより、ひと思いに死んだ方がいいということなのだろう。けがするくらいで死なないことこそ困ると彼女たちは思い、絶対死ぬぞというような身構えで走っている車に飛び込むわけだ。「まるで戦時中の突撃の特攻機」だと、同じ飲み会の場にいた吉開が言った。「忘れ塩も老婆も消えて暮れ遅し」と先生は句を作った。
 後日、古海先生のもとに、その日の飲み会に参加していた増川から簑島に行ってきたと電話がかかってきた。しかし、増川の見た簑島の光景は古海先生が言ったのとは全く同じではなかった。箱車を押しかける特攻老婆はもういないんだと漁師の奥さんが言った。それを確かめるために増川は海辺に行った。長い竹の杖を突いて波うち際に沿って、ゆっくりと歩いて行くお婆さんに『特攻老婆』のことについて聞いてみたところ、十年前のことは覚えていないものの、遠い過去のことはよく覚えていると答えた彼女は、かつての海女であった。お婆さんが去ったあと、砂浜一面の夥しい数のカニが、チカリ、チカリと海へ向いてハサミを打ち振っていた。まるで海恋の、潮恋の儀式のようだった。ああ、彼女たちはここにいるじゃないかと増川は思うのだった。
 この本は自然を表現する言葉が非常に多く、細かいところまで書き込むことによって、まるで本を読む自分が主人公となり、自然の中に身を置いた気分になった。複雑な人間関係や推理小説のような頭を絞る読み方ではなく、ゆっくりと放心状態で味わえばいい作品ではないかと思う。会話が作品の大半を占めるが、中心にあるのは生と死の探求だと感じる。十年の間に特攻老婆たちの姿がすべて消えてしまったのはなぜか、彼女たちはまだ生きているのかと、読者に考える余地を残している。
 本作品を読んで最も強く連想したのは、現代社会においては核家族化の深刻化によって多くのお年寄りが一人になり、付添人もいなく、孤独死を迎えるということである。家族に迷惑をかけたくないと考えるこれらのお年寄りは本作品の「特攻老婆」と同じなのではないだろうか。

(日本語チェック・修正:菅原祥)
 

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