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村田沙耶香「街を食べる」書評(3)(評者:成山美優)

村田沙耶香「街を食べる」書評(『現代小説クロニクル 2010~2014』収録)

評者:成山美優

 「普通」という言葉の意味を説明することができるだろうか。辞書を引いてみると、「当たり前であること」や「珍しくないこと」などと書かれていたが、当たり前であることは何を根拠に判断するのだろうかと不思議に思う。本作は、ある一人の女性の生活、またそれに伴う思考の変化を描いている作品である。
 埼玉の実家を出て、都内で働くようになった理奈は、昔よりも野菜の好き嫌いが激しくなっていた。とはいうものの野菜自体が苦手なのではなく、東京で売られている貧弱な野菜に拒否反応が出るようだった。ある時、同僚の雪ちゃんとの会話の中で、田舎での食事を思い出した理奈は、野菜嫌いの克服のために、ウォーキングがてらに蓬や蒲公英を探しにいくことにする。様々な場所を探し回った末にやっと蒲公英の集団を見つけ、人目を気にしながら手当たり次第に千切ったものを持って帰る。食欲がそそられない見た目をしていたため食べやすそうな味噌汁にしてみるが、何の味もせず、公園やそこを歩く人間の姿が目に浮かぶばかりなため、吐き出してしまう。その後風邪をひいた理奈は、何日か寝込むことになる。寝込んでいた間、まともに食事を取っていなかったため、買い物に行こうとアパートを出たところ、アパートとフェンスの間にある隙間に大きな蒲公英が生えているのを見つける。蒲公英に触れた瞬間、突如激しい空腹感に襲われた理奈は、手が汚れることも気にせずに丁寧に掘り起こしていく。簡単に調理した蒲公英は、前回とは違って食べやすく、素朴な野菜の味がしたのだった。
 この小説を読み進めていくうちに、二回目に蒲公英を食べた後から理奈の行動が徐々に変化していく様子が見て取れるだろう。毎日仕事終わりに野草を採取して食べるようになり、野草を使った料理で雪ちゃんをこちら側の「自然」に引きずり込もうとする。まるで何かに取り憑かれたかのように、急速に今までの考え方や行動が変わっていく様子には恐怖を感じざるを得ない。街中で野草を採取し、食べる行為こそが「自然」であり「正しい」と言い切る彼女は果たして本当に正常なのだろうか。

 森で暮らす人が森を食べるように、街で暮らす人は街を食べて生きていくのが自然なことなのだ

 作中で理奈はこのように言う。都内だからと言って田舎で経験したようなまともな生活はできないと思い込んでいたが、きっかけ次第で、そういった思い込みから解放されて自由に生きていけるということを表しているように思える。確かに、と共感できる気もするが、それこそが「自然」と決めてしまうのは、再び別の思い込みにとらわれてしまっているようにも思えてしまう。
 「まとも」「自然」「健全」「正常」「異常」。自分の感性で判断してきっぱりと言い切るような言葉が理奈からはたくさん発されていた。何が正常で何が異常なのか、人それぞれ考え方は異なり、正解は無い。「普通」とは、「正常」とは何か、自分自身が物事に対して普段働かせている感性が果たして「普通」なのかどうかを問われているような作品であった。

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