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村田喜代子「望潮」書評(2)

 村田喜代子「望潮」の書評、2人目は柴田美朝さんに書いていただきました。

村田喜代子「望潮」書評(『日本文学100年の名作 第9巻 1994-2003 アイロンのある風景』収録)

評者:柴田美朝

強さ

 この小説は簑島という旅先での奇妙な出来事、そして10年という月日によって起こった変化、これらを「古海先生」とその「教え子の女性」と始終語り手が変わっていく編成で描いており、そのたびに変化する見方や感じ方の表現を楽しむことができる作品である。
 最初は古海先生の元教え子である「わたし」が高校時代のクラス会で古海先生の10年前の旅の思い出話を聞くところから始まる。旅先の簑島という孤島では老婆が車の当たり屋をしているという。腰の曲がった老婆たちが箱車を押して歩き標的を探しているのだ。この行動は残った家族にお金を残すことが目的であった。そのため、家族も強くは止められず、島中の老婆に蔓延していったのだ。このような話を聞いた元教え子の女性たちは老婆の行動に賛同をしなかったものの、簑島に興味を持ち、後日、先生のもとに簑島へ行ってきたと報告の連絡を入れた。しかし、その簑島での体験は奇妙なものであった。古海先生のいう老婆たちは10年経った現在の簑島には存在せず、さらには過去の老婆の存在もなかったことになっていたのだ。女性たちは不思議に思うも、帰る日の朝一人の老婆と出会う。そして、海女の強さや仲間の海女は一人もいなくなったことを聞いた。老婆が帰り、砂浜を見るとハサミを打ち振るシオマネキでいっぱいなことに女性は気づく。電話でその話を聞いた先生は、その情景を思い浮かべ感傷に浸るのであった。
 この作品で目に付くのはやはり俳句である。古海先生が旅に行ったときと、教え子からの電話の後に二句詠んでいる。

忘れ潮も老婆も消えて暮れ遅し
望潮の千のハサミに波応ふる

 そして、「シオマネキ」は、どちらの句の解釈にも必要となる。「シオマネキ」とは干潟に生息するカニであり、片方のハサミが大きいという特徴を持つ。招いているようなハサミの動かし方が名前の由来になったと言われている。
 一句目は「暮れ遅し」という暮れそうで暮れない春の日長の状態を表す春の季語が使われている。また、「忘れ潮」とは潮が引いた後の潮たまりに残る海水を指す。これらから、暮れて来ると満ち潮によって潮だまりもなくなり、老婆たちも帰途につく様子が表されていると考えた。上記のようにシオマネキは干潟で生息するため、潮が満ちていくと巣へ戻る。そのため、作中でカニに例えられた老婆は潮が満ちると家に帰らねばならない。老婆たちの帰途は決して楽しげなものではなく、車に当たることができなかった悲しみを背負った帰途であると考える。一句目は全体的に暗い印象である。二句目は一句目と同じく「望潮」という春の季語が使われている。この句は、シオマネキが打ち振るハサミに対して海が波で返事している様子があらわされている。一句目ではなすすべなく帰っていたカニたちであったが、二句目では起こした行動に対して返事があるという、一句目と対照的にポジティブな明るい印象である。私はここに古海先生の心境の変化が出ていると考えた。当たり屋のような習慣がなくなったことに安堵し、箱車を押すしかなかった老婆の印象であったカニが小さいながらも海に向かって一生懸命ハサミを振る姿を思い浮かべ、老婆への印象が「死」から「生」へ変化したのではないかと感じた。
 様々な目線で語られるこの作品であるが、どの目線から見ても女性の力強さが出ていると考える。家族のことを考え自分を犠牲にする当たり屋の老婆、行動力のある教え子、夫も子供も家族は自分が支えるんだという老婆、そして長年連れ添い完全に立場が上である古海先生の妻だ。古海先生の旅の思い出に対する心境が変化することを踏み台に、女性たちの強い生き様が描かれており、私は女性の強さを表現した作品だと読み取った。
 蛇足になるが、シオマネキはハサミが大きいのはオスだけであり、シオマネキの由来となった波を招くようなハサミの動きをするのもオスであるとされる。そのため、作中でカニがハサミを打ち振る様子を見た教え子が、「彼女たちはここにいる」と感じるのには少し違和感があるように感じた。

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