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小田雅久仁「11階」書評(1)

先週分の更新になります。小田雅久仁「11階」を読みました。お二人の方に書評を書いていただきました。まずは高瀬晴基さんです。

小田雅久仁「11階」(『2010年代SF傑作選 2』早川書房、2020年)

評者:高瀬晴基

罪との共存

 身に訪れた絶望から解放されるために人が取ることができる選択肢はいくつかある。乗り越えるか、死を選ぶか。手っ取り早いのは死を選ぶことだろうが、どちらを選ぶにも相応の覚悟が必要になる。どちらの選択肢にも行き着かない人間は、生きながら死んでいる。小田雅久仁『11階』は、そんな生き地獄を美しく巧妙に描いた作品だ。

 主人公良徳の妻、日菜子はどこか浮世離れした雰囲気のある女性だ。彼女は日常の中で発作的に繊毛状態に陥り、幻想の世界に囚われるところがあった。彼女はその幻想の世界を彼女の実家の10階建てマンションの屋根裏収納に準えて“11階”と呼ぶが、彼女が“11階”に囚われる発端となったのが、彼女が小学二年生の二月、無二の親友であった幼馴染の川端千帆が誘拐され、殺害された事件である。

 日菜子と千帆は同じマンションで生まれ育ち、日菜子の家の屋根裏収納を11階と呼び、秘密基地のように毎日のように集い遊んでいた。事件の日、下校時に千帆がランドセルを背負っていなかった、ということを彼女の悪戯だと邪推し、日菜子は家に着くまで指摘をしなかった。その後いつものように11階で遊ぶ約束を交わしたのだが、千帆はランドセルを取りに学校に戻る間に誘拐にあい、殺害されてしまう。それ以降日菜子は罪の意識に苛まれ、“11階”という幻想の世界を彷徨うことになる。

 私がここで疑問に思ったのは事件の日、なぜ千帆がランドセルを背負うのを忘れていたのか、というところだ。結局その理由は明かされなかったが、小学生がランドセルを忘れて帰るということの異常性はかなり強調されて表現されていた。作中ではあの時日菜子が千帆と一緒に学校に戻っていたら、誘拐は成功しなかっただろう、と書かれていたが、本当にそうだろうか。中高生ならともかく、小学校低学年の女児2人程度誘拐、殺害することぐらい大人の男ならば造作もないことだと私には思える。つまり千帆が日菜子と別れ、学校に引き返した瞬間に死んだのだと作中では書かれていたが、タイミング的には帰りの会が終わり、ランドセルを背負うのを忘れるという「異常」が発現していた時点で、作中の言葉を借りるとすれば、彼女の物語は終わりを迎えていたということができるのではないだろうか。忘れ物をして学校に取りに戻る、というだけなら宿題でも、リコーダーでも、体操服でも何でもよかったはずだが、事件の日の彼女の異常性を表現するうえでは、ランドセルであるのがベストな選択であったのだろうと私は解釈した。

 千帆を失い、死にゆくはずだった日菜子は結果的に70歳まで生きながらえることができた。それはひとえに夫の良徳と二人の子供のおかげであるといえるだろう。きっと、良徳との出会いがなければ、彼女は幻想の中に消え、さっさと死んでいただろう。彼女から死という選択肢をなくす、あるいは選択の延期を促したという面で、彼らの存在は彼女にとって非常に大きな価値があったということであるだろう。子供が自立し、それぞれに家庭を築き、親として一定の役目を終えたタイミングで、彼女の発作は頻繁化し、癌でいうところのステージ3、ステージ4へと移行するように、彼女の病状は悪化の一途をたどり、生涯を終えたが、夫と子供への愛情が、彼女に責任感という、千帆への罪の意識とは違った、ある種の呪縛を与え、70年という人間として一般的といえる寿命を全うさせることにつながったのだ。

 冒頭で私は、絶望から解放されるための選択肢として、乗り越えるか、死を選ぶか、という極端な二択を挙げたが、日菜子はそのどちらも選ぶことができなかった。しかし、生き続ける中で、最後まで過去の絶望、後悔を引きづっていたけれども、自分がそこに在る意味、存在する理由を見つけ、それを糧として最後まで人生を踏破することができた。絶望を断ち切るでも、それから目を背けるでもなく、それが自分の運命であると受け入れ、共存するという、第三の選択肢をこの作品は提示してくれた。そしてこの第三の選択肢は、今のコロナウイルスの蔓延など様々な社会問題を抱え混乱した世の中にも非常にダイレクトに突き刺さる解答なのではないだろうか。

 最後に、この作品では白昼夢を見ることは奇怪で、恐ろしいことであるような記述が多かったし、実際あまり良いことであるととらえられていないが、白昼夢は英語で「Daydream」:「日に夢を見る」と書く。

 こうしてみるとなんだかよいことのように思えてくる。想像力を高めるという意味でも、現実逃避のためという意味でも、白昼夢を見るということ自体は決して悪いことではなく、むしろ有益なこととすら思えてくる。様々なことに思いを馳せ、自身の脳力を高められるというならば、そんな体験をしてみたいと私は思う。


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