イタロ・カルヴィーノ「恐龍族」書評(2)
「恐龍族」書評、2人目は佐野稜典さんです。
イタロ・カルヴィーノ「恐龍族」(『レ・コスミコミケ』収録)
評者:佐野稜典
この作品は短編集『レ・コスミコミケ』に収録されている十二編の短編のうちの一つである。これらの短編はそれぞれ独立した内容になっているが、共通してQfwfqという存在が描かれている。そして今回の短編「恐竜族」にも冒頭に自身が恐竜であった過去を話す語り手として登場している。今回の物語は語り手であるQfwfqが恐竜だったころに体験した旅の話というのが主な内容である。
この物語の主人公は恐竜が滅んでしまった後の世界を生きる、最後の恐竜の生き残りである。そして長い移住の旅の末に荒涼とした高原に辿り着き、長い歳月を高原で一人で過ごした。しかし長い時間を一人でいるのに耐えきれなくなった主人公は高原を旅立つことになる。そしていざ高原を出てみると世界は見知らぬものになっており、そこには新生物たちが暮らしていた。主人公は自身が存在するだけで周囲に恐怖をばら撒く存在であるということに慣れていたので、新生物の一群に声をかけられたことに驚いて逃げてしまう。そして敵意も恐怖も感じている様子がなく追いかけてきた新生物と会話して、新生物たちには恐竜を見たものは何世代も前で、実際に恐竜の見分けがつくものが存在せずにただ恐竜の恐怖だけが伝わっているということを理解する。そうして主人公は恐竜であることを隠しながら、たどり着いた新生物の集落で暮らすようになる。
この作品に登場する恐竜という存在は既に絶滅しており、新生物にとっては見たこともない存在である。そのため新生物は正確には知りもしない恐竜のことを妄想して恐怖の象徴であったり、また勝手に神聖視したりして語ることで恐竜を伝説の存在にしていた。したがって恐竜である主人公が現れたときには、伝説の存在である恐竜がいるとは思っていないがために、主人公を恐竜だとは思わないし、恐竜であると疑いもしない。そして新生物たちは本物の恐竜である主人公が目の前にいるのに、恐竜だと気付くことは無い。また主人公が新生物の集落で過ごしているうちに、新生物たちは恐竜についてどんどんと空想を大きく膨らませていき、それにつれて恐竜という言葉が持つ意味すら「応援する」という意味であったり、「喧嘩している者に対して諌める」という意味であったりと本来の意味から様々なものになっていく。このように本来の恐竜という言葉が指している意味はもはや影も形もなくなっていってしまう。しかし恐竜がかつて地上を支配していた時よりも恐竜を見たことがない世代において恐竜という言葉が指し示す意味が広がりその存在を残していくという様は、描写にもある通りに恐竜族が消え去っていくことで支配の領域を拡大していると言えるだろう。また最後のシーンで「とある駅にたどりつき、汽車に乗り、わしは群衆のなかに紛れこんでしまった。」という描写にはこの物語の語り手であるQfwfqという存在をより不思議なそして異質な存在として認識させられるのである。
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